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『北の死地より愛を込めて』

「はぁ、はぁ……無事、ですか? ついて、来てますか?」

「な、なんとか」

「右に、同じ」


 息の荒い男が三人、暗い森の中で声をかけ合った。

 先頭を走っていた長身の男は聞こえた声に安堵し、側に横たわる大岩に身を隠すようにして座り込んだ。

 

「なんとか、切り抜けましたね」


 大剣を傍らに置きながら、ゴーシュが隣に座った。


「ですが、こんなに森の奥まで来てしまった。申し訳ない」

「いやいや。レゴルスさんがいなければ、俺たちは生きていませんよ」


 シュウは頭を下げ、ゴーシュと反対側に座った。


「案内役のエルフは伊達じゃないですからね」


 レゴルスは笑いながら、自分の尖った耳を指差した。


 三人共笑顔を浮かべているが、つい先程まで死にかけていた。

 ゴーシュの冒険者パーティとシュウが所属する第三小隊は、魔物の群れと交戦。しかし苦戦を強いられ、小隊長は戦死し撤退を余儀なくされた。

 シュウとゴーシュは殿しんがりを務め、他の者を逃がしたが孤立してしまった。そこにレゴルスが駆け付け、なんとか囲いを突破。森を逃げ回り、やっと腰を落ち着ける場所に辿り着いたところだった。


「魔物も魔獣もウジャウジャいやがる。他の冒険者が心配ですぜ」

 

 ゴーシュはポーションを飲み干し、痕跡を残さぬよう空き瓶を懐に戻した。


「前線に出た奴らは皆、引き揚げたほうがいいだろうな。この量は砦長とりでちょうも予想外だ」

「一体どこのどいつが」


 ゴーシュが眉間に皺を寄せて唸った。

 周囲を警戒しながら、レゴルスは静かに口を開いた。


「恐らく、バーサ帝国でしょう。四年前に即位したカリギュリス帝に、凄腕のモンスター・テイマーが仕えたとの噂が。帝国によくある、誇大なホラだと思っていましたが」

「本当だったってわけですね」


 シュウがため息をついた。

 と同時に、ゴーシュの腹が燃料不足を訴えた。


「あははは、すんません」

「緊張感の無ぇ腹だな」

「はははは。どれ、木の実でも探しましょうか」


 立ち上がろうとしたレゴルスを、シュウが「待った」と制止した。


「とっておきがあります」


 取り出したのは、ファラにもらった焼き菓子だった。


「おぉ! これは美味しそうだ」

「ファラさんの手作り! 美味いんだよなぁ」


 思いがけず登場した甘味に、二人は目を輝かせた。


「……うん、美味しい!」


 口に運んだレゴルスは金色の髪を揺らし、歓喜の声を上げた。


「こんなに美味しいお菓子は初めて食べました。とても素敵な奥様ですね」


 まっすぐな瞳で褒められ、シュウはなんだか照れ臭くなった。


「あ、ありがとうございます。レゴルスさんの奥様は、ダークエルフなんでしたっけ?」

「はい。北のエルフを束ねる、おさをしています。来年千歳になりますよ」

「スケールが違う……」


 二つ目をかじったゴーシュが、苦笑いを浮かべた。


「奥様は無事なんですか?」

「えぇ。ちょうど、今は百年に一度の族長会議でして。腕利きの護衛を連れて行きましたから、安全、で……」


 和やかに語っていたレゴルスの顔が曇る。

 両脇の二人も同じように緊張感を取り戻し、食事を止めて顔を突き合わせた。


「状況を整理しましょう」


 レゴルスが指を立てる。


「この騒動は先日、突然魔物たちの群れが襲ってきたことが始まりです。我々は共闘することで、なんとか戦線を維持しています」


 到着後すぐに状況を聞いていた二人は、無言で頷いた。


「私の妻が旅立ったのは、その五日前……戦力が減るこのタイミングを狙われたとしか」


 レゴルスの顔が不安に染まっていく。


「大丈夫!」


 しかし快活な声と共に背中を叩かれ、ハッと顔を上げた。


「きっと大丈夫です! 今は、無事に戻ることを考えましょう」


 付き合いの長いシュウの笑顔が、今までで一番眩しく見えた。


「そうですよ。俺たちが付いてます!」


 ゴーシュも男気溢れる笑顔を向ける。

 レゴルスは二人に感化され、明るい顔で「ありがとう」と言った。


「さぁ、日が暮れる前に行きましょう」

「おう!」

「よっしゃ!」


 立ち上がったレゴルスに、シュウ、ゴーシュと続いた。


 そして次の瞬間。


 触手がゴーシュを貫いた。


「ゴフっ」


 血を吐きながら、腹を破った蔓のような触手を睨んだ。


「ゴーーーーシュ!」


 シュウの叫びが、森の闇に吸い込まれる。


「ぬぅあ!」


 ゴーシュは痛みに耐えながら愛剣で薙ぎ払い、背後の魔物を両断した。

 しかし遠心力に耐えられず、そのまま倒れてしまった。


「私が守ります! 手当てを!」


 周囲を睨みながら、レゴルスが叫ぶ。


「『清浄なる光よ 傷を癒やし 救い給え 癒光ヒール!』」


 シュウはゴーシュの腹部に手をかざし、白魔法を唱えた。


「ちくしょう……ファラさんの、焼き菓子が……」

「喋んな!」


 使える魔法は低級のものだったが、シュウはありったけの魔力を込めた。

 最大限の警戒を張り巡らせながら、レゴルスはゴーシュの倒した魔物を一瞥した。


食人花モンスター・プラントだと? こんな魔物まで……)


 流れる冷や汗も拭わず、レゴルスは目を光らせ続けた。


「ア、こんナとコロに、ゴみがいル」


 幾重にも重なる不気味な声が、大岩の上から聞こえた。

 見上げると、闇に溶け込む真っ黒なローブを被った人影があった。


「貴様がテイマーか!」


 レゴルスは目を見開き、怒号を放った。


「うルさイなァ」


 不快そうな声の直後、背後の木々から無数の触手が伸び、襲いかかった。


「『風精霊の守護旋風(シルフ・サイクロン)!』」


 激しく吹き荒れる風が渦を巻き、三人を包んだ。

 触れた触手は巻き込まれ、繋がる本体も粉々に散った。


「エルフを舐めるなよ」


 レゴルスは風の向こうに佇む敵を睨みつけた。


「シュウさん! 私が時間を稼ぎます! その間にゴーシュさんの、手当て……を」


 レゴルスは周囲を見回し、言葉を失った。


 ガルゥの群れ。

 怪鳥ダイ・バード。

 スライム。

 食人花……。

 ただでさえ強敵の魔獣や魔物たちが、あり得ない数で取り囲んでいる。


「しネ」


 歪な声を合図に、一斉に攻撃が繰り出された。


「うおおおおお!」


 決死の抵抗を見せたレゴルスだったが、瞬く間に風の護りは突破された。


 爆発が起こり、三人は為す術もなく吹き飛ばされた。離れた崖の下に叩きつけられたシュウは、仰向けに倒れたまま霞む視界を凝らした。体は激しい痛みで、動いてくれない。


「ゴー、シュ……レゴ、ルスさん……」


 倒れ伏す二人に呼びかけるが、応答はない。


「……ちく、しょう」


 悔しさを血の味と共に噛み締めていると、視界の端に動くものがあった。


「あれ……は、ファラの……」


 愛する妻が持たせてくれた焼き菓子。

 懐からこぼれたそれに、輝く光の粒が集まっていた。


「妖精……か?」


 この森にもいると、話には聞いていた。

 しかし、人の前に出てくることは滅多にないため、砦の者は誰も目にしたことがなかった。


 森での生き死には、彼らにとって当たり前のことなのだろう。

 シュウたちには、なんの反応も示さない。


「美味い、だろ? 俺の、奥さんが、作ったんだぜ」


 得意げに微笑むと、胸に熱い想いが灯る。

 

 ファラ。

 こんな俺を愛してくれた、最愛の妻。

 お前の得意な料理が、エルフや妖精にまで評判だぞ。帰ったら教えてやらなきゃな。


 ナミラ。

 俺の子にしては優秀過ぎる息子。だからこそ、どんな大人になるか見てみたい。万が一お前が悩んだら、父さんがなんとかしてやるからな。


 ……あぁ、どれももう無理なのか。


 傷は焼けるように熱いのに、体の奥が寒い。なんだか、なにも感じなくなってきた。


「……愛……して、る」


 最期の力を振り絞った囁きは、物言わぬ妖精だけが聞いていた。


 同じ頃。

 テーベ村の空に光の柱が輝いた。

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