『陽炎』
揺れる、揺れる。すべてが、揺れる。
燃える全身は当たり前に、二本の尻尾は楽しげに。揺れに合わせて熱が揺らめき、大気は正気を失った。
空に紅い砂漠が映り、オアシスの幻影は海原の如く広がっていく。そんな白昼夢のような蜃気楼もまた、踊るように揺れていた。
「……かまえろ、アニ。モモは防御にも魔力を回すんだ。アヴラ……は、もう上空に飛んだか。いい判断だ」
流した冷や汗もすぐに消えていく。
地獄のような熱さの中にあって、なにより恐ろしいのは熱の中に潜む濃厚な殺意であった。
「っ!!」
刹那、ナミラが動いた。
しかしそれよりも速く、シュレディンガーはアニに爪を振るっていた。
「くぁっ!」
愛風を纏っていたおかげで紙一重で躱し、直撃は免れた。
けれども余波で衣服は塵となり、胸から腹を裂く火傷の直線が刻まれてしまった。
「貴様ぁ!!」
すでに薙ぎ払っていた刃に、さらに怒りが込められる。
「にゃはっ」
躱された。
当たればこの世に確認できるすべての命が絶たれる一閃が、ふわりと、いとも簡単に。
「逃がすか!」
ナミラが追うが、先ほどまでとは戦局がガラリと変わった。
当たらない――――次々繰り出す技も、魔法も、かすりもしない。
「なんだ!? 動きが読まれているのか?」
「いんや? お前が遅いだけだにゃ」
「ぬかせ!!」
「私だっているッ!」
裸一貫でも臆することなく、アニは剣を振るった。
再び双演で手数を増やして燃える猫を襲うが、結果は変わらない。
「にゃはははははは! ナミラ・タキメノ、お前本当に弱くなったんじゃないかにゃ? その娘のほうが技のキレも速さも上に感じるぞ?」
「……言ってろ。その間に寝首を掻く!」
「ホントに眠たくなってきたにゃ〜……ん?」
シュレディンガーの感覚は、戦いというよりもすでに遊びの範疇にあった。
すでに飽きの兆候が表れていた彼の目に、ナミラたちの狙いが映った。
「あー、あの鬼から離したかったのか」
「気づいたか」
「でも、もう遅いよ。お望みどおりの本気で相手してあげるっ」
汗だくの身体に、さらに熱が込められる。
この日のために高めた力が、二人から天高く昇った。
「もういいにゃ。飽きた」
返されたのは、呑気なあくび。
わずかな関心も興味もなく、恐ろしいほど気まぐれに、熱いあくびがのんびりと流れた。
「魔祟火」
燃え盛る猫が呟いたのは、恐ろしく冷たい声だった。
おどろおどろしい火球が周囲に放たれ、触れるものを――――否、その熱と光が届く範囲のものを尽く燃え上がらせた。
「ニャアアアアアアああああ嗚呼嗚呼怨」
不気味な鳴き声が響いた。
愛らしい子猫を思わせておきながら、込められた負を隠そうともしない。むしろ声を聞く者すべてを呪わんとする無邪気な悪意に満ち、その悪意は大気を震わせた。
新たに生まれた炎が揺れる。
魂に刻まれた怨嗟を体現し、世界を燃やし尽くさんとする焔。
冷酷な揺らめきの中、立っているのはシュレディンガーただ一人。
そのそばには。
真っ黒な塊が二つ、横たわっていた。
「…………なにやってるのよ」
本来なら雲が漂う上空で、炎の賢者アヴラが吐き捨てるように呟いた。
「そんなの作戦になかったじゃない。なに馬鹿なことを」
心の底から湧き出た呆れを、ため息とともに吐き捨てた。
「まあいいわ。モモちゃんは無事みたいだし。アニはともかく、ナミラは私にとってどうでもいい存在だし。だから」
乗ったままの杖が光を帯び、形を変えていく。
それはナミラがモモに与えた杖と同じ。
核となるスフィアにより、魔法の力を高める古代ドワーフの技術の粋。
これこそが、女神シュワがアヴラに、ナミラのもとへ行くよう言いつけた理由だった。
「こっちは作戦どおりにやらせてもらうわよ」
燃える魔力が揺らめいた。
そしてモモの杖とは声色のちがう、いくぶん大人びた音声が空に流れた。
属性:陽炎
出力:0%
術式:魔喰
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