『それはまるで蜃気楼のように』
「モモ、シンの回復を」
「はいっ!」
二人に遅れてモモが飛んでくると、すぐさま回復の魔法を唱えた。
杖が形状を変え、黒焦げの体を癒しの光で包んでいく。
(あの杖……前に見たときも、魔法を数段強くしてたにゃあ)
猫の瞳は体表の熱さに反して、冷静に状況を見定めていく。
視線は膝をついたモモから移り、アニ、ナミラへと流れた。
そして――――。
「絶対になんかあるにゃあ」
警戒の声色に反し、浮かんだ笑みはプレゼントを開ける前の子どもじみていた。
見つめる先はナミラの上。
空に浮かぶ火の賢者アヴラが乗るのは、モモのものとよく似た杖だった。
「にゃあ! お前は降りてこないのかにゃ? 吾輩の力はお前の魔力由来のものにゃ。自分の魔法喰われて利用されて、悔しくは」
「よそ見とは余裕だな」
瞬間、シュレディンガーの懐で殺気の塊が襲った。
ナミラはすでに闘竜鎧気を身に纏い、刀を斬り上げた。
「にゃはっ」
気まぐれの挑発をしていても、シュレディンガーの警戒の中心はナミラにあった。
伸びた炎の爪で初撃を防ぐと、笑いながらもう片方の爪で反撃。
ナミラが躱すと、即座に互いの連撃が始まった。金と紅の軌跡が生まれては消えるのに、みるみるうちに空気を染めていく。
「……師匠」
アニは攻防を凝視しながら、シンに声をかけた。
短い間とはいえ、彼には直々の修行を受けた。その結果アニは、数年分では足りないほど強くなり、ナミラ救出という目的も果たすことができた。
受けた恩と感謝は計り知れない。
だからこそ今、アニの胸には聞いたことのないほど激しい音が響いていた。
「馬鹿、弟子が……さっさと……いけ……」
漏れ出る空気のほうが多く、声は途絶えかけている。
しかしシンは、まっすぐアニの背中を見ていた。
「風は……お前に吹いている……舞え、アニっ」
言葉通り、背中を押すそよ風を感じた。
アニは沈む砂の上を歩き出した。
まるで散歩をするかのように。
まるで舞台に上がる舞姫のように。
けれどその目の鋭さたるや、両手の剣が宿ったように恐ろしいものだった。
「闘魔融合、愛風」
羽衣に似た金色の光を纏い、アニは進んだ。
――――音楽が聞こえる。
いろんな音で奏でられている。
砂の音、風の声、目の前で起きている戦いの波動。
そして、なにより。
渦巻く怒りの激情が、戦いの幕開けを激しく彩っていた。
「鳥爛舞闘、陸の舞――――群青雉連剣」
すべてを断ち斬る金と燃やし斬る紅に、新たな色が加わった。
吸い込まれるような群青を纏った、黒と白の刃。
目にも止まらぬ攻防の中に、さも当たり前に。
流れる音に体を委ね、アニの舞が始まった。
「にゃっ、にゃあ!?」
あまりに自然に手数が増えたので、シュレディンガーは思わず声を上げた。
二人の剣はその隙を見逃さず、さらにテンポを上げて攻める。
ナミラの中のターニャの前世が、もはや自分を超えた少女の美しさを喜んだ。
「「はあっ!」」
三つの斬撃を受け、猫の手が痺れながら後ずさる。
直後。ナミラとアニは目配せもそこそこに、全力を振り絞った。
「真・斬竜天衝波!」
「拾の舞、天地鶴砲!」
黄金の竜と黒白の鶴が重なり合い、ハーモニーを生む咆哮を上げ、シュレディンガーに襲いかかる。
「ううううううにゃああああああ!」
深紅の猫の悲鳴は、不協和音と巨大な火球を作り出した。
ファイアボールとは比べ物にならない、湖面に映る太陽にも似た灼熱の塊。渦巻き燃え盛る炎に、竜が牙を、鶴が嘴を突き立てる。
「にゃがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
――――大破裂。
火球は熱波を撒き散らし、一帯の砂を吹き飛ばした。
「やった!?」
アニは髪と息を少しだけ乱し、期待を口にした。
手応えはあった。聞こえた声もまるで死の間際。たとえ倒せていなくとも、無事では済まないだろう、と。
「いや……」
しかし、ナミラは否定した。
同じ手応えを感じ、同じ声を聞いたにもかかわらず、どうしても疑心が拭えない。
シン相手にあった相性のアドバンテージも、こちらには通用しない。技の威力も申し分なかった。
勝利の要素はじゅうぶんにある。
なのに、毛ほども安心できないのだ。
「うーん、やっと頭がスッキリしたにゃあ。寝ぼけてたからにゃあ」
気の抜ける声がした。
しかし天地がひっくり返っても似つかわしくない重圧が、この場のすべてにのしかかった。
「なん……だ、と」
分厚い砂煙の向こうでなにかが動いた。
揺れている。
今までのシュレディンガーにはなかったものが、あり得ない高熱を発しながら、蜃気楼のように揺れている。
かの幻影とちがうのは、それが現実にあるという点。
そして目にした者は漏れなく恐怖を抱くという点にあった。
「さっ、死ぬ準備はできてるかにゃ?」
笑う炎猫の背後で揺れるもの。
見ることすら躊躇う神々しさで。
この世の炎をすべて束ねた凶悪さを持ち。
無邪気に気まぐれに、自由に揺れている。
二本の尻尾が、目覚めのときを喜んでいた。