表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魂の継承者〜導く力は百万の前世〜  作者: 末野ユウ
第五部一章 世界VS混沌
193/198

『炎猫VS鬼』

 ただでさえ乾燥した砂漠の空気がじりじりと灼け、小さな生物は逃げ場もなく息絶えていく。

 死骸は瞬く間に乾き、熱い風に攫われ宙を舞った。それらはすべて、空の一点へ集まっていった。


「にゃっはあああああああ!」


 乾いた空気を震わす歓喜の叫び。

 輝く緋色の混沌の子(カオス)シュレディンガーが、太陽を見上げていた。


「すまないにゃあ、小さき命たち。でも安心しろにゃ。その命、吾輩の力に変えてやる。いっしょにこの世界をぶち壊そうにゃ……まずは、あそこからかにゃあ」


 金色の瞳孔が伸縮を繰り返し、遥か遠くの景色を捉える。

 砂漠の民が数世代にも渡って開拓し、やっと築いた安住の地。エズトラの首都ピラミドの防壁と宮殿が、燃える爪と牙の標的となった。


「させるか」


 シュレディンガーの遥か上空で、大気が揺れた。

 

「にゃ!?」


 雨のように降り注ぐ風の刃。

 緋色の猫人は地上と変わらぬ身のこなしで躱し、業火の吐息で残りを薙ぎ払った。


「にゃあ、生きてたのか賢者。たしか風のやつ」


 男は冷たい瞳で見下ろしていた。 

 小柄ではあるが出で立ちは強者そのもの。今や正体を隠すことなく、額のツノを強烈な日の下に晒している。


「烈風の賢者シン・ミナトだ。覚えなくていい。お前はここで死ぬことになる」


 賢者の名に恥じない膨大な魔力が、波動となってシュレディンガーを襲う。

 しかし常人なら気を失う圧を受けても、舌なめずりと嫌味な笑みは消えなかった。


「馬鹿だにゃあ、お前。吾輩たちがなにを取り込んだのか忘れたのかにゃ? 超天魔法の化身の攻撃力と、お前たちの魔力だにゃ。そしてそれは今、吾輩の体に完全に馴染んだ。あのサンジェルマンにも勝る力に昇華しているんだにゃ。死にぞこないの賢者が、今さら吾輩に勝てるとでも?」

「勝つ必要はない。おれはお前を殺す。それだけだ」


 崩れない強気に、シュレディンガーは小さく苛立った。

 同時に「この強気な姿勢をどうへし折ってやろうか」とほくそ笑み、全身の毛を逆立たせた。


 それが猫に起因した能天気なのか、百万回でも治らなかった気質なのかは知る由もない。

 ただ、このときのシュレディンガーには大切なものが欠けていた。

 ここが独壇場の狩り場ではなく、すでに戦場に変わっているという認識が。

 目の前の男が、自分の想像を超えた力を持つかもしれないという危機感が。


 それゆえに――――砂漠は地獄と化した。


「ギフト発動。先天顕現せんてんけんげん!」


 雲一つない空が陰る。

 暗雲立ち込め雷鳴轟き、風は暴風となって逆巻き暴れた。


「ぐ、お、お、オ、オ、オ、オォ!」


 シンの青い肌が澄み渡り、体中の筋肉が膨張する。

 ツノと牙が太く伸び、幼さの面影は消えた。


 代わりに現れたのは、まさに鬼。

 地獄の番人とも言うべき魔人が、砂の空に現れた。


「おれのギフト『先天顕現』は、血の中に眠る祖先の力を呼び起こす。かつて魔族の暴れん坊と恐れられ、一族郎党鬼ヶ島に流された力だ。さらにおれの賢者としての魔力も加われば……敵はナイっ」


 シンが暴れる竜巻に手を入れると、凝縮し固められ荒々しい金棒の形に変わった。


「ふ、ふんっ! その程度で吾輩がだボッッ!」


 巨躯からは想像できない素早さはまるで風。

 暴風の金棒が猫の顔面を殴り飛ばし、砂の大地へ沈めた。


「試しでやったときは、これで殴ったものは粉微塵になったガ……」


 そのような手応えはない。

 生まれた流砂は螺旋を描き、蟻地獄のように沈んでいる。


「やるにゃ〜、お前」


 砂のひと粒ひと粒が真っ赤に燃え上がった。

 その中心から浮かび上がったシュレディンガーの体毛は同じ色に輝き、全身が深紅の炎と化している。


「まダまダ。ここからが本番ダ」


 鬼が不敵に笑った。

 次の瞬間、周囲は息の詰まる静寂に包まれた。


「荒々しき御霊、竜巻の爪、滅びの咆哮、尊大無二の不壊の牙。お前が駆けた大地には、一粒一塵の命も残らぬ。我、絶望を知る者、我、闇を見た者。我、希望を知る者。我、光に触れた者。世を蹂躙せよ、暴乱の神獣! 殲嵐白狐テンペスト・ジュピター!」


 荒れ狂う風が、目に見える一帯を支配した。

 それは獲物を睨む眼となり、牙を剥く口となり、研ぎ澄まされた爪となった。


 現界した時点でここは戯れの狩場。

 現界した時点でここは彼の腹の中。

 世界を蹂躙し尽くすまで止まない嵐の白虎が、深紅の猫の前に現れた。


「超天魔法!? 最高位唱えないと無理なんじゃ」

「賢者は探求を極めし者。超天魔法が発現してどんだけ経ったと思ウ。賢者がお前ら相手になんの対策もしないわけないダロウ」


 シンが両腕を掲げると、白虎が竜巻を分けた。

 先ほどを超える大きさの金棒が二本、鬼の両手に握られた。


「これで五分なんて思うナヨ? この姿なら、超天魔法を使っても魔力切れで死ぬ心配はナイ……さあ、覚悟シロ!」


 二振りの巨大な金棒と暴乱の爪がシュレディンガーを襲った。

 荒れ狂う嵐の中では、いかに混沌の子(カオス)といえど矮小に見える。成す術なく風に飲まれ、大気に帰る運命。


 ――――――――では、なかった。


「ばーか」


 触れた瞬間、風が焼けた。

 真っ赤に焼けて、灼けて、妬けて、燒けていく。

 猫の火種は一気に燃え広がり、嵐の白虎は断末魔を上げて消えた。


 あとに残ったのは砂の上。

 元の身体に戻り、黒く焦げたシン・ミナトだけだった。


「な……な、ぜ」


 辛うじて喋れるが、灼ける空気に喉が渇く。

 元通りに晴れた砂漠の空が、無慈悲に光を浴びせていた。


「知らないのかにゃ? 火は風で燃え広がるんだにゃ。そのせいで何度も焼け死んだからにゃー」


 ケラケラと笑いながら、シュレディンガーは枕元に立った。


「そ、その、くらい、知って、いる。だか、ら」

「風を乱気流にして延焼を防いでいた。それに青鬼の体は火を通さないはずだ。かにゃ?」

 

 歪曲した目と口が、紅の中に怪しく浮かび上がる。

 シンは初めて、目の前の敵に恐怖を抱いた。


「知ってるんだよ、鬼のことは。四十六回目と五十回目の猫のとき、鬼のそばにいたからにゃあ。そのときに見た。たしかに青鬼は火をほとんど無効にした。逆に言えば、火じゃなければ効く」


 シュレディンガーは笑いながら、足で器用に砂を掴み上げると、そのままサラサラとシンの顔に落とした。


「熱した砂なら大火傷にゃ! 風の中には巻き上げられた砂が大量に入ってた。火は警戒してても砂はぜんぶの気流を飛んでる。一部を熱してやれば、摩擦であっという間に広がるって算段だにゃ」


 烈風の賢者のプライドはズタズタに壊された。

 同じ相手に二度も敗れ、最強の技をいとも簡単に破られ、賢者ともあろう者が策略の裏をかかれた。


 しかも相手はまだ、実力の半分も見せていない。

 完全な敗北が、蘇った魂にまでのしかかってくる。


「んじゃ、バイバイにゃあ。せいぜい小娘女神に慰めてもらうにゃ」


 右手の爪が伸びた。

 炎がそのまま切れ味を帯びたかのような、恐ろしくも妖艶な爪だった。


「ちく……しょ……」


 煤けた唇がカサついた言葉を紡ぐ。


「あいつらが、来る前に……片付け、たかった……の、に」


 シュレディンガーの体が揺らいだ。

 体毛の火が怯えたように震えた。

 獲物にとどめを刺す絶好の機会に、強烈な冷水を差された感触があった。


「「鳥爛舞闘ちょうらんぶとう・双演! 弐の舞!」」


 三本の刃が低空で、しかも高速で迫ってきていた。


「「狩染燕かりぞめつばめ!」」


 襲い来る斬撃は、突進の速力と合わせて音速を超えていた。

 しかし、シュレディンガーは躱した。

 咄嗟に後方へ跳ね、斬れたのは尻尾の先のわずかな毛先のみだった。


「にゃあ……来たか、ナミラ・タキメノ」


 ナミラとアニがシンを守るように立ち塞がる。

 二人の面持ちはどこか大人びていて、今までよりもさらに精悍な顔つきをしていた。


「あぁ、来たさ。お前を倒しにな」


 風が砂を巻き上げる。

 砂塵の音が、舞台を楽しむ観客の拍手に聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ