第190話 『さようなら、愚かな失敗作の世界』【第四部完】
百万一回の転生者。
それはこの世界において、ナミラ・タキメノだけが名乗るもの。女神シュワから与えられたギフト『前世』のみが、その名を冠することを可能とさせる。
――――はずだった。
今この黒洞の地においてナミラ以外に六人が、その呼称を名乗る異常事態が起こっていた。
「こいつらッ」
ダンの額に冷や汗が流れる。
今やひとかどの強者となった彼は、わずかな情報とひと目の印象で、六人が超天魔法を取り込んだのだと見抜いていた。一人一人がナミラでさえ無事では済まないであろう、尋常ならざる魔力を孕んでいる。
しかし、汗の理由は魔力ではなかった。
「……重い」
アニの呟きを聞いた者は、自分が感じていた息が詰まる圧迫感の正体を察した。
彼らから感じる、流れた時間と思案の量、瞳が映した情景と肌が感じた事象、零した涙と流した血、慟哭と悲嘆、歓喜と落胆、得たもの以上の失ったもの、そして――――おびただしい生と死。
命の密度が生物の範疇を超えているのだ。
「ナミラと同じ数の転生者……『前世』のギフト・ホルダーってこと?」
「勘違いするなよぉザコ、話はよく聞けよぉバカ」
虫の男がデルをせせら笑った。
カマキリのような頭部に、カブトムシの角が伸びている。テントウムシの背に羽が畳まれ、合計六本の長い手足には小さな棘が生えていた。
「そんなつまらん能力といっしょにするニャ。吾輩の旅は女神シュワとは関係ないニャ」
「うむ。拙者らの魂は、お主らが廻る輪廻の外にある」
猫の女と犬の男は獣人にも見えるが、透き通る体毛は種族のそれとは別物。
猫は燃えるような紅色、犬は薄氷を思わせる長毛を揺らしていた。
「さきほども言ったというのに。なんと物覚えの悪い低能だろう」
極彩色の鳥の男は、どこかガルダにも似ている。
しかしその目に慈悲はなく、己以外のすべてを見下しているようだった。
「嬉しそうだな、トリの。まぁ、気持ちはわからんでもない。こうして見下ろせるときを、余らはずっと待っておったのだ」
魔物の顔は暗く、闇を纏っていた。
垣間見える双眸は金色に揺れ、首元まで伸びる牙は隠しきれていない。
「きみはわかってるだろう、ナミラ。ぼくたちが何者なのか」
裸の少年がささやいた。
並び立つ中で、もっとも華奢でもっとも弱々しい姿。なのに紡がれる言葉は誰よりも重い。耳にするだけで歴戦の勇士たちの足をすくませ、心に恐怖の種を撒いていく。
その様子に、セキガ平原の戦いを経験した者は誰もが既視感を感じた。「大天使サン・ジェルマンに似ている」と。
「お前たちは大いなる意思とやらが作った魂。つまり……天使と同じ存在だ」
睨み返すナミラだったが、言葉の中に確証はない。
けれど少年は微笑み、小さな拍手を送った。柔らかくあたたかい賞賛のしぐさは、放たれるオーラとのギャップで、むしろ不気味に映る。
「その通りだよ。さすがシュワのお気に入りだね」
「あの! 超天魔法を取り込んで、なにをするつもりですか! 賢者の皆さんはどうしたんですか!」
モモの叫びがこだました。
同時に杖が魔法陣を展開し、魔法の発射に備えた。すでに最高位魔法の呪文を唱えており、攻撃の準備が整っている。
「超天魔法魔法は、ぼくたちの力にさせてもらっただけだよ。あぁ、ついでに賢者たちの魔力ももらったっけ。でも大丈夫、普通なら死んでるけど生きてる可能性はある。だって賢者なんだろ?」
「このッ」
怒りに飲まれたモモの行動を、ナミラが体で制止した。
「お前たちの目的はなんだ」
「復讐と洗浄」
穏やかな視線で、優しい口調で、冷たい吐息が返された。
「ぼくたちはお前のような、半端ものの紛い物とはちがう。百万一回、すべて同じ種族として生まれてきた。天使が倒されるほどに世界が乱れたとき、代わりに浄化するために」
ナミラは言葉が出なかった。
彼の説明に証拠はない。謀り、動揺を誘う腹づもりかもしれない。
だが先ほどからざわめきの止まらない魂が、真実であることを絶え間なく告げているのだった。
「でもね? ぼく、きみ個人は好きなんだよナミラ? 今までの活躍はぜんぶ知ってるからね」
少年が艶やかに微笑み、体をよじらせた。
そして再び直立に戻った姿は、少年ではなく少女に変化していた。
「どう?」
「今さらその程度じゃ驚かない」
「うん、いいね。ところで気づいてる? ぼくたちはね、この世界に虐げられてきた種なんだ。お前たちが始めた歴史の中で、常に苦しみ見捨てられ、命を散らせてきたんだ。狩りに、差別に、気まぐれに、討伐に、戦火に。ずっとずっと、百万回も」
ふいに六人が顔を曇らせ、前世に思いをはせた。
「本当は魚と牛もいたんだけどね……ぼくたちは復讐のときを待っていた。力を手に入れ、世界を浄化するときを。さあ、ナミラ・タキメノ。そしてこの失敗作の世界に蔓延る愚者たちよ、大いなる意思の御言葉を伝える!」
声に呼応するように、世界中の空が本来の色を無くした。
ある場所では朝の晴天が橙に染まり、曇り空が緑に塗り替えられ、雨が茶色く濁り、雪が真っ赤に発光し、雷が水色に輝き、夜の闇が純白に作り変えられた。
人々が驚く間もなく、今度は六人の姿が全天に映し出され、声が降り注いだ。
「ぼくたちは選ばれし真の生命、混沌の子! 大いなる意思は世界を創り直すことに決めた。よって、増えすぎたお前たちには死に絶えてもらう! ぼくたち混沌の子は、その使命を受けた者。愚命どもよ、せめて最期は大人しく、従順に滅びよ!」
「極炎鳥降臨!」
謎と不吉に満ちた宣告ののち、間髪入れずに魔法が放たれた。
モモ渾身の最高位魔法は、火の賢者のものと遜色ない。
けれども空を焼く不死鳥が迫るのは、混沌の子らではなくナミラのほうだった。
「ふっ、バカめ! あまりの恐怖で狙いを誤ったかニャ!」
猫が嘲笑うが、モモはまっすぐな眼差しを崩さない。
「闘魔融合! 闘竜鎧気・炎翼の装!」
灼熱の炎を宿した刃と背中に業火の翼を生み、すかさずナミラが斬りかかる。
最も離れた兵士でさえ顔を歪ませる熱波にも、白髪の少女は微動だにしなかった。構わず竜心を振り下ろすが、見えない壁に阻まれた。
「詠唱障壁!? いや、なにかちがう」
「その火、吾輩に食わせろニャ」
焼ける舌なめずりがスルリと近づいた。
ナミラが見たときにはすでに、猫の混沌の子が燃え盛る炎に噛みつこうとしている。
「「させるかあー!」」
ガオランとアーリがひとつになり、ガーラの姿で槌を振るった。
「おらぁ!」
「私たちだって!」
ナミラには出遅れたが、他の者たちもすでに攻勢に出ていた。
ダンが犬に、デルが蟲に、アニが鳥に、魔王テラが魔物に。
それに続いて二千の攻撃が、生まれたばかりの混沌の子らへ降り注いだ。
「みんなつよいね。でも無駄だよ――――」
この世界でも選りすぐりの、なおかつ指折りの実力者が技を繰り出していた。
だが、届かない。
再び炸裂した光に阻まれ、弾き飛ばされてしまった。
「ぐあっ!」
闘魔融合も花びらのように霧散した。
ナミラはサン・ジェルマンとは異質な力を感じ取り、背中に悪寒を感じた。
「ナミラ、本調子じゃないみたいだね。つかれてるし、なにか悲しいことがあったみたいだ」
少女の瞳が哀れみをたたえて見下ろす。
視線を交わした直後、ナミラの魂がひどく揺れ、ざわついた。
「なんだ? どの前世も関係ないのに……この感覚はっ」
「もしかして、まだ知らない?」
「な、なにがだ」
「きみと世界の成り立ち。なるほど、そういうことだったのか。きみはまだ純粋な、《《ナミラ・タキメノ》》なんだね」
少女は仲間に目配せをすると、黒洞の上空へと浮かび上がっていった。
「ぼくたちも体が馴染むのに、少し時間が必要みたいだ。だから、今すぐ滅ぼすのは待ってあげよう。でもぼくたちはそれぞれのやり方とタイミングで、自由気ままに世界を滅ぼす。ねぇナミラ、そのあいだに必要なものを集めるといい。ぼくたちを止められるかどうかは、シュワのお気に入りであるきみ次第なんだから」
ふと、白く細い指がファラの乗る馬車を指さした。
「ぼくからのプレゼント。これで悲しくないだろう?」
「なにを言って」
「…………えっと、どういう状況だ?」
この場の全員が言葉を失った。
もしかしたら、混沌の子が現れたときより驚いたかもしれない。
妖精剣士で北の砦一の台所担当。死んだはずのナミラの父シュウ・タキメノが、馬車から出てきたのだ。
「父さん……いや、ありえない。父さんの魂はもう、輪廻の輪に取り込まれていたはずだ!」
「言っただろう? ぼくたちは女神シュワの理から外れてるんだ。必要なエネルギーさえあれば、魂を戻すことくらい簡単さ」
ファラの抱擁を受けるシュウの様子は、少女の言葉が真実である証明。
ナミラは眼光の鋭さを崩さぬまま、ほんの少し丸みを帯びた声を発した。
「どうして、父さんを」
「きみには全力でかかってきてほしいのさ。それに……ぼくだって人だよ? 人の中の人なんだ。だから、英雄が好きなんだ」
最後に見せつけるかのように、光がギラギラと輝いた。
「猫の吾輩はシュレディンガー」
「魔物の余はラリスン」
「蟲のミーはチュウヨウ」
「鳥の我はソシ」
「犬の拙者はダイア」
「人のぼくはネアン。また会おう、弱く愚かな命たち。次に会うときが、この世界の終わりだ」
六つの光玉は放物線を描き、世界各地へ飛び立った。
そのうち、どこへ落ちることもなく消えた。なのにじわりと感じる存在感が、理性ある生物の肌に纏わりつく。なにをしていても、どこへ逃げても、ぬぐえない薄刃の恐怖が喉元に突きつけられているようだった。
オンラとジルが知らしめた、前世がもたらす復讐劇。
世界を滅ぼし尽くさんとする怨嗟の脅威を、ナミラたちは身を以て知った。だからこそ、新たな敵への警戒心が尽きることはない。
ナミラだけでなく、彼らを見たすべての魂が、異様で異質な存在を感じ取っていた。
空が不気味なほど静かに広がる。
ナミラはシュウの復活を喜ぶ余裕もなく、ただ虚空を睨みつけていた。