『取り戻す』
世界がまるで、永い永い眠りについたかのように、一人の少年を中心に止まった。
怨念によって蘇った二つの前世。その怨みに支配されていたナミラは今、温かで穏やかな顔をしている。
ゆっくりとアニのくちびるが離れると、わずかに開いた口から光が漏れ出した。
――――光は瞬く間に暗き闇となり。
おびただしい汚水の如く、空へと吐き出された。
「「ゲえええええええええエエエエエエえええええええエエエエエエ!」」
不快に絡み合う声は、オンラとジルのもの。
頭上でとぐろを巻いた闇は踵を返し、再びナミラの体に戻ろうとした。
「悪いが」
待ち望んだ声がした。
顔つきは少年とは思えぬほど精悍。
眼差しに優しさと強さがにじみ出る、荘厳な魂の持ち主。
「この体は俺のものだ!」
ナミラ・タキメノが、太陽の下に戻ってきた。
「ナミラ!」
デルが投げた竜心を受け取り、ナミラは吠えた。
「真・斬竜天衝波!」
金色に輝く闘気の竜。
本来の力を取り戻した光竜は、復活を知らしめるかのように輝き、敵を衝いた。
「こんのおおおおおおお!」
オンラの雄叫びがこだまし、邪悪な竜が迎え撃つ。
呪具に宿る彼女たちは本来、前世ではなく、この世に留まる怨念そのもの。
ナミラが触れたことで前世としての自らを取り込み、ナミラの器から逸脱した自我を得た。そして同じように怨みを抱いた過去を持つ他の前世の力を奪い、怨霊の女王とも呼べる存在と化した。
しかし、肉体を離れてしまった今。ナミラ・タキメノの力には遠く及ばない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「ひっ!」
臆病か本能か、どちらにせよオンラが感じた一瞬の恐怖が結果を分けた。
禍々しい竜はみるみるうちに体を歪ませ、主の元へ押し込まれていく。
「な、なんで、どうやって自我を」
「くそお……くそお!」
闇が形作ったのは、生前のオンラとジル。
人族とエルフのちがいはあれど、痩せ細った体と怨みで染まった目は同じ。互いの右と左の手は固く繋がれ、一本の鎖のように見えた。
「父さんが来てくれたんだ」
対するナミラの瞳には、深い哀しみの色がにじんでいた。
「お、おいナミラ。それって」
「シュウさん……」
同じ色が仲間たちにも広がっていく。
何度も頭を撫でられ、守られ、お腹が痛いくらいに笑わせてくれた大好きな大人が、最期になにをしたのか。
シュウ・タキメノが、どうなってしまったのか。
たった一言で、少年と少女はすべてを察した。
「ぜんぶあとだ。言いたいこともやることもあるけど、ぜんぶあとにする。今はただ、俺はケジメをつけなくてはならない……自分が引き起こしたすべてに対して!」
爆発した感情と力が、周囲を駆け巡っていく。
熱く鋭い眼光が、オンラとジルを身震いさせた。
数多の強敵と戦い、政治にも口を出し、世界の危機を救った……そんな経験などないかのような、少年の純粋な怒り。
これまで向けれられたどの感情よりも、二人は目の前の憤怒が恐ろしかった。
「い……いや……」
「あんたの中にも! 怨みを抱いて死んだ者たちはたくさんいた! なら! 私たちの気持ちだってわかるでしょ!」
最期のあがきにも見える悲痛な声を、ジルはナミラへ投げつけた。
「あぁ、わかるよ。でも、幸せや優しさの中で死んだ者もいる。絶望も、希望も、この魂は理解している。だからこそ、どちらを今世に広めるか選んだ。未来に絶望を持ち越すわけにはいかない。死ぬほどの苦しみを知るからこそ、俺は希望を選んだ」
フッと、ナミラの目に温かな光が灯った。
「もう終わりにしよう、オンラ、ジル。怨むのも疲れただろう? お前たちの苦しみも、過去も、俺が覚えているから」
太陽の如き光が、怨念の塊を飲み込んでいく。
「ぎゃあああああ! ふっ、ふざけるなあああああ!」
ジルは最期まで抵抗し、逃走を試みた。
だが、黒い怨念は動かない。
もうひとつの人格が、それを拒んだのだ。
「オンラ! なにしてんの!」
「あんなに優しい瞳、はじめて見た。あんな眼差し、生きてるうちに向けられたかったな」
「…………っ!」
小さなふた粒の涙が轟音の中に消えた。
呪具は跡形もなく消え去り、二つの怨念は消滅。同時に、ナミラの中にオンラとジルの前世が蘇った。
「おかえり」
ナミラは胸に手を当て、魂に声をかけた。
そして駆け寄る仲間に感謝と罪悪感、言い様のない喜びを感じた。
「みんな、ごめん。俺のせいで大変なことに。モモ、あのときは本当にごめん。デルなんて……なんだその体?」
「かっこいいでしょ?」
得難い温かなものに包まれていく気がした。
けれどナミラの心には、ぽっかりと空いてしまった穴がある。
どれだけの人生を経験しようと、けっして慣れることのない冷たく大きな喪失感。
「ありがとう……父さん」
空を見上げた瞳からは、哀しみの雫が流れ落ちた。
震える肩をアニが抱いた。
彼らの間にはしばらく、厳かな沈黙が流れていた。
本当に本当にお待たせしました!
約三年ぶりの更新です(;^ω^)