『今こそ』
磨き忘れた刃に似た光が、重たく降り注ぐ世界。
地上の生物が成す術なく受け入れるなか、氷結の大輪は鋭く爪を立てる。
大気も光も、触れた一切を凍らせる。封じた者の末路など、語るのも馬鹿らしい。
しかしこの日、氷の超天魔法は二度目の崩壊を迎えた。
一度目は災厄の剣、魔喰。
そして二度目は、テーベ村の少年ナミラである。
「ギャハハハハハハハッ!」
絶氷にヒビが入り、乱れを知らぬ光が虹色の乱反射を放った。
同時に、裏返った奇声が天を衝く。声変わりを迎えた少年が、淀んだ瞳で世を見下した。崩れる巨大な氷が轟音を響かせ、滅びの不協和音が広がっていく。
「このときを待ってた! やっと、やっと、このときが来た!」
「今こそ復讐のとき! さぁ、いくよオンラ!」
「うん、ジル!」
一人二役の狂気。
しかし滲み出る魂は明らかに二人の女。
たとえ見た目が同じでも、何度も世界を救った面影は感じられない。
もはや、似た姿のべつの生き物。
だが、それでも。
諦めない者たちがいる。
「風精霊の魔弓!」
熱を失って久しい空気を、鮮やかに輝く風が巻き込んだ。
巨大な螺旋を描き、目覚めた執念へ放たれる精霊の矢。
北の三英雄の一人、レゴルスの放った精霊武装の技である。
「なによ!」
驚愕に顔を歪ませて、オンラは攻撃を防いだ。
かつてナミラに放ったものを遥かに超える威力だったが、ダメージはない。しかし、芽生えかけた冷静さを吹き飛ばすことに成功した。
「あれは……シャインエルフのレゴルス! 今さらお前如きがなんのマネだ! さっさと隠れ里に帰れ!」
「私だけのはずがないでしょう?」
止まぬ風を纏い、次の矢を手に取る。
それを合図に、二つの闘気が地中から跳んだ。
「闘技 流々奔竜・斬剛!!」
「突撃高貴剣!」
雄々しい光を放つ大剣と洗練された細剣。
それぞれ首と心臓を狙い、歴戦の技が惜しみなく発揮された。
「きゃあああああああ!」
悲鳴と共に爆発した魔力が、襲いかかったゴーシュとブルボノを弾き飛ばした。
「ぐっ!」
「ぬぅ!」
二人は素早く受け身を取り、飛翔の魔法でレゴルスと並んだ。
「なんなの? せっかくの嬉しい気持ちがっ! は、はじめてこんなに笑ったのにぃ!」
「オンラ、落ち着いて。ここはワタシに任せて」
取り乱していた気配が沈み、どす黒いオーラが増した。
「雑魚共がなんの用だ? 今さらお前たちになにができる? 賢者はどうした? わざわざ死にに来たのか?」
「なんにも分からないんだな。ナミラなら全部察するぜ?」
見下したジルの嘲笑を、ゴーシュが鼻で笑った。
「……馬鹿にしているのか? お前たちみたいな奴が一番嫌いなんだ。その年まで生きて、腹いっぱい食べて、結婚して、子どもを作って、笑って、幸せを感じてっ!」
膨れ上がる憎悪。
ナミラの内に秘められた魔力が、わずかな手心も見せずに顔を出した。
「おいおいおいっ! 独身の俺はあんま悪くねぇじゃんかよ!」
「だから前に貴族の娘との見合いに誘ったであーる! だが、堅苦しいのは苦手だと言ってクエストに出たのは、他ならないお前であーるっ!」
「あ、あのときは盗賊が悪さしてて」
「はっはっは! エルフの女性を紹介しましょうか?」
しかし、眼下の三人はいつもの調子で談笑した。
すべてを飲み込む大穴の縁で、すべてを滅ぼす力の前で。
まるで、ここが帰るべき故郷であるかのように。
「このっ……舐めんじゃ」
怒りの力を振るおうとしたジル。
だが、激しい悪寒が動きを止めた。
背後に背負うのは分厚い雲。飛ぶ鳥もいない、静寂の空。
しかし、その向こう。
遥か彼方に広がる星々との狭間に、死を感じさせる者がいる。
「斬波!」
「斬波であーる!」
隙を逃さず、二人の剣士が斬撃を放つ。
続けて撃たれた竜巻の矢と混ざり合い、体を押さえつける強力な力となった。
「な、なにを!」
「あぁ、そうだ。誰よりも先に俺たちが来た理由、教えてやるよ」
慌てふためくジルに、ゴーシュがニヤリと笑いかけた。
「死にに来たんだよ」
笑顔の真上で、昼間だというのに星の光が瞬いた。
しかし三人は知っている。
それが、彼らが命を預けた光だということを。
「……目標、拘束に成功しました」
音も吸い込む空の彼方に不釣り合いな、ひるがえるメイド服。
タキメノ家に仕えるゴーレムメイドのシュラが、飛行形態で地上を見つめていた。
「そうか。じゃあ、すぐに始めよう」
少女に抱えられた男が、腰の剣を抜く。
穏やかな表情で、それが当たり前のことのように。
ミスリルの魔剣を両手に持ち、全身で一振りの刃を模した。
「では、カウントダウンに入ります……ご武運を、シュウ様」
「あぁ、ありがとう。じゃ、行ってくる」
淡々とした声が、減っていく時を知らせる。
「ゼロ」
残っていた猶予も尽き、シュウ・タキメノは落下を始めた。
「そこか、ナミラ」
本来であればぶつかるはずの空気の壁も、身を切る寒さも感じない。
代わりに、緑、赤、青、黄の光が周囲に満ち、四人の王が姿を現した。
「我ら四大精霊王!」
「妖精剣士シュウ・タキメノの名の下にぃ!」
「忠誠誓いし主のため、愛する世界と恩義のために!」
「全霊の力をお貸し致す!」
握る柄に四つの手が重なり、大いなる風と火と水と土の力が宿る。
「大自然王剣!」
天より伸びる四色の光が、巨大な剣となって突き立てられた。
「ぎいいいいいいいいいいいいい!」
ジルは咄嗟に抜いた竜心と、高めた魔力で防御に徹した。
歯の隙間から叫びを発しながら、現世の父を睨みつける。
「な、なんなんだぁ! お前それっ、お前にできるはずが」
「……ナミラが精霊族との親和性を上げてくれたからなぁ。魔剣もあるし、もう何秒かは耐えられる」
体にヒビが入り、流れた血がすかさず蒸発する。
しかし、シュウは微塵の動揺も見せなかった。
「お、おい! お前たちも離せ!!」
「言ったろ? 死にに来たって。最近のガキども見てたら、このくらいしねぇと活躍の場がないんだよ」
「高めた彼らの力は、もっとべつのことに使ってほしいですからね。いやぁそれにしても、私はガルダ様の御力が間近で見れてエルフ冥利につきます!」
「……く、狂ってる」
「お前には言われたくないであーる。先ほどいろいろ言っていたであーるが、よく見ておくといい。これがこの年まで生き、世界に育まれ、愛を知り、子を成し、笑い、幸せを感じてきた大人が、最期に見せる生き様であーる」
消滅の間際にあって、笑い語る余裕。
ジルが思わず目を逸らすと、今度は低い声が耳を撫でた。
「お前の人生、相当に辛いものだったんだろう。だけどな、そいつは俺の息子だ。親として、なにがなんでも守らなくちゃいけない存在だ。お前の怨みがどれほど大きかろうと、俺たちには関係ねぇんだよ!」
ついに顔を出した、燃え盛る怒気。
歯を食いしばり、鬼気迫る形相にジルは震えた。
「ナミラを返せっ! 俺の息子を返せっ! 魂の奥底に押し込んでんだろう。あいつはな、小さい頃は暗いところが苦手だったんだ。ふくろうの声にもビビッて、いっしょの布団じゃないと寝られなかった。でも、他人のことを思いやれる優しい子で、俺とファラの宝物なんだよ!」
一粒の涙が、蒸発を免れ空を飛んだ。
辺りに満ちる光を映して、美しく輝きながら。
「ナミラああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
大人たちの意地と生き様が後世を憂い。
父親の愛が我が子を叫ぶ。
ほんの少しの迷いも死への恐怖も。
彼らの胸には存在しなかった。