『猶予』
テオが近くに生えていた草へ結果を囁いた直後。
不安を抱く世界に対し「大罪人を氷の超天魔法が貫いた」と雷迅のガルフが声明を出した。人々は安堵し、新たに偉業を成し遂げた若き賢者に賞賛を送った。
しかし、真実を知る者たちは動きを止めることはない。
来たる目覚めの日に向けて、胸に誓いを、瞳に覚悟を宿して進む。
「『雷父推参!』」
「『滅腕覚醒!』」
ガルフは袂を分かつ三人の賢者を、自らの名を冠するガルフ平原にて迎え撃っていた。
「また力を付けたようだの、ゴンザレス」
「おうよ! 最強の賢者の称号、今日こそ渡してもらう!!」
上空で拳を交える雷の化身と溶岩の巨腕。
ゴンザレスに呼応し、すべてを溶かす熱が輝きを放っていく。
「私たちも」
「忘れてもらっては困ります!」
続いて、火と白の魔力が迸る。
三種の最高位魔法が、たった一人に牙を剥こうとしていた。
「……以前の儂なら、最強など惜しくもなかったがな。じゃが、今はその肩書きを守らせてもらう!」
使い込まれた杖が震え、轟音の雷父と降り注ぐ落雷が蒼から紅に変化していく。
平原を常に壊す雷たちは、かつてガルフが放った最高位魔法によって生まれたもの。自然界の魔素を巻き込んでいるが、その起源には雷迅の魔力が刻まれている。
故に。
この一帯に満ちるすべての雷光が、ガルフの力となった。
「『大雷電!』」
無差別な光が天地を貫き、無慈悲な爆音は大気を薙ぎ払った。
上級魔法を超える落雷が豪雨の如く降り注ぎ、逃げ場を奪う。
怒号を放つ雷の父は、御身と琴線に触れる者を許さず、抑えられぬ爆雷を流した。
溶岩の最高位魔法は砕け散り、ゴンザレスは波動に倒れた。アヴラとアンネは雷の雨に耐えられず、詠唱もままならない痛みに膝をつく。
「な、なんですか、これは……」
「儂は儂なりに、最高位魔法を超えようとしておったんじゃよ。化身による奥義の発現。超天魔法には劣るが、儂でもお前さんたちを圧倒できる」
術の終わりと共に、永く平原を覆っていた黒雲が晴れていく。
「かぁ〜っ! 賢者三人相手にこれか! やっぱ強いのぉ、ガルフ!」
「さすがです、ガルフ殿。よろしければ、今度その奥義をご教授願いたい」
「言ってる場合ですか!」
賞賛を送るゴンザレスとアヴラに対し、教師のようなアンネの叱責が飛んだ。
「なんじゃ、アンネ。名付けて化身奥義。すごくないかの?」
「それはすごいですが! この機会を逃すわけにはいかないのです! 大罪人が封印されている今こそ、討伐のチャンスなのですから!」
「そうじゃな。じゃから、全快でないアヴラを無理やり引っ張ってきたのじゃろう?」
「分かっているならどきなさい。教会が行っているセリア王国への支援や結んだ協定を、すべて破棄してもいいんですよ?」
「それは困るのぉ」
セリフとは裏腹に飄々とした態度に、聖母はイラつきを隠せなかった。
「ガルフ殿。なにを企んでいるのですか?」
炎美のアヴラが静かに口を開いた。
若くして賢者となった天才少女の目は、本質を見極める鋭さを宿している。
「うむ、実は取引をしたくてな」
「取引?」
訝しげな三つの顔を前に、ガルフは魔法の絨毯の上に座った。
「ナミラくんが封印されて一ヶ月。こちらでも彼を救うため、着々と準備を進めておる。この場に来たのが儂だけなのも、そのためじゃ。皆、いろいろと手一杯でのぉ」
「けっ! 嫌味か」
「アレを正面からくらって悪態つけるお主も、十分バケモンじゃわぃ」
痺れて動けないゴンザレスに苦笑を返しながら、ガルフは続けた。
「残り五ヶ月。それだけあれば、アヴラの怪我も完全に癒えよう。協力者の準備も整うはずじゃ」
「なにが言いたいのです」
「一時休戦といかんか? そして、もし儂らの企てが失敗したならば、そちらの邪魔は一切せん。いや……こちらの陣営も討伐の戦いに加わろう」
乾いた土が、風に乗って巻き上げられる。
寂しい匂いが、四人の鼻を撫でた。
「どういう風の吹き回しですか? 彼に賭けたのでは?」
「考え得る最善最高の策なのじゃ。もしこれで上手くいかなければ、儂らにできることはなにもない。すでにクインには話をつけた。お前さんたちはどうする?」
「あの男は……」
苦々しく顔を歪ませるアンネだったが、残りの二人と視線を合わせ、頷いた。
「いいでしょう。一時休戦とします。ですが、そちらの協力などは致しません。もちろん、クインもです」
「うむ、承知した。礼を言うぞ」
アンネはフンッと鼻を鳴らすと、身動きの取れないゴンザレスに肩を貸した。
「おっ、優しいじゃねぇか。抱かれてぇのか?」
「海の真ん中で捨てますよ?」
転移の魔法で二人が消える。
残されたアヴラはガルフと向き合い、泣きそうな顔を見せた。
「あの、モモちゃんの容態は」
「心配いらんよ。峠は越えて、今は回復に向かっとる。もうすぐ意識も戻るじゃろう……ありがとう、アヴラ」
今は敵同士といえど、元は同じく魔道を志す者。
若人は年長の経験を尊敬し、老人は若い才能を認めていた。
「それならよかった……では」
ホッと笑った顔は、年相応の少女のものだった。
頭を下げたアヴラも消え、ガルフはおもむろに空を見上げた。
「さて、彼らの様子を見に行くか」
しかし、途端に体の力が抜け、最強の賢者は杖を落とした。
膝が土をえぐり、口から溢れた赤い血が焦げた大地を濡らす。
「ぬぅ……さ、さすがに無茶をしたかの。それに、もう若くはないか……」
溢れそうになった弱音を、両の拳で握り潰す。
脳裏に浮かんだのは愛する娘と、今は亡き友の顔だった。
「まだじゃ。まだこの命が尽きるときではない。あの子に、のちの世代に希望を遺さねば。こんな中途半端で倒れては……今度は儂がフラれてしまうわ」
自分を笑い、杖を拾う。
その後、音もなく雷迅の賢者はいなくなり、ガルフ平原は名実ともにただの平野となった。