『計画』
魔王テラたちが、ムクから話を聞き始める少し前。
最高位魔法を唱え始めたアンネの魔力を感じ取り、魔王城は騒然としていた。
「まずい! 溶岩の最高位魔法は防げても、白魔法は相性が悪い! ヴラドとマーラがっ!」
ナミラはバイダンが破壊した窓に走り、テーベ村へ飛ぼうとした。
「お待ちください! ナミラ様はここに!」
「行ってはなりません!」
タキメノ家のメイドたちが、慌ててそれを阻止する。
シルフィとプリンが立ち塞がり、クルルとヴェルが体を押さえる。だが、ナミラは止まらない。
「離せ! どけ! 賢者の狙いは俺だ! 十秒意識を保てば、ナスミキラと逆方向に飛ぶことだってできる!」
「ダメだよ」
舌足らずな幼女の声が、不自然に震えた。
ナミラが振り返ると、濃紺の光に包まれるテラの姿があった。北の大地に充満する瘴石の力が、小さな体に集束していく。
「テラ……お前」
「私がいく。みんな、ナミラのために頑張ってるんだから、ナミラは行っちゃダメだよ」
近づく歩幅が次第に広くなり、ナミラの腰のあたりだった身長が胸元にまで達した。
「だけど」
「信じて。私は魔王だよ?」
光が消え、成長したテラの笑顔が花開く。
自信に満ち溢れ、見る者に安心感を抱かせた。
「……分かった。頼む」
「うん!」
固く握られた拳を解き、ナミラは頭を下げた。
明るく応えた少女を、遠くの光が照らし始めた。
「タキメノのメイドたち、ナミラのことを頼んだよ。ムク、留守の間はあなたに任せる」
「「はっ!」」
「お気をつけて、魔王様」
テラは伸びたツインテールを翼に変え、軌跡を残さぬ超スピードで飛び去った。
「……なんて無力なんだ。俺は……俺はっ」
「こちらへ、ナミラ様。テラ様のお力があるとはいえ、ここの風はお体に触ります」
シルフィに促され、ナミラは散らかったままの食卓を振り返った。
一陣の風が、ろうそくに灯った魔族の蒼い炎を揺らす。
「お前がナミラ・タキメノだな?」
聞き慣れぬ男の声に、その場の全員が臨戦態勢を取った。
声の主はフードを深くかぶり、先ほどまでナミラが座っていた椅子で肉を貪っている。
敵意や怪しい所作はなく、ただの食事をしているだけ。
問題は、このときまで誰一人として男の存在に気付かなかったという点である。
「貴様、何も」
ナミラが言い終わる前に、四つの影が素早く動いた。
揃いのフリルを揺らしたメイドたちが、憤怒の形相で飛びかかる。
「そこはナミラ様のお席です!」
「勝手に食べちゃダメですよぉ?」
「うー、お前、どけ」
「ぶっ潰す!」
クレイモアを構えたシルフィ。
首から下をスライム化したプリン。
両手に魔力の玉を持つクルル。
渾身の力で拳を握るヴェル。
個々の力は魔族の中でも上位。さらに四人揃えば、四天王にも迫ると言われる可憐な実力者たち。
そんな彼女たちの攻撃を。
強烈な風が弾き飛ばした。
「きゃあ!」
「わっ!」
「うー」
「うおぉ!」
それぞれ柱や壁に叩きつけられ、全身に強い衝撃を受けた。
しかし男は肉を頬張ったまま、身動き一つ取っていない。
「うるさいメイドだな。そこでそのままパンツ見せとけ」
軽く指を動かすと、強風が四つに分かれメイドたちの動きを封じた。
ついでにスカートをめくり、乙女たちにあられもない姿を強制した。
「ははは。なんだ、それぞれ個性的で楽しませてくれるじゃ」
終始余裕だった男の目に、驚愕が宿る。
斬りかかったナミラの竜心が、いつの間にか眼前に迫っていた。
「くっ!」
再び発生した風の護り。
しかし、怒れる刃は物ともせずに振り抜かれた。
男は後ろに飛んで避けたが、代わりに被っていたフードが犠牲となった。
「風を止めろ。何者だ、貴様」
「実力は噂以上か。一応、無礼を詫びておこう」
メイドたちに吹いていた風が止み、着地した四人は慌ててスカートを押さえた。
「おれは風の賢者。烈風のシン・ミナトと呼ばれている」
露わになった顔に、ナミラは目を見開いた。
「鬼人族! 東の魔族か!」
東の端に浮かぶ孤島、鬼ヶ島。
そこで暮らす魔族は独自の進化と繁栄を遂げ、魔王との繋がりを持たぬ歴史を築いていた。彼らの祖先はゴブリンたちに近いが、額の角と赤や青といった肌の色が特徴とされている。
好戦的な性格とドワーフ顔負けの鍛冶技術を持っており、ナミラの持つ竜心もテーベ村の鍛冶師ゴムダムが鬼ヶ島で学んだ『刀』を元に製作してもらった。
「珍しいか? まぁ、西の大陸ではあまり見ないか。おれも舟が漂流して流れ着いただけだし」
「……俺を殺しに来たのか?」
警戒を強めるナミラ。
背後では、シルフィたちが再び襲いかかろうと身構えていた。
「おれはお前を救う派だ。ガルフのじいさんから……聞いてはないか。というか、まだなにも話していないようだな、ムク」
声をかけられ、今しがたの戦闘にも動かなかった四天王が口を開いた。
「それはこちらのセリフです。まさか聖母と激熱の賢者が来るとは。上手く抑えてくれるのではなかったのですか?」
「あの二人とアヴラは、賢者の中でもとびきり頑固なんだ。それに、それはクインの仕事だ。文句ならあいつに言え」
二人の会話に場が騒然とする。
メイドたちも耳を疑ったが、ナミラは冷静に様子を伺っていた。
「ムク、説明をしてもらおうか? まさかテラを、ナスミキラを裏切ったわけじゃないよな?」
「滅相もございません!!」
高速で根の足を這わせ、ムクはナミラの足下で跪いた。
「すべては魔王様とこの国、そして貴方様をお救いするためでございます! ワタクシは、幼少の頃より花園の賢者クインと良き友でございました。賢者会議が開かれる直前、ワタクシは彼に相談をしていたのです。ナミラ様をお救いする手立てはないのか、と」
テーベ村では白と黒の衝突が起こり、激しい振動が魔王城にまで達した。
幾人もが足を取られる中、ナミラとムクは微動だにせず向かい合っていた。
「それで?」
「策が見つかるまでの時間を稼ぐため、クインは排除の一派に入り、彼らの動きをできるだけ抑えるはずでした……今回は後手に回りましたが今、テーベ村へ向かっております」
言葉のひとつひとつを紐解くように、ナミラは耳を傾けた。
現状、ムクからは邪な企みや嘘の気配はしていない。
「お前の気持ちは分かった。なら、烈風の賢者はなにしにここへ来たんだ?」
風を操り果物を呼び寄せていた赤鬼は、甘い果肉を食んで答えた。
「お前を迎えに来たのさ。どうにかなりそうな方法が見つかったんでな」
「本当か!?」
これまで冷静だったナミラが取り乱し、シンの肩を掴んだ。
「この呪いを解くことができるのか? ライアの前世でも不可能なのに、いったいどうやって」
「――――舐めるなよ、ナミラ・タキメノ」
低く呟いた声は、まるで抜き身の刀を思わせた。
「……まぁいい。今はそれどころじゃない。おい、縞々とレースと白とリボン。お前たちは屋敷へ戻れ。あとのことは、執事のおっさんに聞け」
「「パンツの柄で呼ぶなっ!」」
重なった抗議の声を聞き流し、シンはナミラの手を握った。
「お前はおれと来い。おれは魔法と魔族としての力の両方を操れる。瘴石の力を借りて、ここの風を纏わせていく。道中で暴れる心配はないはずだ」
「あぁ、助かるよ。みんな、悪いけどテラたちによろしく伝えておいてくれ」
向けられた微笑みに、その場にいた魔族たちは深々と頭を下げた。
「そんじゃムク、計画どおりにいくぜ?」
「承知した。ナミラ様、勝手な真似をして申し訳ございません。重ねて謝罪を」
「気にしてないよ」
さわさわと揺れる頭の葉を見つめ、ナミラは明るく言った。
「争いが起きて最初に犠牲になるのは、いつだって草花や木々だ。ムクはそんな命を守ろうとしたんだろ? 植物だった前世を持つ者として、感謝しかないよ」
ナミラは意図せず、その後のテラと同じことを口にした。
彼らに強い繋がりを感じることができたのは、両者の言葉を聞いたムクだけだった。
「じゃあ、いってくる……って、どこに?」
「あぁ、そうだな。先に教えといてやる」
ニヤリと笑った鬼の顔は、どこか楽しんでいるように見えた。
「あの世とこの世の境目だ」
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