『白と黒と彩り』
「さぁ、白き清浄なる大地へ」
アンネは自らの魔法に微笑んだ。
最高位魔法である救主誕生は、白魔法が持つ浄化の力を極限まで高めたもの。あまりの波動に建築物などは瓦解するが、理性ある生き物は悪人を除き生き残る。しかしその心から邪を生む記憶は消え、皆が赤子のようになってしまう。この光を浴びた者が元の人格に戻ったという記録は、未だにない。
そして白魔法を弱点とする魔族は、心はおろか肉体さえも消滅することが確認されている。
「テーベ村の勇気ある者たちよ。教会にて、今度は神の子として育ててあげましょう。ガイ、お前は再びわたくしの下に来るのですよ」
高まる光が一帯を照らし、聖母の視界にはナスミキラの黒き大地すら見えなくなった。
「――――えっ?」
しかし代わりに、蠢く闇が押し寄せる。
「きゃあ!」
成す術なく呆然としていたマーラを、黒の波が包み込んだ。
闇は背後に広がる魔族の国から襲来し、白の最高位魔法と拮抗を見せている。
「こ、これは」
初めての感覚に戸惑いつつ、全身に触れる闇に害がないことを確認した。
「マーラ、大丈夫?」
少女の声がした。
自身が知るものよりも、少し大人びている。
だが、分からないはずがない。
彼女はマーラが命を分けた娘であり、忠誠を誓う主君であり、魔族を率いる王なのだから。
「魔王様!」
「このまま押し切る。掴まって」
たどだどしかった言葉遣いに、強者の威厳が滲む。
つい先ほどまで人族の三歳ほどだった見た目が、ナミラたちが初めてガルゥと戦った十歳の姿へと成長していた。
「魔王竜爆波!」
かつて魔王ルクスディアも放った、複眼を持つ闇の竜。
魔王の怒りを体現した巨大なドラゴンは、先代とテラの決定的な違いを物語っていた。
「くっ……馬鹿な!」
荒れ狂う黒竜を光の巨人が迎え撃つ。
ぶつかり合う闇と光の中で、魔王と聖母の視線が交わった。
「あれが魔王……」
「お前か。みんなをいじめたの」
たった数秒が、アンネには一昼夜にも感じた。
自らに向けられた怒りと眼光に込められた殺意。
それらが思考を奪い、肉体を硬直させ、呼吸すら躊躇わせた。
「こ、この糞餓鬼があああああああああああああ!」
「だいきらい」
巨人の光は押し切られ、術者の眼前にまで漆黒の牙が迫る。
「はあああああああああああああああああああああっ!」
だが偉大なる抱擁が巨竜を締め上げる。
その体に牙が食い込み、やがてどちらも風船のように破裂し、消滅した。
「……なんてこった。あれを見て、まだ酒の味を覚えてやがるとは」
舞い散る銀色の残滓を見上げながら、ガイがぽつりと呟いた。
「だけど」
「うむ、悔しいであーるな。我々は……また子供に助けられるのか」
歯を食いしばり、握った拳を今にも自分に振るいそうなゴーシュとブルボノ。
溢れ出る感情はテーベ村の住人に伝播し、全員がなにも言えず、手の届かない戦場を見つめた。
「まさか、目覚めたばかりの魔王がここまで」
大地に降り立ち、アンネとテラは向かい合った。
白魔法の賢者として、アンネはまだナミラ討伐にあたるだけの余力を残している。しかしそれでも、魔王の力は彼女の予想を超えていた。年端もいかない少女の冷たくも焦げ付くような視線が、聖母に危機感を抱かせる。
「魔王様。申し訳ございません」
背後に控えるマーラが、弱々しく頭を下げる。
「謝ることないよ。マーラたちは本当に頑張ってくれたから」
「ですが……ヴラドが」
言葉に詰まるサキュバス・クイーンの視線の先には、変わり果てた吸血鬼王。
すべてが積み上がったとしても少なく思える灰の山が、静かに鎮座していた。
「魔王テラ。わたくしは聖母の賢者アンネ・ルーモス。この度は」
「黙って」
テラは世界中が拝聴を待つアンネの言葉を遮り、一瞥もしないまま配下の亡骸に手をかざした。
すると魔王の刻印が浮かび上がり、熱く輝きを放ち始めた
「起きて、ヴラド」
次の瞬間。
灰が渦巻き黒く染まり、瞬く間に吸血鬼の肉体を創り出していく。
やがて息遣いと鼓動が聞こえ、忠誠を誓う夜の王が復活を果たした。
「ヴラドっ!」
「い、いったいこれは……吾輩は死んだはずでは」
喜び飛び跳ねるマーラを尻目に、困惑する張本人。
しかし、目の前の少女が主君だと気づくや否やすべてを悟り、膝をついた。
「魔王様! 此度の敗北、申し訳ございません! この全盛たる魔族の時代に、四天王筆頭としてあるまじき失態でございます!」
「いいんだよ。ヴラドはよくやってくれた」
下げたままの頭が、柔らかく包まれた。
優しく抱きしめられた老紳士が、微笑む少女に髪を撫でられている。
「わたしが転んだり、ごはんをこぼしたときさ。いつも言ってくれるじゃん。諦めず、またチャレンジすればいいって。ヴラドだってそうなんだよ? 一回負けたくらい、どうってことないよ。だって、ナスミキラの四天王筆頭はヴラドしかいないんだから」
声を殺した吸血鬼が大粒の涙を流す。
新しい肉体に、膨大な感謝と忠誠心がとめどなく満ちていった。
「ありがとう……ございます」
やっと言葉を口にしたが、一言が精いっぱいだった。
「うん、いい子いい子。まだその体に慣れないだろうから、マーラといっしょに下がってて。あとは、わたしがなんとかする。バイダンは」
「お届け物だぜ~」
野太い声と共に、テラの頭上に影が広がった。
意識を失ったデス・トロールの巨体が二人を押しつぶそうとするが、優しい魔力がバイダンを包み、ゆっくりと地面へ下した。
「バイダンもよくがんばったね」
「ゴンザレス! やっと来ましたか!」
顔についた土を払ってやる魔王と、並び立つ仲間に吠える聖母。
なにも知らぬ異世界の者が見れば、肩書きが逆だと思うかもしれない。
「あれが魔王か。見た目はただの嬢ちゃんだが……なるほど。こりゃあ、とんでもねぇ化け物だ」
「えぇ、そうです。ほらっ、祝福を分けて差し上げます。これでまた最高位魔法が撃てるでしょう」
手をかざしたアンネから、信仰を糧とする魔力がゴンザレスへ流れ込む。
「おぉ、ありがてぇ!」
「わたくしが時間を稼ぎますから、その隙に最高位魔法を。続いてわたくしも放ちます。そしてそのまま超て」
「いや、ワシはもう戦わん」
訪れた沈黙。
しかし、聖母の金切り声がその空気を裂いた。
「なぁにを言ってやがりますか! 賢者の中でも戦闘狂のあなたが! ほらっ、魔王ですよ!? 血沸き肉躍るとかないんですか? その筋肉は飾りですか!」
「そんなこと言われても、ワシはバイダンに負けちまったからなぁ。この雀が鳴いてる空がなによりの証拠だ。溶岩の最高位魔法をたった一人に防がれちゃあ、賢者一の武闘派が泣くぜ」
足下に杖を置き両手を上げて、ゴンザレスは降参のポーズを取った。
「いい四天王だな、魔王の嬢ちゃん。そいつが起きたら、また遊ぼうぜって言っといてくれや」
「うん。わかった」
「なにを呑気に……このまま終われるわけが……こうなったら、わたくしだけでも」
ワナワナと震えるアンネを、テラが鋭い目で見つめた。
「ハイハイハイハイ! そこまでよぉぉぉぉぉ!」
突如響いたテンションの高い声と、辺りに広がる甘ったるい花の香り。
同時に『冥樹』の魔法がアンネとゴンザレスを絡めとり、身動きを封じた。
「なっ!」
「あいつか……」
「そうよぉ! 私が草樹の賢者にして、世界を彩る美しき花!」
本来、冥樹には咲かないはずの色とりどりの花が咲き乱れ、舞い降りる色黒の男を飾った。
「花園のクイン・マーガレットよぉぉぉぉ!」
長い手足と柔軟性を活かした、バレエを思わせる決めポーズ。
仲間である二人は呆れ顔で見つめ、ヴラドとマーラは呆気にとられた。
だが魔王テラだけは目を輝かせ、元気のいい拍手で迎えていた。
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