『聖母VS夜の王2』
存亡の危機に瀕するテーベ村は、暗く重い空気に包まれていた。
戦いを見守る住人たちは、皆一様に言葉を失い複雑で悲痛な表情を浮かべている。
「アンネ様が……」
理由は空に浮かぶ血みどろの塊。
流れ滴る赤い血が、陽光を浴びてキラキラと輝いている。その血は聖母アンネ・ルーモスのものに他ならず、彼女は世界最大の宗教、二神教の最高権威。特に人族から厚い信仰を集めており、テーベ村の住人も例外ではない。
自らの命と故郷を奪おうとしていようと、その死を目の当たりにしてなにも思わないわけにはいかなかった。
「さて、元々は対聖女用に開発したこの技。もはや生きてはおらんだろう。にしても……やはり昼に大技連発は堪えるな。刻印と瘴石の加護を受けてこの疲労感とは、はやく棺で休みたいものだ」
照らしつける太陽を忌々しく見つめ、ヴラドはため息をついた。
それから森へ視線を向け、奮闘したであろう同士の救出へ赴こうとした。
「油断するなヴラドっ!」
しかし、村からの怒号が後ろ髪を掴んだ。
それは哀悼の沈黙が広がる中で、唯一鋭い視線を送っていたガイのもの。
弟子として幼少期から青年期を共に過ごした彼は、アンネ・ルーモスという存在をよく知っている。
だからこそ、現状が終幕とは思えなかった。
聖母の強さも、恐ろしさも。
こんなものではないのだから。
「まだ終わってない!!」
夜な夜な酒を酌み交わす友の、必死の叫び。
これまで築いてきた絆と彼の奮戦を知らなければ、人間の言葉などヴラドには届かなかっただろう。
途絶えた残心を復活させた瞬間、聞こえるはずのない声が聞こえた。
「『――――聖光波』」
白き光の帯は、北果てのテーベ村から王都の空を繋いだ。
触れてしまったヴラドの左腕は跡形もなく吹き飛ばされ、塵となる激痛が襲った。
「ガイめ、余計なことを。あと二秒反応が遅れていれば、腰から上を消せたというのに」
霞みかけた視界を保ち直し、ヴラドは敵の姿を見た。
自身が解かねば存在し続ける血の乙女は、無惨にも崩れていく。神々しい光の中で笑う聖母は、傷ひとつない体をしていた。
「馬鹿な……なぜ無傷でいられる?」
「聖女如き餓鬼を想定した技が、このわたくしに通用するとでも? わたくしは《《聖母》》ですよ?」
嘲笑が風に乗り、吸血鬼の耳をくすぐる。
「ならば、あの流血はなんだ? あの匂いは、間違いなく貴様のものだったはず」
「あら気持ち悪い。血の匂いを嗅ぎ分けるなんて。お前如き下郎に教えることなどありません」
怒りを呼ぶ不快感を感じながら、ヴラドは自らの血を操って止血を施した。
しかし、白魔法で受けた傷は治りが鈍い。
「自慢の操血術も、これは癒やせまい。今この世から消し去って」
「生魔球!」
桃色の球の雨あられが、不敵な笑みに降り注ぐ。
同時に上空から舞い降りたマーラが、ヴラドへ生気を分けた。
「ほら! これで少しは回復するでしょ!」
「マーラっ! なにをしている! 村の防衛はどうした!?」
「そんなこと言ってる場合!? 相手が悪すぎるっての! それに、村はちゃんと結界張ったから大丈夫よ!」
「あらあら、また目障りなのが一匹」
炸裂を続けていた光球がかき消され、薄ら微笑む聖母が侮蔑の視線を向けた。
「失礼しちゃうわん。お肌のハリについてお話しないのん?」
「必要ないわ。いかがわしい行為を好む貴様とは、美の根源が違う」
「信仰の力よねん?」
直接的な争いはなくとも、今も戦いは続いている。
女同士にしか分からぬ火花が、二人の間に咲いていた。
「あなたは世界中の信者から、その存在を望まれているわん。だからこそ可能となる、死すら癒やす究極の回復魔法。その名も蘇生奇跡」
「ガイね? 本当に邪魔ばかり……その通り、白魔法にのみ発現する二つ目の最高位魔法です」
深いため息も、もはや演出にしか見えない。
不死身の謎を看破されてなお、聖母の威光は陰る兆しも見せなかった。
「それは先々代の魔王様のとき、勇者が使っていた魔法だ。なるほど、納得がいった」
「だったら、倒し方も分かるかしらん?」
「いや……結局あのときの魔王様は殺されてしまったからな。役目を果たした勇者への信仰が消えることで、初めて効力を失ったのだ」
記憶を辿り未来の計画を立てても、絶望的な状況はなにひとつ変わらない。
「そろそろいいかしら? もうひとつの最高位も、ついでにお見せしましょう」
アンネが杖を両手に握ろうとした瞬間、二対の黒翼が同時に羽ばたいた。
吸血鬼と淫魔。
互いに夜の王、夜の蝶と名高い魔族が渾身の力で襲いかかったのだ。
「裂血剣!」
「淫魔爪!」
歴代の同族を遥かに超える実力を持つ、四天王。
彼らの速さを以てして、白い肌に傷をつけることすらできなかった。
「『慈愛の化身 気高き微笑み……』」
「おおおおおおおおおおおおおお!!」
「はあああああああああああああ!!」
柔らかな呪文をかき消すように、ヴラドとマーラの雄叫びがこだまする。
しかし、詠唱障壁が目の眩む輝きを増し、絶え間ない二人の攻撃を防いだ。
「『迷える子羊 傷ついた仔馬 泣き止まぬ子猫 悩む子犬 愚かな人の子よ 我が力は全てを赦し 亡きものとする光』」
いよいよ詠唱が終わろうとしたとき、ヴラドの攻撃が止まった。
そして素早くマーラの尻尾を掴み、投げ飛ばした。
「ヴラドっ!」
「我らの主と恩人を頼んだ」
抵抗する暇もなく、マーラの体はテーベ村の上空を飛んだ。
遠ざかる男の背中には、並々ならぬ覚悟が滲んでいた。
まるで、かつて自分を救ったサキュバスの姉たちのように。
「……意外に仲間思いなのね?」
「あの乳袋が、魔王様お気に入りの寝床なのだ」
口元に浮かんだ笑みとは裏腹に、その眼は鋭い。
ヴラドは自身の胸を抉り、心臓を取り出した。そして頭上へ掲げて握り潰し、噴き出した血を全身に浴びた。
「あらあら、色男が台無しよ?」
「ほう、言ってくれるではないか。ならば、ダンスの相手を務めてもらっていいかな?」
「冗談。先ほど、この手を拒んだくせに」
「これは失礼。ならば、死後の世界への道連れに」
ヴラドの全身が膨張し、浴びた血が鎧と槍へ変異する。
膨大な力が昼の世界に闇を生み出し、周囲を漆黒へ変えた。
「我、夜の王也!」
吸血鬼の長である彼にのみ許された最強の技。
本来であれば夜にしか使えないものだが、魔王の刻印の力で無理やり発現した。
乙女を惑わす色気は消え、荒々しさが身を包む。
殲滅のみを目的とした異形の吸血鬼。
しかしこの姿こそ、命すら投げ捨てる覚悟の象徴。
誇り高き吸血鬼が持つ、もうひとつの顔である。
「四天王筆頭ヴラド・ドラクロア。貴様を迎え撃つ」
「聖母アンネ・ルーモス。その覚悟に免じて、今までの無礼を赦します。この魔法で、女神シュワの下へ」
ヴラドが創り出した闇の中にあって、輝きの衰えぬ荘厳な光。
白き最高位魔法が放たれる。
「『救主誕生』」
現れた巨大な光の人影。
ヴラドの前に立ち塞がり、両手を広げ、十字を模して襲いかかった。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
槍と血で創られた義手を構え、正面から挑む。
すべての技の効果が半減してしまう昼。それは最強の技であっても例外ではない。
だが、ヴラドには戦わぬ理由にはならない。相手が敵わぬ相手だろうと、天敵である白魔法であろうと、戦わないという選択肢はない。
使える力を、動く体を、息づく命を、使わぬ理由など存在しない。
「……永く、恥を晒して生きてきた」
走馬灯に浮かぶのは、恥辱に染まった八百年。
地位も名誉も、力も誇りも同族も、なにもかも失いながら生きていた地獄の日々。
「吾輩よりもいい奴はたくさんいた。聡明な若者も、強き戦士も、美しき女も、未来ある子も。だが、皆死んだ。こんな男が、今の今まで生き延びた」
槍が砕け、鎧にヒビが入る。
ヴラドは歯を食いしばり、目を焼く光を睨みつけた。
「なにが四天王筆頭っ! なにが夜の王! なにが吸血鬼王! なにひとつ守れない男に、そんな大層な肩書きなどいらぬ!」
身に纏った武装が消え去り、身一つとなった。
しかし、それでも止まらない。
業火よりも五体を焼く白魔法に、ヴラドは抗い続けた。
「我が身を満たすは乙女の純血に非ず! 再び取り戻した鉄の忠義! 与えられし偉大な力! そして恩人への圧倒的感謝! たとえ灰になろうとも! それだけは永劫消えることはないっ!!」
感じたことのない痛みが、ふと心地の良いものになった。
迫る光が微笑みをたたえ、慈愛の眼差しを向けてくる。まるで死の恐怖を和らげるように。
そんな救いを、ヴラドは鼻で笑った。
「テラ様に栄光あれ! 魔族に繁栄あれ! ナミラ様にこんな偽物ではなく、真の祝福があらんことを!!」
嘲笑い、最高位魔法に牙を突き立てる。
ほどなく、三世代の魔王による統治を見てきた男は、世界を染める眩い抱擁を受けた。
「ヴラドぉ!」
なんとか村長邸の上で止まったマーラは、恨めしく光の巨人を睨んだ。
「ふざけんじゃないわよ! また私に、誰かの犠牲で生き延びろっていうわけ? そんなの、許さな……い」
強化された視力が、このときほど嫌なものに思えたことはない。
マーラは見てしまった。
雄大で壮大な慈愛の御手に抱かれた男の末路を。
最高位魔法からサラサラと流れ、積み上がる灰の山を。
「ヴラドぉぉぉぉぉぉ!!」
込み上げた感情は叫びとなり、テーベ村の空を駆ける。
しかし、物言わぬ清廉な光は仇なす者を救い給わんと、世界を純白に照らした。
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