『賢者VS四天王』
「魔族……」
アンネの全身から嫌悪感がにじみ出る。
最弱の種族として長く虐げられ、地域によっては侮蔑の対象でしかなかった魔族たち。とりわけ彼女たちが籍を置く教会の教えによれば、魔族は人間から最も遠い存在。改宗し神への信仰を示さない限り、好意的な目で見られることは少ない。
「間に合ったわねぇ~ん。四天王の紅一点マーラも参上よぉ~ん!」
妖艶な声を響かせ、夜が羽ばたき見下ろしている。
顔は笑みを浮かべているマーラだったが、アンネの嫌悪感に対抗するように不快感を露わにしていた。
「ナミラ様は?」
「飛び出そうとするのを、メイドちゃんたちとムクが必死で止めてるわん」
「そうか」
あまりにハッキリと想像できる光景に、ヴラドは思わず笑った。
「ほらっ、あんたたちは下がりな!」
後方にいた村人たちが駆け寄り、ブルボノたちを運んでいく。
悔しげな表情に反し無抵抗な彼らは、自分たちが置かれた状況を理解していた。
だから。
「……頼むっ!」
ガイが呟いた声は震え、ブルボノもゴーシュも戦士たちは一様に歯を食いしばった。
力を取り戻し新たな国を興そうとした魔族たち。その最初期から深めてきた絆。
互いの心に沁みついた差別意識や偏見を、ゆっくりと取り除いてきた。様々な交流を経て築き上げた信頼。先代の魔王時にも四天王を務めたヴラドが口にした「友」という言葉に、その尊さが現れていた。
そんな種族や遺恨を越えた友の願いに。
四天王たちはなにも言わず親指を立て、魔力迸る背中で受け止めた。
「はっ! なんとも奇妙な光景だが、せっかくの勝負をなかったことには……させねぇよ!」
ゴンザレスの杖が光る。
刻まれた詠唱破棄の巨大なファイアボールが、隕石のように降り注いだ。
「やらせないわよ」
両手を広げたマーラから、薄桃色のオーラが放たれた。
一瞬でテーベ村全体に広がり、ファイアボールなどでは破ることなどできない鉄壁の障壁が完成した。
「ほう?」
「うしろは私に任せてぇ~ん。それと魔王様から勅令よん。『ぜったいにかて』ですってぇん」
「かつ!」
「御意」
バイダンとヴラドの力が高まり、それぞれの相手を見据える。
「おう! やろうぜデカブツ!」
「負けない!」
好戦的なゴンザレスは言葉少なに魔法を放った。
バイダンはあろうことか素手ですべてを撃ち落し、トロールでは考えられない速さで距離を詰める。
「なんじゃそりゃあ! 四天王ってのは面白れぇな!」
心底楽しそうに笑いながら、激熱の賢者とデス・トロールは森のほうへ戦火を広げていった。
「……吸血鬼風情が、あの呪文を受けて平然としているとは。太陽の下で動けるのも、実際に見ると不思議なものですね」
「我ら魔族は魔王様と瘴石の力で、全盛期を遥かに超えるものとなっている。私クラスの吸血鬼ともなれば、陽光の下でも死ぬことはない。瘴石の加護があれば、眷属たちもこの通り」
翻したマントの下から、大量のコウモリの魔獣が現れた。
本来であれば夜にしか活動しない肉食の生物だが、血肉を求める姿はその習性を忘れさせるほどだった。
「ふんっ」
一歩も動かず、アンネはコウモリたちを睨んだ。
彼女を包む白い光に触れた途端、魔獣はすべて塵と化した。
「……白魔法。我らが最も苦手とするものよな」
「わたくしは聖母のアンネ。貴方たち魔族のことは聞いております。どうです? 取引しませんか? 四天王筆頭、ヴラド殿」
「なに?」
整えられた眉がピクリと動く。
「ナミラ・タキメノが魔族に与えた影響は、たしかに計り知れないものでしょう。しかし、今の彼はそれ以上の不幸を運ぶ。彼を匿えばせっかく興した魔族の国が、やっと手に入れた安寧の地が消えることにもなりかねない。世界中を敵に回せば、ナスミキラの結末は決まっているでしょう」
ヴラドは黙ったまま、聖母の言葉に耳を傾けた。
「彼を渡しなさい。そうすればわたくしの名の下、教会も魔族の国を正式に認めましょう。さらに、未だ合流できずにいる魔族たちの身の安全、永続的な権利の保障、人族をはじめ各種族へ差別意識撤廃の教育実施。国としての未来を考えたとき、これがどれだけ有益かわからないわけではないでしょう?」
アンネは優しく微笑み、手を伸ばす。
「四天王筆頭として魔王と国に尽くすというのならば、なにをすべきか理解できるはず。さぁ、この手を取ってください」
数秒の沈黙があった。
その間、ヴラドはじっとアンネの手を見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「魔族を舐めるな、人間の賢者風情が」
鮮血を思わせるオーラが、無数の杭を作り出した。
「血流杭」
目にも止まらぬ速さで襲い掛かった杭は、再び光に阻まれてしまった。
「なっ」
しかし、瞬く間にその力を突き破る。
アンネは空に逃げたが、聖母の衣にほつれが生じた。
「愚かな……国を亡ぼすつもりか」
「それも良し。あの方のためならば」
マントを翼のように操ったヴラドが答える。
「貴様には分かるまい。あの地獄のような日々。訳も分からず弱り続け、迫害され、じわじわと滅びに向かう恐怖。ナミラ様はそんな地獄から、すべての魔族を救い出してくれた。没した仲間の怨みを晴らし、新たな希望を与えてくれたのだ」
「だからといって」
「我らことごとく、苦しみの中で潰える命であった。それをナミラ様のために使えるというのであれば、あの恩に報い義に殉ずることができるというのなら、惜しいと思う魔族はいない。これは魔王様含め、すべての魔族の総意である!」
吸血鬼の王による追撃。
なんとか躱し防ぐアンネだったが、防戦を強いられていた。
「そうですか……滅びの道を選ぶというのですね」
「そもそも貴様らにやられて滅ぶとも思えぬがな。あぁ、そうだ。貴様の誘いを断った、もうひとつ大きな理由がある」
「なんだと……言うのです!」
白魔法の強力な閃光によって、二人は距離を取った。
「貴様、見た目は二〇代後半といったところだが、本来は齢八〇ほどだろう?」
聖母の目が据わり、微笑みの代わりに嘲笑が口を彩る。
「さすがは好色の魔物 だが、それこそ魔族には分かるまい? 美しさを求めるは女の性。若さを求めるのは、命短き人族の抗えぬ欲よ」
「性やら欲を責めるつもりはない。だがな賢者よ、先代の魔王について知らぬわけではないだろう? あれ以来、我らの共通認識が生まれてなぁ」
くっくと笑い、指をさし、ヴラドは神経を逆撫でる表情を向けた。
「若作りのババアが嫌いなのだよ」
途端にアンネの顔が歪んだ。
血管が額に浮かび、顔を真っ赤に染め、歯を剥き出しにし唾を吐き散らして怒鳴った。
「誰がババアだこのビチ糞がああああああああああああっ! 跡形もなく消してやるから覚悟しろこのクソジジイがああああああああああああああああああああッ!」
信者が見れば信仰を失いかねない豹変だったが、幸いにも空の上。
テーベ村の住人にはその様相も声も届いていなかった。
「はっはっは! いい声で鳴く」
顎を上げて見下すヴラド。
森の奥では激熱と激情。
上空では白き光と紅き光。
ナミラをめぐる戦いは、激しさを増していく。