『魔族国家ナスミキラ』
まるで悪夢を見ていたかのようだ。
まだ頭の奥がぼんやりと重く、落ち着かない。
ナミラは目を擦り、窓から外を眺めた。
金と紅を基調とした部屋の中で、窓の景色は特に目立つ。黒い空と大地がどこまでも広がり、その中に営みの明かりが灯っていた。
人族が骨を埋めるには少々気の滅入る場所ではあるが、ナミラにとっては心温まる情景であった。
「……ミドラー」
この状況を作ってくれた友の名を口にする。
自分のために計画を練り、命を賭して戦ってくれた。深い感謝が泉のように湧くが、伝える術はどこにもない。
「無事でいてくれ、頼むから」
無意識に握った拳のせいで爪が手のひらに食い込み、血を流した。
「失礼します」
扉を叩く音と共に、丁寧な声が聞こえた。
四人のメイドが入室し、一列に並んだ。
「お食事の準備ができました。気分はいかがでしょうか?」
「うん、大丈夫だ。それより、お前たちにもお礼を言わないとな」
メイドたちの前に立ち、ナミラは深々と頭を下げた。
「シルフィ、ヴェル、クルル、プリン。タキメノの屋敷からよく来てくれた。本当にありがとう」
「そんなっ! 我らはナミラ様に、タキメノ家に仕える身! 当然のことをしたまでです!」
四人は同時に顔を上げ、慌てた様子を見せた。
八つの瞳から、小さな雫がこぼれ落ちる。
ナミラが意識を取り戻したとき、すでにこの部屋のベッドだった。
見知ったメイドたちが心配そうに覗き込んでいたが、その手には武器が握られていた。ナミラが名を呼ぶと涙を流して喜び投げ捨てたが、別人格への警戒であることは容易に想像できた。
そして彼女たちから、ナミラは自身が置かれている状況を聞かされたのだった。
「それでも、お前たちのおかげで安心したのは事実だ。世界の反応ももちろんだが、王都の様子は……本当に気になっていたから」
「ご心配には及びません。先ほど申しました通り、奥様にはシャラク様とウルミメイド長が付いています。セリア王国では、雷迅のガルフ様が作戦を立て王と共に動いております。我々がこの地へ赴いたのも、シュウ様のご命令です。ナミラ様はおひとりではございません」
シルフィの言葉に、他の三人も力強く頷いた。
「うん……それだけでも心強い。そうだ、モモの具合は?」
締め付けられる痛みが、胸の奥に宿る。
「……我らが王都を発ったときには、まだ意識は戻っていませんでした」
「そう、か」
言いようのない悔しさが、ナミラの中に溢れていく。
想いを伝えてくれた大切な仲間を、この手にかけてしまった。数多の前世の記憶を辿っても、これほど愚かなことはない。
ぐぅぅううううぅぅぅぅ。
重たい沈黙を打ち消したのは、プリンの腹の音だった。
「す、すいませぇ~ん。さっきお料理の匂い嗅いだらお、お腹空いちゃって」
「うー、クルルも腹ペコ」
恥ずかしさでスライム形態になったプリンのとなりで、クルルも腹を叩いて主張した。
「あっはっはっは! そうだそうだ、アタシらは食事に呼びに来たんだ。ほら、ナミラ様。みんな待ってますから、まずは腹ごしらえしましょう!」
ヴェルが豪快に笑い、部屋の外へ促す。
呆れた顔のシルフィに続いて、ナミラは幾分軽くなった足取りで歩き始めた。
「……初めて来たが、立派だな」
廊下や天井に至るまで、黒光りする鋼のような建材で作られた建物は、物々しい雰囲気の中に神々しさを秘めている。
部屋の内装とのギャップに驚きつつも、ナミラは眺めながら歩を進めた。五人の足音は周囲に響くと同時に吸い込まれ、不思議な静寂を生み出していた。
「こちらです」
ひときわ大きな扉の前に案内されたナミラは、施された装飾を見て思わず苦笑した。
人と魔族が共に踊り歌う、楽し気な宴会の様子。
なるほど、食堂には相応しいと妙に納得してしまった。
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
「ナ・ミ・ラ・さ・まああああああああああああああっ! ようこそ、魔族国家ナスミキラへ! ようこそ、魔王城へっ!」
幾人もの声と鳴り響く笛太鼓。
並べられた大量の料理に、豪華絢爛な装飾。
所狭しと並んだ魔族たちによる、渾身の歓迎である。
「……こんなことだろうと思った」
手を振って応えていると、頭上のシャンデリアから黒い影が舞い降り、ナミラを抱きしめた。
「あぁ~ん、ナミラ様ぁ~! お久しゅう、おいたわしゅうございますぅ! あなたのマーラ、ここに参上ですわぁあああああ!」
「べつに俺のではないだろ。っていうか、また胸デカくなったか?」
前世で命を救い、現代でも滅びの危機を助けた古き縁。
サキュバスクイーンのマーラが、妖艶な腰つきで体を擦りつける。
「そうなんですの! 体だけなら、もうアルーナお姉さまにも負けませんわ! あっ、いやっ、今のは言葉のあやでして……」
「気にしてないよ。それより、はやく食事にしよう。しなきゃいけない話もあるしな。俺一人だとこんなに食べられないから、ここにいるみんなで食べよう」
よだれを垂らすプリンとクルルにウインクを投げ、ナミラは食卓に進んだ。
「めっ! おなまえ、いってから! れんしゅうしたんだもんっ!」
音も声も一瞬で静まり返り、皆が首を垂れる。
この場にいる魔族にとって、テーブルの上座から聞こえた幼女の声はなによりも強く畏怖に満ちているのだ。
「おぉ、大きくなったな。わかった、じゃあ幹部だけな?」
唯一ナミラだけは、親戚の大人のように微笑んだ。
幼女は怒ることなく、むしろ嬉しそうに笑うと両脇に四人の魔族を招集した。
「まずは、してんのうの、あいさつですっ!」
一音一音ハッキリとした紹介を受け、四天王が順番に名乗りを上げていく。
「魔族国家ナスミキラ四天王が一人、デス・トロールのバイダン。へへへっ、お会いできて光栄でごぜぇます、ナミラさま」
「魔族国家ナスミキラ四天王が一人、超魔樹人のムクと申します。お見知りおきを」
「魔族国家ナスミキラ四天王が一人、サキュバスクイーンのマーラっ! 美しさとやらしさ担当でございますっ!」
「魔族国家ナスミキラ四天王が筆頭、吸血鬼王のヴラド。お久しぶりでございます、ナミラ様」
四人が名乗り終わると、最後に中央の幼女が光りを放って浮かんだ。
「そして、あたちがっ、テラ! えっと、まおうだよ!」
胸を張った幼女は左右に立つどの大人たちよりも。
可憐で幼く、強力な力を纏っていた。