『天照火之神』
例の一報が世界を巡ったその日。
季節外れの雨季のような雨が、エズトラの大地を濡らした。
何も知らない子どもたちは恵みの雨だと喜んだが、晴れ渡った砂丘を進む戦士は違う。
両の眼には、怒りと決死の覚悟が宿っている。
「突撃ぃぃぃ!」
一万の軍が目指す先には一人の少年。
砂漠に仁王立ちし、不敵な笑みを浮かべている。
「まだこの国にいたとは笑止千万っ! 我こそはエズトラ王国第二王子、アテン・ファラオ・エズトラ! 我が国の叡智にして世界の宝、土の賢者チャトラ殿の仇! 我らの手で打ち果たしてみせようぞ!」
先頭で砂竜を駆る若い男が吠えると、続く兵士たちは負けじと咆哮を発した。
「砂に還れ、ナミラ・タキメノ!」
薄茶色に光る宝剣が、ナミラに迫る。
ドワーフ特有の鍛冶能力も優れていたチャトラ。そんな彼が、アテン王子の成人祝いに鍛え、贈った唯一無二のもの。シュウが持つミスリルの魔剣にも劣らない、強力無比な刃。
「シネ」
しかし、想いを込めた刃は砕けた。
身動き一つしないナミラから放たれたオーラが、爆風となって軍を襲った。
後方で呪文を唱えていた魔法使いたちすら巻き込み、辺りは砂嵐に見舞われた。
「くっ……お、王子! 無事ですか、アテン王子!」
伸ばした指先すら辛うじて見える視界の中、側近の一人が声を張り上げた。
「ケヒッ」
次の瞬間、彼は気味の悪い声を聞いた。
そして気づく間もなく首が刎ねられ、乾いた大地が赤く染まっていく。
「ぎゃあ!」
「うわあああああ!」
「た、隊列を組め! いったいなにが起こっぐあああああっ!」
荒れ狂う砂に混ざって聞こえる、断末魔の悲鳴。
アテン王子は近くにいた側近が囲んだが、殺戮は縦横無尽に行われていく。
「砂の加護よ!」
王子は指を嚙み、滲んだ血を足下の砂へ押し付けた。
すると白い光が放たれ、暴れていた砂嵐は一瞬で消えた。
「エズトラ王家の加護か」
背後でナミラの声がした。
振り向きざまに短剣を突き立てるが、前蹴りで吹き飛ばされてしまった。
「王子っ」
「遅い」
主君に出遅れた側近は瞬きの間に息絶え、無数の躯が横たわった。
「キサマ……よくもわが家来たちを」
憎しみを込めた視線を、ナミラは嘲笑う。
「その目……お前がそんな目を《《ワタシタチ》》に向ける資格があると思うのか?」
「なに?」
倒すべき敵と守るべき主君が向かい合う中、周りの兵たちはアテンの元へ集まった。
「歴史に長いエズトラ王朝……だがその血筋はさらに長い。貴様の先祖が行った非道、忘れはしない。力を振りかざす兵士たちから受けた屈辱は、この魂に刻まれている!」
再び放たれた波動に、作られつつあった陣形が再び崩れた。
その隙に距離を詰めたナミラが、アテンを踏みつけ動きを封じる。
「ぐあっ!」
「アテンと言ったな。貴様の首、ご自慢のピラミッドの頂上に飾ってやろう」
竜心の切っ先が向けられ、無慈悲な刃が振り下ろされる。
「ぐっ!?」
だが、王子の首に触れる直前に防がれた。
刀を握っていなかった、ナミラの左手によって。
「コノオオオオオ! 邪魔をスルナアアアアアアアアアッ!」
「お前こそ、これ以上好き勝手にはさせないぞ! 地の精霊ノームよ、力をか」
「させるかアアアア! 精霊の力など使わせん!」
顔が左右で狂気と使命感に別れ、罵り合いひとつの体で争っている。
危機を脱したアテンは立ち上がり、のたうち回るナミラを見つめた。
「そうか……まだこの国にいたのは、ナミラ・タキメノの良心が悪しき心を妨害をしていたのだな」
「ア、アテン王子! ここは引いてください! ガ、ガルフ様に、雷迅のガルフにこの内容を伝えてください!」
ナミラは念波を飛ばし、自分の身に起きた真実を伝えた。
短くまとまりのないものだったが、幼い頃からチャトラの元で学び聡明であると言われた王子は、力強く頷いた。
「承知した。今しばらく耐えよ、ナミラ・タキメノ! 全軍、退却だあああ!」
指揮官の号令に、生き残った兵たちは迅速に従った。
走り去る砂埃が、ナミラの体にかかる。
「く、くそ……意識が……」
「ニ・ガ・ス・カアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
禍々しい球体が現れ、黒き太陽を思わせる。
再び肉体を奪った人格が、全軍を滅する魔力を放っていた。
「滅業・魔狼弾」
闇が落ちる。
逃げる命のすべてを喰らい、僅かな希望すら断ち斬るために。
「『極炎鳥降臨』」
黒の真上の青い空が、突如茜色に染まった。
不滅の炎を揺らめかせ、飛来する巨大な鳥。
炎の最高位魔法がナミラの技と激突した。
「うおおおおおおおおおおお!」
直後、赤と黒は互いを飲み込み爆発した。
魔狼弾の稲妻が周囲を穿ち、光の欠片がひらひらと舞い踊る。
「ナミラ・タキメノね?」
ローブをはためかせ、一人の少女が声を発した。
「誰だ、貴様は」
「私は炎美のアヴラ。火の賢者アヴラ・オウラよ」
ナミラを支配する狂気が、静かにアヴラを睨む。
漂う魔力は炎のように揺らめき、油断すれば火傷では済まないことは明確だった。
「アテン王子、ここは私に任せてください。兵たちを連れて、ここを離れて」
「よ、よいのか? 十五で賢者となった天才だとは聞いたが、彼の者は」
「邪魔なんです。あの最高位魔法も、貴方たちがいるから手加減したんですよ?」
一瞥もくれない少女に格の違いを見せつけられ、アテンは言葉を飲み込んだ。
「武運を祈る」
やっと出てきた一言を残し、エズトラの軍はその場を離れていく。
「賢者、ね。今さら賢者如きになにができる?」
嘲笑を復活させたナミラは、刀を向けた。
「弟子と共に放った超天魔法でさえ、この体を傷つけることはできなかったのだ。もはやワタシタチは止められない! この復讐は止まらナイッ!」
「復讐、ですか」
少しだけ眉を上げたアヴラだったが、すぐに杖を突き出し挑発を返した。
「貴方が今、どんな状況だろうと関係ありません。ただ、賢者殺しは世界への罪。長い歴史が築き上げた秩序への反逆。その事実は変わらない」
「ならば止めてみろ。最高位魔法しか使えない賢者如きになにができる!」
「……また、賢者如きと言ったな?」
闘気を纏ったナミラが、怒りを燃やすアヴラへ飛ぶ。
「見せてあげましょう。賢者の力を」
しかし、放たれた燃える魔力に妨げられ先手の攻撃は届かなかった。
それどころか、闘竜鎧気を越えて火の粉が肌を焼いている。
「なっ、なんだこの魔力は! あのときのチャトラ以上……い、いや、モモと同等のっ!」
「やはり、あの子の力が怖かったのですね」
今度はアヴラが不敵に笑う番だった。
「『無限魔力』には及ばないですが、私にも贈られたギフトがある。その名も『心燃魔力』感情の昂ぶりに応じて、この身の魔力は燃え上がります」
強力な詠唱障壁に守られた賢者が、深く息を吸い込み、呪文を唱え始める。
漂っていた最高位魔法の欠片が、視界を奪う輝きを放っていく。
「『美しき焔! 不滅の炎! 終わらぬ力! 頂きより見下ろす神秘の招来! この世に在りし万象を! 燃え滾る慈悲が撫でる! 我、絶望を知る者! 我、闇を見た者! 我、希望を知る者! 我、光に触れた者! 原初の空より照らせ、絶対なる天輪!』」
光の欠片が天へ昇り、白く眩い巨大な火の鳥へ昇華する。
「『天照火之神』」
まるで、空のすべてが光に包まれたかのよう。
なによりも美しい瞳が、白き焔で万象を焼き尽くす。
「バカな……」
言葉を失うナミラに、光の果てから怒りが滲んだ声が投げられた。
「賢者を舐めるな、大罪人」