『賢者会議』
エズトラの事件から二日後。
知らせを聞いた者たちがそれぞれ考えを巡らし、行動に移そうとしている頃。
雷迅の賢者ガルフはセリア王国を離れ、大陸の中央にある白地と呼ばれる場所に来ていた。
その名の通り、草一本も生えぬ白き大地。
アインズホープの敷地と変わらぬ広さのこの土地は、どんな国であっても占領することは許されず、許可なく立ち入る者には死が待っている。静寂の中心には、風化を知らぬ円卓と九つの椅子が並んでいた。
「皆の者、遅くなってすまぬ。儂で最後か」
ガルフが雷のエンブレムが刻まれた椅子に座り、小さく頭を下げた。
他の席に座った者たちが、各々視線を向ける。
この地は彼らのためにあり、ひとつの目的のために存在していた。
「お気になさらず。他の方も先程来たばかりですよ。それに、一番大変なのは貴方でしょうから」
糸目の女が優しく微笑み、おもむろに立ち上がった。
「では通例に従いわたくし、二神教大司祭長。白魔法の賢者、聖母のアンネ・ルーモスが仕切らせて頂きます。まずは改めて出席者の確認を」
一呼吸置いたあと、自身の右から順に名を呼んでいく。
「火の賢者。炎美のアヴラ・オウラ」
「はい」
赤髪の少女が、険しい表情で返事をした。
「水の賢者。水界のミドラー・モラ・ヘスティ」
「ハイハ~イ」
対してとなりのミドラーは、笑顔でひらひらと手を振った。
「風の賢者。烈風のシン・ミナト」
「……うん」
フードを深く被った小柄な男が、無表情で呟いた。
「……土の一門は知っての通りです。では次。雷の賢者。雷迅のガルフ・ソフォス・アンダーソン」
「うむ」
声を発したガルフの顔色は悪く、蓄積した疲労と心労が垣間見えた。
しかし、その出で立ちは最強の賢者としての風格を失ってはおらず、堂々と顔を上げていた。
「草樹の賢者。花園のクイン・マーガレット」
「はぁ~い。みんな、お久しぶりねぇ」
カワイらしいピンクのルージュを塗った色黒の男が、愛想良く笑った。
「溶岩の賢者。激熱のゴンザレス・ガン・ドロー」
「おう!」
太い腕の大男が、自慢の筋肉を見せつけて返事を返した。
「最後にご紹介を。しきたりの順番が前後してしまいましたが、彼はこの度新たな賢者として席に座すことになりました。氷の賢者、テオ・ドーテン」
「は、はい!」
名前を呼ばれた若い男が、慌てて立ち上がった。
「テオ・ドーテンです! 師であるバジラナの養子ですが、あの事件の当時はクイン様の元で修業をしており、この二年ほどはアンネ様のお世話になっておりました……父であるバジラナの犯した罪は承知しています。でもだからこそ、氷の一門の生き残りとしてその汚名を払拭したいと思っています。異名もない未熟な賢者ですが、これからよろしくお願いします!」
ハツラツとした自己紹介に、先人の賢者たちから大小様々な拍手が送られた。
「……ではここに、賢者会議の開催を宣言します!」
アンネの言葉と同時に、全員が円卓に手を置いた。
すると、ただでさえ外敵を拒む白き土地を強力な結界が包み、もはや外界からは認識すら不可能な場所と化した。
「この度集まっていただいたのは、皆様ご存じの通り南の賢者塔の崩壊と、土の賢者チャトラ様殺害の件に関してでございます。本来なら、この子の就任披露を予定していたのですが……」
アンネは小首をかしげ、となりに座る若い賢者に目をやった。
「ふんっ! 心配せんでも、あとでたっぷり力試しをしてやるわ! それよりもだ、チャトラのじいさんの弔い合戦だろう!」
腕を組んだゴンザレスが、鼻息荒く言った。
「それ以外、なにを話すってんだ? 賢者殺しは世界に対して喧嘩売るような大罪だぞ? たしかに、今まで聞いてた話や例の映像を見りゃあ、ナミラって餓鬼が強いことはわかる。だがよ、全員でかかれば殺れないことはないだろう!」
「そうは言っても『前世』のギフトホルダーよ? 万象王とか、アタシもぶっちゃけ話半分に聞いてたけどさ。甘く見ないほうがいいんじゃない?」
「……そのあたり、詳しい方がいるんじゃないですか?」
激熱と花園の賢者が声を上げる中、淡々とした言葉と冷たい視線がガルフへ送られた。
史上最年少で賢者となった天才少女アヴラが、他を寄せ付けない空気を放っている。
「ガルフ様、知っていることを包み隠さず仰ってください。魔喰の一件から我々は逐一、彼について報告を受けてきました。しかし、まだ隠していることがあるのでは? そもそも、なぜ彼はモモさんに同行していたのですか? 西の水や北西の樹、私がいる南東の火の賢者塔には一人で来たのに」
他の賢者たちは無言だったが、全員アヴラに同調し発言を求めている。
ガルフは深く息を吸い込むと、険しい表情で答えた。
「無論、この期に及んで隠し事などするつもりはない。じゃが、皆覚悟なされよ。彼の魂は、我ら賢者の今後を決めるものやもしれぬ」
ガルフはナミラに関する情報を、賢者たちに開示した。
ギフトによって蘇った前世の数々。
ナミラが得ることになった力と、現在の強さ。
これまでの戦い。
大天使サンジェルマンの正体と残した言葉。
チャトラの元を訪れた目的のすべてを。
「……貴殿らなら分かるだろう。彼の存在は、世界の根幹を揺るがす危険がある。歴史であれ自然であれ、ナミラくんはこの世の真理へと到達することができるのじゃ」
「良くも悪くも、ですわね」
聖母とも称されるアンネの眉間に、深い皺が刻まれた。
「今の……特に大天使のお話は、教会として認めることはできません。文明は何度も滅びてきた? 大いなる意思? 馬鹿げています。二神教は各種族の二柱と、世界の創造主たる光と闇を信仰しています。太古の石板にも記述が」
「故に、サンジェルマンはサニー・ジュエルの禁忌による暴走として報告しておったのじゃ。そう言われると思ったからの」
長いまつ毛の奥で、アンネがガルフと睨み合った。
「……一旦は受け止めるしかないんじゃない? ナミラって子の話が本当かどうかなんて、今のアタシたちには確かめようがないんだから。アタシだってショックよぉ? サニーちゃんはお茶友達だったんだから」
クインの微笑みに、円卓の下で握られた聖母の拳がゆっくりと解かれた。
「前世だの歴史だのはあとだ。問題なのは、どうすれば彼奴を倒せるのかだろう。じいさんは最期、超天魔法を使った。だがそれでもダメだった。ガルフの言ったことが本当なら、我らでも仕留めることは」
「可能性はあります」
苦々しいゴンザレスの言葉を、アヴラが遮った。
「もう一度映像を見てください。チャトラ様の超天魔法は一撃を加えましたが、直前に魔力供給の光が消えてしまっています。恐らく、この時点で力尽きてしまったのでしょう。ですので、攻撃は不完全なものだった」
「……もう動けねぇじいさんを、わざわざぶっ刺したってのか?」
鍛え上げられた肉体から、熱い魔力が迸る。
「ですので、少なくとも二人以上の超天魔法を放てば戦いにはなるかと。幸い、モモさんから発動条件などは聞いています。私もあとは実践のみですので、すぐにでも討伐に」
「ま、待ってくれ!」
ガルフが慌てて手を上げた。
「ナミラくんの犯した罪は重々承知しておる。じゃがそもそも超天魔法も、彼の協力なしには発現しなかった奇跡じゃ。戦闘は避けられんし、やむを得ないじゃろう。しかし、救う方法も模索できんだろうか?」
「……その必要があるか?」
黙って聞いていたシンが、小さな声で呟いた。
「先程申した通り、彼の力は真理に迫ることができる。実際、儂やチャトラも精霊王と言葉を交わしておる。魔道を志す我らにとって、ナミラくんは必要な人間じゃ。いや、世界にとって失うわけにはいかぬ救世主となるやもしれん」
「今は大罪人です。むしろ世界を滅ぼす危険があります。今救ったところで、今後もこうならないとは限らない」
僅かな情も込められていない聖母の言葉。
最強と謳われるガルフを、真っ向から否定した。
「恐らく新たに得た前世が関係しておるのだ。モモの意識が戻れば、今回の原因がわかる。少しのきっかけでよいのだ。それさえあれば、必ず彼は元に戻るじゃろう」
「その間に何人が死ぬんでしょうね? ガルフ様、貴方は娘を殺されかけているんですよ? 仮にも父親として、思うところはないんですか?」
ガルフは目を閉じ、床に伏せた愛娘に想いを馳せた。
テーベ村で初めて会ったときから今日までの記憶を思い出し、静かに立ち上がる。
「儂は彼に賭けた。賢者としてこの世界を、父親として娘の未来を。きっとモモならば、どんな状況であろうと彼を信じ続けるじゃろう。ならば儂も、最後までナミラ・タキメノという男を信じるまでよ」
威風堂々。
チャトラ亡き今、最も長く賢者を務める男が曇りなき眼で言い放つ。
仮にも常人の域を超えた八人が、その威圧感に身震いを覚えた。
「……いいでしょう。ならば通例に従い、多数決としましょうか。ガルフ様に賛同し、救いの道も探るべきとする者は挙手を」
「ハイハイハ~イ!」
あっけらかんとした声に、注目が集まった。
ヘラヘラと笑いっぱなしだったミドラーが、勢いよく立ち上がり手を上げていたのだ。
「ミドラー、酔いに負けて正常な判断ができていませんよ?」
「いやいや、ボクはここに来る前から決めていたよ。だってナミラくんはボクのお師匠なんだから」
「なっ」
アンネと合わせて、となりに座るアヴラまで言葉を失った。
「……おれもこちら側につく。雷迅のガルフにあそこまで言わせる奴に興味がある」
「シン!」
「てめぇ! じいさんに散々飯食わせてもらっただろうがっ!」
「その恩はとっくに返した」
烈風のシンはアヴラとゴンザレスの怒号を聞き流し、ガルフに向かって小さく笑った。
「で、ですが、これはあくまで多数決です。こちらのほうが人数が」
「あの、すいません。僕もガルフ様に賛同します」
おずおずと上がったのは、師であるアンネとクインの顔色を気にする細い指。
新たに氷の賢者、テオであった。
「テッ……なっ!」
「んまぁ! そんな肝っ玉持ってたのね!」
口角をひくひくと痙攣させるアンネに対し、クインは嬉しそうに手を叩いた。
「ナミラくんには、養父バジラナの暴走を止めてもらいました。あのときの父も、世界を滅ぼしかねなかった……アンネ様とクイン様には申し訳ないですが、今度は僕が彼を止める。救える道があるのなら、救って直接お礼を言いたいんです。これだけは、絶対に譲れません」
円卓の中で一番頼りない賢者。
しかし、胸に秘めた覚悟と決意は氷塊のように固く、決して溶ける兆しを見せなかった。
「礼を言う、三人とも。さて、これで四対四じゃな」
「……では通例どおり、別れた者らでまとまり行動を。どちらの理想が正しいか、どちらがはやく結果に辿り着くか。魔道を探求する我らの性に従いましょう」
異論を述べる者は誰一人としておらず、全員が席を立った。
「……懐かしいわね。こうやって揉めたら、いつもチャトラのおじいちゃんが仲裁してくれてた」
唯一、懐かしげに呟いたクインの声だけが、八人の胸に染みていく。
世界に名立たる賢者たちの意見は割れ、思惑を抱いて白地を離れた。
ナミラ・タキメノという存在を巡って、ゆっくりと世界が動き出す。