『発端』
国土の七割を砂漠が占める南端の大国エズトラ。
建国から三百年に渡って支配するエズ王朝の元、独自の文化を発展させている。王家は代々人族だが多種族が分け隔てなく暮らし、屈強な兵が国を守る南の支配者である。
世界を震撼させた知らせの四日前。
この国にそびえる土の賢者塔に、半世紀ぶりの来客があった。
「ようこそ二人とも。わしが土の賢者、チャトラ・ベルーガと申します」
老齢のドワーフが穏やかな笑みで頭を下げた。
焦げ茶色の髪と髭がモジャモジャと生え、体の動きに合わせて小気味よく揺れている。
「はじめまして、ナミラ・タキメノです。お会いできて光栄です、地賢のチャトラ殿」
「お久しぶりです、チャトラ様。モモ・ソフォス・アンダーソン、父ガルフに代わりご健康をお喜び申し上げます」
飛行形態に変形したモモの杖から降り立ったナミラたちは、敬意を込めて深々とお辞儀をした。
砂漠の砂が足を沈め、靴の中に侵入してくる。
「ほっほっほ、かしこまることはないよ。ナミラくん、噂はかねがね聞いている。ぜひとも、きみの知識と力を我らにも教示してもらいたい」
「こちらこそです。歴史上、もっとも長く賢者を務めるチャトラ様の叡智を知りたく存じます」
「嬉しいことを言ってくれるねぇ。さ、中にお入り。砂がイタズラをするからね。我が土の一門の歓迎を楽しんでおくれ。なにせ外からのお客は久しぶりだから、みんな気合いが入っているんだ」
人当たりの良いチャトラに促され、二人は賢者塔へ足を踏み入れた。
中では多くの弟子が待ち構えており、魔法や食事で客人をもてなしていく。
ナミラたちは歓迎を受け入れると、土の精霊王タイタンの招集と超天魔法の実演で気持ちに応えた。
「おぉ……まさかこれほどとは。超天魔法もそうだが……精霊族の王よ、貴方に会うまで死ねぬと心に決めておりました」
「チャトラよ、わしはお前をずっと見ておった。お前が積み重ねた我ら土の眷属への敬意と土魔法への探求心、見事である。世にドワーフは数多おれど、土の精霊族はお前に最も信を置く……やっと言葉を交わせたな。嬉しく思うぞ」
「そんな……もったいなき、お言葉で……」
頬の皺を涙が伝い、熱い涙を乾いた砂が受け止めた。
気の遠くなるような研鑽の中で辿り着いた、彼の願いとも呼べる瞬間。
もらい泣きが弟子たちにも波及し、砂漠の真ん中に多くの涙が流れた。
「ありがとう、ナミラくん。この恩は一生忘れない。本当にありがとう」
「いえ、そんな。元々、こちらのお願いを聞いてくださることになってましたから」
「そうだったね。この賢者塔には、歴史的資料がどこよりもたくさんある。そのすべてに触れることを許可しよう」
モジャモジャの髭の向こうに、優しい微笑みが浮かんでいる。
「ありがとうございます。それと、手紙に書いていました例のものも」
「あぁ、もちろん。だが、明日まで待ってくれないかな? なにぶん、この塔で最も古い所蔵物だからね。引っ張り出すのに手間取ってしまっていて」
「かまいませんよ。それまでは、他のものを見させてもらいます」
深夜まで続いた歓迎の宴のあと、ナミラとモモはそれぞれ用意された客室で眠りについた。
セリア王国で浴びるものより数段強い朝日に起こされると、ナミラは資料室で前世集めに。モモは超天魔法の理論を土の一門へ教えていった。
「……なので超天魔法は現状、最高位魔法の派生形として存在しています。理論上、賢者クラスの魔法使いなら、最高位魔法の直後に魔力を全回復すれば発動が可能です。つまり、一番の問問題は魔力量でして……」
「……立派になったの、モモちゃん」
「ふぇ?」
大勢の前で語る小さな背中を見ていたチャトラが、孫を見る表情で呟いた。
「昔はガルフの後ろに隠れて、自己紹介もままならなかったというのに。まるで別人を見ているようだよ」
「そ、そう、ですか? でも……そう思ってもらえるなら、それはきっとナミラくんのおかげです。わたしも……今のわたしが好きだから」
モモの笑顔は燦燦と輝く太陽にも負けず、周囲の人間を照らした。
あまりに眩く純粋な乙女の輝きに、一部の弟子は心を奪われ女性たちはその心中に興味を抱いた。
「はい! ナミラくんとは付き合ってどのくらいなんですか!?」
「付き合っ……えぇぇ!? そ、そんな関係じゃないですからっ! ……だってアニちゃんもいるし、今はまだ……」
「今はって言った? 言ったよね? はいっ! 今日の講義は終わりにして、向こうでガールズトーク始めましょう! この塔で恋バナとかめったにないんだからっ!」
「そ、そんな、チャトラ様~」
「ほっほっほ、楽しんでおいで」
止める気のないチャトラに見送られ、女性の弟子たちに担がれたモモは奥の部屋へと運ばれていった。
そのまま女性たちとのガールズトークに花を咲かせることになり、気づけば翌朝を迎えていた。
――――
早朝、ナミラは賢者塔の最上階へ登っていた。
見上げるほど巨大な石板と対峙し、古代文字に目を凝らす。
「これが神話について書かれた最古の文献です。全部で六枚あり、誰が書いたのかは不明です。各種族に伝わる二柱の神々や世界創造についての伝説は、こちらが元になったと言われています」
「ありがとうございます。さっそく見せていただきますね」
若い弟子の一人に説明を受けると、ナミラはそっと一枚の石板に触れた。
「……前世はない、か。さて、なにが隠されているのか」
ナミラの脳裏に、大天使の言葉が蘇る。
「神話を調べろ……始まりの物語を……」
倒すべき敵が残した、唯一の助言。
それこそが、今のナミラに示された新たな道しるべであった。
サンジェルマンを生み出した大いなる意思の正体。
女神シュワがナミラに入れ込む理由。
この世界に隠された秘密。
幾星霜にも及ぶ時の流れを見た彼が抱く、あまりにも大きな疑問。
胸に抱いたざわめきを無視することはできず、答えに辿り着くことを何者かに強制されているかのようだった。
ナミラは見に宿る衝動を『使命』として受け止め、突き進むことにした。
以前から決まっていたモモの旅に同行を申し出たのも、そのためであった。
「まずは、世界の始まりについてのものか」
浮遊魔法で浮かび上がり、古代語で書かれた文面をじっと読み進めていく。
『遥か遠い昔。大いなる闇と大いなる光がいた。
あるとき光は休息の場を求めた。
闇は光のために自らに穴をあけ、光をお迎えになった。
光は喜んでそこへ入り、永い間お休みになった。
やがて、光はご自身が休まれる場所をもっと良くしようと思われた。
横になれるよう大地を創り、渇きを潤せるよう水を湧かせた。
歌が広がるよう風を起こし、暖を取れるよう火を灯した。
闇は休息の場をたいそう羨み、自らも行きたいと仰せられた。
光は聞き入れ、闇の一部を切り取ると形を整え口づけをした。
するとそれらは動き出し、生命となった……』
「……その後、光と闇は互いを想うようになる。だが、その感情がなんなのか分からない。その正体を知るために、大いなる光と闇は知性ある生命を創る。それが各種族二柱の神々……世界創造については、一般的なものと大差はないな」
二枚目の石板に移り、また刻まれた文字に目を通す。
『初めの男は風のウィルド。
どこまでも吹き続けて守り、いつまでも吹き荒れて追いかける。
初めの女は大樹のサクラ。
どこまでも広がる枝葉で優しく包み、いつまでも見守り続ける……』
「エルフに伝わる原初の二柱、風の父と大樹の母か。名前は初めて知ったな。他の種族も記されているのか?」
一通り目を通すと、三枚目の前に移る。
『初めの男は鋼のダリ。
なによりも硬く、強きもの。守り、砕く盾と槌。
初めの女は宝石のホープ。
なによりも美しく、あらゆる光を孕むもの。輝き微笑む至極の玉……』
「ドワーフの二柱、鋼の戦士と玉の乙女」
四枚目。
『初めの男は獅子のライアン。
誰よりも鋭き爪と誇り高き牙がある。
初めの女は角獣のシルク。
誰よりも神秘的な毛皮と癒しの角がある……』
「獣人族、獅子王と角の巫女」
五枚目。
『初めの男は闇のデモン。
果てなき深淵はすべてを飲み込み、拒みはしない。
初めの女は塔のサーロ。
果てなき頂はすべてを見下ろし、蔑みはしない……』
「魔族、深淵の支配者と不壊の女帝」
そして、六枚目の石板に目をやったナミラは眉間にしわを寄せた。
『初めの男は●●●。
唯一無二の●●●さ、唯一●●●ぬ意思。
初めの女は●●●ワ。
唯一無二の●●、唯一無二の消え●●●……』