『一報』
世を東西で分けたセキガ草原の戦いから半年。
ダーカメ連合と同盟を結んでいた国々ではひと悶着あったものの、世界を取り巻く情勢は平和なものだった。
北の大地にて奮戦していた魔族たちはセリア王国をはじめ、ダーカメ連合・獣人国家レッド・ドワーフ王国タマガン・エルフとの最大共存国となったビピンの支援を受け、正式な国家樹立を宣言した。国の名はナスミキラを名乗り、幼い魔王を絶対君主に掲げ、四天王が補佐をする王権制度を選択。強国が承認したことで、魔族を忌み嫌う者たちとの衝突も鳴りを潜めた。
今の世界に、運命を操っていた大天使サンジェルマンはいない。
その結果、未来は今を生きる命に委ねられることになった。大きな戦もなく緩やかに回り始めた時間の中で、人々は生命の営みを広げていく。
だが、この日。
ある一報が世界中に混乱をもたらした。
――小国ビピン エルフの隠れ里オヘレインの森
「馬鹿なっ! 信じられない!」
「落ち着け、レゴルス。すべてのエルフが同じ気持ちだ」
ざわめく森の中心で、レゴルスとタスレの二人が険しい顔を突き合わせていた。
「しかしタスレ殿」
「お前が落ち着かねば、誰があの女をなだめるのだ。知らせを持ってきたシルフを殴り飛ばし、ウンディーネが総出で拘束しておる最中だぞ?」
湖の方角を指さし、老齢のエルフは苦笑いを浮かべた。
「……すいません」
「気持ちは分かる。だが、こんなときこそ頭を冷や」
「離せえええええええええええええええ! アタイは信じないぞおおおおおおおおおおおお!」
けたたましい雄叫びに鳥が逃げ出し、子どものエルフは恐怖で震えた。
「……行ってくれ」
「……はい」
戦士長を送り出すと、タスレは静かに空を見上げた。
一面には、彼の表情よりも暗い雲が広がっている。
「兄上……なにをしているのだ」
誰にも聞こえない呟きは、湿った風が攫っていった。
――獣人国家レッド・ドワーフ王国タマガン 国境の村
「ウソだ!」
「ウソだよ!」
ガオランとアーリが揃って叫ぶ。
両国で起きた革命は早々にケリがつき、すでに新たな君主が誕生していた。
久しぶりの再会となった二人は積もり積もった想いをぶつけ合い、宿屋で愛を深める最中だった。だが、アーリの父グリからの通信でそんな気持ちは吹き飛んだ。
「んなわけないじゃん! ドッキリ?」
「ちがうと思うよガオちゃん。でも、こんなこと……」
無意識のうちに手を握り合った二人は見つめ合い、しばしの別れを告げた。
互いの国に戻り、情報の真偽を確かめるために。
――ダーカメ連合首都 アブダンティア
「んなアホなっ!」
首都にそびえる奇抜な建物の中から、怒号が響いた。
当主であるダーカメが、わなわなと震えて側近を睨んだ。
「レイジ! お前こんなアホな話信じとるんか!? つまらんデマを報告してくんなや! こんなん見抜けんなんて、頭腐ったんとちゃうか!?」
「ダ、ダーカメ様。落ち着いてください」
「やかましいわ弟! すっこんどれ! おいダイスケ! この兄弟つまみ出ししたれ!」
「残念ながら、すでに世界中に広まっている情報です……ダーカメ様、私と彼の関係をご存じであれば、私が冗談でもこんなことを申し上げないことは、お分かりいただけるはずですっ!」
普段は冷静沈着なレイイチ・ベアが、拳を握り歯を食いしばる。
その様子に、ダーカメは苦虫を嚙み潰したような顔を見せた。
「せやけどな、ホンマに信じられへんねん。知っとるやろ? あの子がくれた手紙に、ワイのこと友人やって書いとったの。拳で語り合った仲やって、ホンマ生意気で粋なこと言いよったんや……あんな男が、ワイは好きやねん」
「みんな同じ気持ちだよ。でも、残念ながら本当だ」
部屋の隅で突如湧き水が発生すると、中から水の賢者ミドラーが姿を現した。
「……なんやねん。こんなときだけシラフかい」
「いくら飲んでも酔えないんだよ。ボクだって何度も確認したさ。でも……証拠があった。詳しいことはまだ分からないけど、こんな映像が送られてきたよ」
取り出した水晶玉から、立体の映像が浮かび上がる。
目を背けたくなる現実に、全員が青ざめていった。
「噓やろ……なぁでも、なんでこない大事になっとんねん。氷のジジイのときは、べつになんもなかったやんけ」
「あのときとは状況が違う。これは……世界への大罪だ」
重い空気が、西の覇者たちを苦しめる。
どこまでも続く黒い空から、大粒の雨が降り始めた。
――魔族の国ナスミキラ
「間違いありませんの?」
サキュバス・クイーンであり四天王筆頭マーラが、魔王をあやす手を止めて言った。
報告に来たゴブリンは肩を震わせながら、合わせてテーベ村の混乱を伝える。
「……分かりました。特に親交のあった者たちを連れて、砦の兵士さんたちに協力しなさい。情報が入ったらすぐに報告を」
マーラはゴブリンを下げさせると深呼吸をし、他の四天王へテレパシーを飛ばした。
集結を待つあいだ、玉座に置かれたゆりかごに主君を寝かせる。幼く愛らしい顔と自身の両手を見つめると、親愛なる人物の顔が浮かんだ。
「ナミラ様……」
「なぃあ?」
聞こえた名前に、ゆりかごの魔王が嬉しそうに笑った。
微笑みを返そうとするも、マーラは上手く笑うことができなかった。
――セリア王国
「行くぜ!」
「急ごう、ダンちゃん!」
斧を担いだダンとローブに身を包んだデルが、王都の門を出ようとしていた。
土砂降りの雨にもかかわらず、二人の足取りは速い。
「ダメよ! 戻って!」
しかし、駆け付けた三つ編みの少女が行く手を阻む。
両手を広げ、雨に打たれるアニは三人を鋭く睨んだ。
「邪魔するな、アニ!」
「そうだよ! じっとしてられないって!」
「どこに行くっていうの? なにをするっていうの!?」
甲高い声に、幼馴染二人も負けじと睨む。
「現場に行くに決まってんだろ! お前はあんな知らせ信じるっていうのか!?」
「信じられるわけないじゃない! でも、私たちの関係を考えて! むしろ状況を悪くさせるかもとか思わないの?」
雨のせいで気づくのが送れたダンとデルは、気まずい顔でたじろいた。
アニは、泣いていた。
「今、ガルフ様が必死で情報を集めてる! 王様やアレク様も状況を整理しているところなの! なのに勝手なマネしないで! モモちゃんだって重傷なんだよ? ファラさんはショックで倒れちゃったんだよ!?」
感情に耐えきれなくなった膝が折れ、アニは泣き崩れた。
「私だって行きたいよ……でも……もしナミラがいたら……落ち着けって言うはずだから……私たちは……私たちだけは……ナミラを信じようよ……」
歯を食いしばった二人は、黙って足を動かした。
けれど門はくぐらず、泣き続ける幼馴染の肩を抱き、共に雨粒を浴びた。
この日、世界中を分厚い雲が覆い各地で雨を降らせた。
だが人々の関心は伝えられた一報に注がれ、語られる声が消えることはなかった。
『南の大国エズトラにて。
土の賢者『地賢のチャトラ』が殺され、賢者塔が崩壊。
弟子の多くが死傷し、雷迅のガルフの娘モモも瀕死の傷を負った。
そして、この事件を起こした者。
当時、モモと共に賢者塔を訪れていた男。
ナミラ・タキメノを大罪人として手配する』