『あなたがいるから私がいる』【第三部完結】
「……いい香りだ」
心地の良い陽だまりの中、ナミラは呟いた。
優しい風に乗って、花の香りが体を包んでいる。
「これは……母さんの焼き菓子、そろそろ出来上がるな。あれ? お茶はまだ早い……あぁ、なるほど。味見がてら先に食べるんだな」
鼻をひくひく動かし微笑みながら、暖かな空を見上げる。
タキメノ家の庭は美しい花々に彩られ、白い石畳が敷き詰められていた。戦闘があった形跡など少しもなく、穏やかな時間が流れている。
「ナミラ様。お茶をお持ち致しました」
ロッキングチェアに揺られるナミラに、渋い声がかけられる。
ティーセットを持った執事のシャラクが、三つの柔らかな視線を向けていた。
「ありがとう、シャラクさん」
「そろそろ奥様方の焼き菓子が出来上がる頃です。きっと、ナミラ様にもお持ちになるでしょう……味見役が必要でしょうから」
「ですね。まさか名家の貴族婦人や令嬢、左右大将軍婦人も台所に立つとは」
笑って屋敷を見上げ、今朝の様子を思い出す。
知らぬ間に作り上げられていた、母親の交友関係。
特にファラが作る菓子は、子孫繁栄と必勝祈願に効果があり、神に捧げればどんな供物よりも喜ばれるともっぱらの噂となっている。
その結果、料理などやったことのない王族貴族のご婦人方がこぞって教わりに来る毎日が続いていた。
「噂の出処というか……こうなった理由はなんとなく分かるけどなぁ」
ジトッと睨みつけた空で、自然が気まずそうに目を逸らした。
「ははは。まぁですが、どこの家でもメイドの扱いが良くなったと感謝されていますよ。特に、左右大将軍家のキツネとタヌキが和解したのは、歴史に残る偉業と評されていますな。その功績は計り知れません」
「俺しか聞いてないからって、素が出てますよ」
わざとらしく「失礼しました」と頭を下げながらも、笑みの収まらないシャラクは続けた。
「偉業、といえばナミラ様や旦那様。お仲間の皆様も、あの戦いで成したことは偉業と言えましょう」
カップに注いだお茶を手渡し、シャラクは西の空を見つめた。
「あれから一ヶ月。世界が二分するとまで言われた戦が起きたとは、到底思えぬ平和な時間が流れましたな。セリア王の寛大な処置により、ダーカメは引き続き連合の長に。しかし、それまでの強引な政治は取れぬようになりましたが」
「あれだけ大きな組織だ。元々ダーカメのカリスマでまとまってたもんだし、いきなり失脚すれば混乱は避けられない。ま、監視も付けたし、大丈夫ですよ」
甘い香りを一口飲み、ナミラは遠い地に意識を向けた。
――――
決着のあと、戦いに身を投じた者たちはそれぞれの道を歩み始めた。
ガオラン、アーリは結託して革命を起こすと息巻いて、残った兵や父と共に祖国を目指すことになった。
「ありがとな! またヤろうぜ!」
「この恩は忘れないよ」
愛を育む二人の目には、遥かに続く未来が映っている。
熱い握手を交わし、しばしの別れを告げた。
「エルフは再び、各地へ住処を広げるよ」
耳長族たちは、死線を越えた故か誰もが清々しい顔だった。
「これからはもっと、世界や他の種族とも触れ合うことになるだろう。とりあえずビピンに永住権をもらうかな」
「その交渉は誰がするんです?」
「……私がしよう。その手のやり取りは心得がある」
ラライア、レゴルス、タスレの三人はタキメノ親子を囲み談笑する。
前世もあってか、彼らの心に隔たりは感じられない。
「また会おうな……花冠、もうちょっと上手く作れるようになるから」
「うん……楽しみにしてるよ」
永きに渡り外界を避けていたエルフたち。
新たな時代を迎えた彼らは駆ける馬蹄の音を響かせ、陽光を反射させる美しい鎧姿を人々の目に焼き付けた。
「……終わったんやなぁ、ぜんぶ」
アブダンティアに戻ったダーカメは、世界に向けた敗北宣言を行った。
ジル・ド・レェの後遺症により、しばらくは車椅子の生活を余儀なくされる。もちろん首都の人々は直接その姿を見ることになった。被害への糾弾や暴動を覚悟の上だったが、その反応は予想とは違った。
「どこまでもついて行くでー! ダーカメ様ー!」
「こっからまた這い上がってやりまっせー! 連合のド根性見せたりましょ!」
血に染まることを良しとしながら、金に物を言わせてきた。
しかし、人々が魅せられたのはそれではない。
ダーカメ・ゴルドという男の性と生き様。捨てきれなかった人情が、今の連合を作っていたのだ。
「そうですね。ですが、残ったものがあるでしょう?」
「おう、一枚の金で国作るんがワイや。これからは、セリア王国が飼い主やけど、飼い犬ん中で一番のお気に入りになったるで!」
豪快に笑う背後に、冷ややかな視線を向ける男がいた。
「言っときますけど、不審な行動をしたらすぐ報告しますからね」
「分かっとるって、レイミちゃん。そんなキツイ目ぇせんといてぇな」
監視役を任されたレイミ・ベアは、レイイチと並んでダーカメの側に仕えることとなった。
兄との確執は消えていないが、戦のあとダーカメらと共にアブダンティアへ来たナミラの仲介で、一応の和解は果たしていた。
「……あんたもだよ」
「分かっている」
「本当かな? 少しはレイジ兄さんを見習ったらどうだ?」
「やめてぇな、ワイを挟んでギクシャクするの……」
車椅子に座る小柄な当主が、さらに体を縮こまらせた。
「レイジはんといえば、兄弟三人で話したんやろ? どうやったん?」
「どうって……二人で仲良くしてくれって」
「まぁそうやろな。レイジはんも、よりによって転生したのがナミラくんや。いろいろあるやろうし」
「そうですね。ですが、本人は気づいてない様子でしたよ。一言も触れませんでしたから」
「ホンマかいな! 意外に抜けとるんやなぁ。くそ、そっちで攻めればよかったんか」
納得げな年長二人の側で、レイミは首をかしげた。
「あの、気づいてないってなにが?」
「なんだ、お前もか。まぁ、小さかったから忘れているのかもしれんが……そういうところが似たのだな」
「な、なにがだ! もったいぶらずに教えろ!」
「ぐへへへへへへ~!」
悔しさをぶつけようとしたレイミだったが、突如訪れた珍入者が邪魔をした。
「ミドラー様!」
「なにしに来たんや酔っ払い!」
「なにってぇ~、ボクも一応監視役なんだから、いたっていいだろ~? それより、新しいお酒を開発したから飲んでみてくれよ~、百種類くらいあるからさ」
すでにフロア全体で香る酒臭さに、三人は顔を引き攣らせた。
「そ、そんなんダイスケに飲ませぇ!」
「飲ませたよ~? でも彼、グラス一杯で真っ赤になっちゃったからさ~。ダーカメたちはイケるクチでしょ?」
開け放たれた扉の隅に、酔いつぶれたダイスケの手が見えていた。
「ダイスケー! もうちょい頑張れや!」
「ささ、どれからいく? あ、レイイチとレイミ。逃がさないよ?」
水の壁に囲まれた三人は、恐怖に震えた。
「サニーちゃんの十倍タチ悪いで自分!」
「ちょっ、兄さん! なんとかして!」
「レイミ……今、兄さんと呼んでくれたか?」
「言うとる場合か!」
騒いでいる間にも、見たことのない色の酒が注がれた。
「召し上がれ~」
「「「いやあああああああああああああああ!」」」
こだまする悲鳴を聞き、笑う西の民。
西側はまだしばらく、騒がしい日々が続きそうである。
――――
「……セキガ草原の戦いには勝利した。そして、世界は確実に変わった。俺自身も」
呟いたナミラの言葉に、シャラクも頷く。
「例の大天使ですな」
「えぇ。謎は深まるばかりだけど、今まで世界にあった滅びの因子が取り除けたんです。奴を倒したことは、大きな収穫でした。魔族にも協力してもらいましたし」
「なんの。ナミラ様へのご助力ならば、いくらでも致します。それに、セリア王の指示でダーカメ連合からも独立認知の声明をもらえる予定です。これで正式に魔族の国が興るでしょう。我らにも大きな利がもたらされました」
「そうですね。それならよかった」
「ナミく~んっ!」
カップが空になった頃、のんびりとした声がした。
母のファラが花のような笑顔で歩いてきている。
後ろには、お菓子の乗ったワゴンを押すウルミの姿もあった。
「母さん、どうしたの?」
「お菓子が出来上がったから、試食してもらいたくてね。みんなで作ったの。貴族のご婦人はすごいのねぇ~、珍しい材料とかたくさん持ってきてくれて! タイタンさんがヤキモチ焼いてたわ!」
くすくすと笑い、庭の中央に置かれたテーブルに菓子を並べる。
ナミラが立ち上がると、執事とメイドは深々と頭を下げて離れた。
「あれ? いっしょに食べればいいのに」
「はい、ナミくん!」
二人の態度に違和感を感じつつ、皿の上に並べられた焼き菓子を見る。
見慣れない形のものもあるが、どれも母のぬくもりを感じる。ナミラが世界で一番好きな食べ物だ。
「……ねぇ、ナミくん。そのお皿、見覚えある?」
どれにしようか迷っていると、ファラが静かに尋ねた。
指差したその皿は、ナミラにとって馴染み深いもの。
レイジ・ベアが生前に取り扱っていた品物だった。
「うん。母さんが結婚祝いにもらったんだよね?」
「誰から?」
「え、おじいちゃんじゃないの?」
「お義父さんからは、たしかにテーベ村のおうちをいただいたよ。でもね、私のお父さんはなにもくれなかった。くれるようなもの、なにもなかったの」
「……どういうこと?」
「お母さんね。若い頃、親に売られたの」
座りもせず、息子と向き合ったままゆっくりと語り出す。
初めて見る母の様子に、ナミラは少し緊張した。
「借金のかたにね。それ以来、どこでなにをしてるのかも分からない」
「そんな……え、じゃあこのお皿は誰から?」
ファラは慈しむ瞳で、皿の縁をそっと撫でた。
「お母さん、売られた先で夜の仕事をさせられてね。でも、嫌だった。だから、最初のお客さんから逃げ出そうとしちゃったの……雪の降る寒い日だった。そのお客さんは怒って、私を刺そうとしたの」
その光景を、ナミラはなぜか鮮明に思い出すことができた。
「でもそのとき、ある人が助けてくれた。名前も知らない私を庇ってくれた。でも……その人は命を落としてしまったの。お礼も、なにも言ってないのに……助かってからも、彼の家族がとても良くしてくれたわ。結婚を報告したら、お兄さんがこのお皿を送ってくれたんだよ」
ナミラの目から熱いものが零れる。
言葉が、見つからない。
「レイジさん」
同じように泣きながら、ファラは震える声で言った。
「やっと、やっと言える。私を助けてくれてありがとう。私の子に生まれてきてくれてありがとう。あなたのおかげで、私は……世界一幸せです!」
抱きしめられ、温かな腕に包まれる。
ナミラは震えた。
レイジの前世が蘇ったのは、皿に触れたからではなかった。
この世に生を授かったときから、縁が結ばれていた。
身を挺して救った女性の子として生まれていたから。
ナミラ・タキメノの命は、前世から続く奇跡だったのだ。
「あ……あぁ」
「ナミくんがアブダンティアに行っている間に、シュウからレイイチさんのことや、レイジさんの前世のことを聞いたの。だから……とても心配だった。あなたに家族と争わせてしまうことが、とても辛かった。私はあなたに大切なものをもらったのに、いつも辛い目に遭わせてしまう。あなたのおかげで私がいるのに、こんなに幸せなのに……なにも返せなくてっ」
「それは違う!」
母の胸から顔を上げ、泣きじゃくった顔で見つめた。
「あなたがいたから、レイジとしてのおれは悔いのない最期を迎えることができた。母さんがいたから、ナミラとしての俺はここまで来れたんだ。母さんから、たくさんの愛をもらったから……だからナミラ・タキメノは、幸せなんだよ!」
そっくりな泣き顔で、母と子は再び抱きしめ合った。
「ありがとうっ」
「ありがとう!」
時の流れ、生と死。
あらゆる事象に飲まれ姿形が変わろうと、永遠に続くものがある。
命の縁は悠久の時が流れようと決して消えず。
愛は生命続くかぎり新たな想いが生まれていく。
命も愛も皆尊く美しい。
庭園で涙を流す親子の姿もまた、なにものにも代え難いほど尊く美しいものだった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
第四部開始まで、また一ヶ月ほど時間をいただきたいと思います。もし誤字脱字などありましたら、ご報告もお待ちしています。
物語はまだまだ続きますので、これからもよろしくお願いします!
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