『セキガ草原の戦い 繋がり』
「どこだ、ここは」
ナミラの魔法により転移したサン・ジェルマンは、周囲を睨む。
晴れ渡っていた空は暗く、セキガ草原の青々とした草は一本も無い。代わりに、砂だらけの黒い大地が広がっている。
果てしない闇に浮かぶ大天使は、自身が太陽にでもなった気分だった。
「エルフたちと進軍中、俺がなにもしてなかったと思うか?」
辺りに響くナミラの声。
サン・ジェルマンはその姿を探すが、僅かな気配も感じられない。
「天使なんて存在は予想外だったが、サン・ジェルマンであることは看破してたんだ。なら、それなりの対策はするさ」
光のかぎ爪を振り回し、剣を振るう。
生まれた風圧と斬撃は、物言わぬ闇に消えてしまった。
「アーリの荷物に入ってた通信機を使って、アブダンティアに残ったレイミと連絡を取った。これは俺の個人的な頼み。ただ転送の座標を指定するだけだから、ミドラーの協力も問題はない」
大天使は置かれた状況を整理する。
この世の誰よりも永く存在するサン・ジェルマンに、知らぬ場所はない。この闇も見覚えがある。しかし、ずいぶんと久しぶりだ。
どこで見た、いつ行った、そのとき誰がいて、なにがあった。
「お前は俺が知る中でも、最も高位の存在だ。それは認める」
「だからどうした!? 対策とやらは隠れ続けることか!?」
ニヤリと笑うと、サン・ジェルマンは地上へ光線を放った。
ここがどこで、ナミラがなにを考えていようと関係ない。一帯を吹き飛ばしてしまえばいい。
国一つを焼け野原に変える一撃で、すべてを終わらせてやる。
光はまるで大きな剣のように、暗黒を貫いた。
大地に触れた瞬間起きる、無慈悲な爆発。
そんな結果は訪れず、光線は音もなく消失した。
「なに!?」
大天使が震え、狼狽する。
目の前で起きた現象で、すべてが繋がった。
ここがどこかも、ナミラの狙いも。
「やはりお前も恐ろしいようだな。天使も世界の理には逆らえないらしい。そうだよな? この大地はすべての魔力を喰らうのだから」
「だ、黙れ! 姿を見せろ!!」
「言われなくとも!!」
漆黒の砂が巻き上がり、地中からナミラが姿を現した。
しかし、出てきたのは一人ではない。
少年を慕い、忠義に燃える魔族たちが待ち構えていた。
「ここは元バーサ帝国! 魔喰に侵され、今は魔族たちが住む北の大地だ!」
サン・ジェルマンは強過ぎるが故に、気づくのが遅れた。
高位存在であるが故に、魔族以外ならとっくに侵食され塵と化している空で、輝き続けることができた。
それ故に、力が削がれていることにも気づかなかった。
「同胞たちよ! 今こそ恩人に報いるとき! 蘇り強くなった我らの力、ナミラ・タキメノ様にお見せしようぞ!!」
「「オオオオオオオオオオオ!!」」
吸血鬼ヴラドの声に合わせ、大地を埋め尽くす魔族たちが一斉に攻撃を開始した。
「ありがとう、助かった」
「とんでもありません。貴方様のためなら、我ら魔族は協力を惜しみませんわ。ナミラ様」
そばに立つサキュバス・クイーンのマーラが笑う。
以前会ったときよりも肌艶が良く、翼も胸も大きく立派になっていた。
「この件にセリア王国は関係ない。あくまで、俺個人の」
「心得てございます。ねぇ? 魔王様?」
「あぶぅ」
マーラの胸に抱かれて、魔人の赤子がおもちゃを振った。
「まさか、この子がこんなに強力な結界を張れるなんて。おかげで塵にならずに済んでるよ」
ナミラは、自身の力とは別の薄紫色をしたオーラに包まれていた。
「以前、テーベ村の子どもが転んでこちらに入りそうになりまして。そのとき、魔王様がこうして助けられたんです。本当に、これからが楽しみですよ」
「キサマラーーーー!!」
裏返った声で叫ぶサン・ジェルマンが、怒りを爆発させた。
「こ、この大天使を前に、井戸端会議など……この程度で勝ったつもりか!?」
「そんなことないさ。本命はこっちだからな」
ナミラの姿が陽炎のように揺れる。
サン・ジェルマンは今見ていたのが幻影だと察し、本体を探した。
「こっちだ!!」
頭上で響く声。
見上げると、先程巻き上げられた砂が集まり、渦巻いている。
「そうか、魔王の前世!」
「気づいたところで遅い!」
砂塵の嵐が光の天使を包み込む。
その様子は、黄金色の稲穂に群がる害虫を思わせた。
「このっ! 砂ごときに!!」
どれだけ守りを固めても意味はない。
ナミラは、サン・ジェルマンの力を魔力に似たものだと見抜いていた。
闘気であれば話は違ったが、自分以外を見下す大天使に『勝ちたい』などという闘志が湧くはずはない。
抵抗する体に、一粒の砂が触れた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
そこから広がる光の陰り。
炎が揺らめき消えゆくように、サン・ジェルマンは黒に覆われていく。
「舐め……るなぁ!!」
カッと目を見開き、高速で回転して竜巻のような風で砂を吹き飛ばした。
「ここで終わってはくれないか……」
ナミラは苦笑し、再び水の魔法を唱える。
「させるかあぁ!!」
「くっ!」
回転の勢いを利用して、大天使が飛び出した。
魔法の展開には、数秒間に合わない。
「ごあっ!」
しかし、サン・ジェルマンの後頭部を閃光が襲った。
いくら弱った状態であっても、大天使の隙をつくのは至難の業。しかも動きを止めるほどのダメージなど、サキュバス・クイーンであるマーラでさえ簡単にできることではない。
だが、妨害の光はマーラの胸から放たれた。
「ぅちゃい」
抱かれたまま空を見上げる、無垢な魔王の小さな手から。
「魔……王っっっ!! この糞餓鬼がああああ!!」
「礼を言う! 『改造術式展開 座標指定 障害なし 水縛の牢獄』」
再び生じた水の牢獄に飲まれ、二人は北の大地から姿を消した。
次にサン・ジェルマンが見たのは、一転して明るい空。
そして、開けた闘技場に立っていた。
「おのれえええええ! どこに行ったああああ!!」
生まれて初めて感じる屈辱に、思わず吠える。
体の侵食は、止まることなく続いている。
「おぉ、来た来た。王国への侵入者となれば、儂も手を出さんわけにはいかんからのぉ」
「これまた珍妙なお客様でございますね」
空と正面から老練な声が流れた。
すでに雷の最高位魔法を唱えた、雷迅の賢者ガルフ。そしてウルミらメイドたちを従えた、タキメノ家の執事シャラクであった。
「ここは王立学院アインズホープの闘技場でございます。では、サン・ジェルマン様。歓迎致します」
名乗りもしないまま、それぞれ必殺の技を浴びせる。
雷の拳と三ツ目からの光線を先頭に、迷いのない殺意が襲いかかった。
「ふざけるなああああああ!! 身の程を知れ下等生物共があああああ!!
最強の賢者の最強の一撃も、暗殺集団ベリアルを退けた力も、大天使には通じない。
怒号に込められたオーラの放出で最高位魔法は弾かれ、執事とメイドたちは壁に飛ばされ激突した。
「ぬうううう!」
「こ、これは……」
「許さん、許さんぞナミラ・タキメノぉ! このサン・ジェルマンにこれほどの屈辱をぉぉぉぉ! 殺してやる! 滅ぼしてやる! まずはこいつらを跡形もなく」
冷静さを失い呪詛に似た言葉を吐く背に、四本の刃が襲いかかった。
「我らアインズホープ四勇士!」
「人族の誇りを守るため!」
「祖国の未来を守るため!」
「貴様の首を取る!!」
テネシー、ルノア、バーバラ、アレク。
王国の未来を担う四人の若者たちが、世界を揺るがす敵に挑む。
「餓鬼共があああああ! この私に貴様らが触れられるものかあああああ!」
鮮やかな奇襲だったが、光の剣がいとも簡単に防ぐ。
「触れてみせる!」
衝突によって発生した稲妻にも耐える。
闘気と魔力、持てる力のすべてを出しながら、アレクは叫んだ。
「戦地に行った友と約束したのだ。彼らが留守の間、この国を守ると。父に託されたのだ、未来を頼むと!」
いくら四勇士であっても、サン・ジェルマンの力には及ばない。
だが、光の顔はみるみるうちに強張っていった。
「ま、待て、その武器は……まさか、貴様ら!」
「我ら四勇士にして四天聖具の担い手! 我ら以外がこの刃に触れればどうなるか、知らぬわけではないのだろう!!」
セリア王国に古くから伝わる四つの宝。
北天槍グングニル、南天大剣ジョワユーズ、西天剣アスカロン、東天王剣エクスカリバー。
強力な結界を作り出し、魔王すら退ける力を持つ人族の聖なる武器。選ばれし者以外が触れれば、必ず呪いを受けることになる。
それは、大天使であっても例外ではない。
「おおおおおおお離れろおおおおおおお!」
焦りと恐怖を隠そうともせず、サン・ジェルマンは悲鳴を上げた。
どれであっても受けてはならない。
砕けぬ刃なら、担い手を先に滅してしまおうと光線を放った。
「させんっ!」
残忍な光を風が、火が、水が、土が防ぐ。
四勇士の背後には、精霊族を束ねる四大精霊王たちが立っていた。
「自然界の魔素ごときがあああああ! 邪魔をするなあああああ!!」
「なにを馬鹿なことを言う」
「自然はどこにでもあるもんだぜ?」
「それに、ナミラ様の頼みを私たちが聞かないわけないでしょ?」
「なにより……人族を滅ぼすなど見逃すわけがなかろうて。ファラさんの菓子が食べられんくなるではないか」
聖具を押し込む力に、風火水地の偉大な加護が加わった。
「どいつもこいつも愚かなことを! もういい、ダーカメの侵攻など待っていられるか! この世界も私が滅ぼしてやる! もう一度、一から作り直してくれる!!」
「人間を……この世に生きる生命をなんだと思っている……そのような愚行、このアレキサンダー・フォン・キングス・セリアが許さん! 獅子王の息子を舐めるなあああああ!!」
「黙れ下等生物!! この国諸共、全員消し飛ばして」
「威光剣王剣!」
大爆発の力を込めた全身に、剣で貫かれたような痛みが走った。
目には見えぬ威光の剣が、天使の動きを封じる。
歴史に名を遺す、偉大なる剣王エクスの前世が繰り出した王家秘剣の力である。
「威風堂々《アネモ・ダルメノス》!」
さらに、突風にも勝る勢いでぶつかり、アレクのエクスカリバーを押した。
「みんな! このまま押し込めえええええ!!」
ガルフが、シャラクが、ウルミと魔族のメイドたちも加わる。
その場に生き物が存在することすら奇跡に思える、力のせめぎ合い。
闘技場は瞬く間に崩れ、原型を無くしていった。
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」
「あああああああああああああああああああ!!」
光に亀裂が入る。
生じた異常は止まる気配なく広がり、サン・ジェルマンは生まれて初めての敗北感を味わった。
「「はああああああああああああああっ!!」」
四つの聖なる刃が光の体を裂いた。
担い手である四人は、見た目よりも遥かに重い手応えを不思議に感じた。
「ア……アア……」
大天使の体が、傷口から変異していく。
枯れ枝のように乾き、土くれのように脆い。
もはや光のヒトではなく、生きた木偶人形と呼べる風貌になりつつあった。
「コロス……許さ……ない」
「だろうな」
この状況でも、ナミラは警戒を解かなかった。
むしろ、追い詰められたからこそ、なにをしてくるか分からない。
サン・ジェルマンは今、誕生して初めての苦境に立たされているのだから。
「ありがとう、みんな。あとは任せてくれ」
「あぁ……絶対に勝て」
「ご武運を」
仲間たちから言葉を投げかけられながら、ナミラは転移の呪文を唱える。
その間、瀕死の天使は黙って睨みつけていた。
嫌に大人しく静かな敵の様子が、アレクたちにはこの上なく不気味だった。
「『改造術式展開 座標指定 障害なし 水縛の牢獄』さぁ、決着をつけようか」
「望むところだ」
水に飲まれ、再び姿を消したナミラとサン・ジェルマン。
二人が決着の地に選んだのは、今も戦火の消えぬセキガ草原であった。