『セキガ草原の戦い 天使』
生命の根付かない高き空。
遥か彼方から見下ろす太陽の熱射が肌を焼き、風すら逃げ出した無音の世界。
そこに浮かぶ二つの影のうち、ひとつが震える。
ドレスを身に纏う淑女から、静寂を破壊する笑い声が上がった。
「やっと! やっと知ったのね! そう、我が名はサン・ジェルマン! 嗚呼……いつぶりの名乗りかしら~。これは愉快ねぇん! アッハッハッハ!」
腐っても醸し出していた気品と美しさは鳴りを潜め、煌びやかなドレスは狂気に染まっていく。
「お前はいったいなんなんだ? サン・ジェルマンは、時代の節目と呼べる事件に必ず現れる伝説の存在。あのとき連合本部で力を垣間見たのと、毎度変わらないその香水が決め手になった。とはいえ……古い記憶では、初代魔王サタンのときから姿を変えて存在しているな。あのときは少年だったが」
「そうねぇ~。ジョニーのときはよかったわねぇ。お酒のお金返すから、また歌を聴かせてほしいわぁ~」
「ふざけるな」
すで闘竜鎧気を纏ったナミラは、戦場の誰よりも強い殺気を放った。
「あら怖い。そうね、せっかくだから教えてあげる」
余裕を崩さぬサン・ジェルマンの様子に、ナミラの額から冷や汗が流れる。
「時の干渉者っていうのは、なかなか的を得てるわよねぇ。時代を変える大きな事件は、すべて私が起こしてきたのよ~。今回だって、スラム街で小銭稼いでたチビを押し上げて、レイイチ・ベアと会わせたのは私なんだからぁ~。レイジには秘密にしてたから、知らないかしらぁ~ん」
「貴様……」
争いを嫌ったレイジの前世が、怒りの感情を抱いた。
「でも、ここまでの行動をしたのは本人たちよ? 私は理想を叶える手伝いをしただけなんだから」
「……なぜそんなことを」
「人族を滅ぼすためさ」
口調が変わる。
鳥のような高い声は歪み、老若男女の区別のできない音となった。
「人族の栄華はもういらない。世界がそれを望んだのだ」
口調に続き、周囲の空気が変わる。
見た目は人だが、生命であるかすら怪しいものに。
「人族の最期はちっぽけで愚かな欲望により滅ぶというのが、世界の筋書きだ。私はその使命を行使するのみ」
まるで陶器のように、肌にヒビが入っていく。
崩れ剥がれ落ちる中から現れたのは、白い光の体だった。
「だが、余計なギフトを持った貴様が現れた。魔喰の復活は、貴様を排除するためのものだったのだ。まったくあの小娘、禁忌を犯すなど愚かさは変わらんな」
「……いろいろ聞きたいことはある、が」
聞いた言葉に引っかかりながらも、ナミラに追及する暇はない。
ドレスは灰になり、サニー・ジュエルだった痕跡は消えた。
代わりに姿を見せたのは、光の化身。
人型を模した高エネルギーの塊。
魂に刻まれたどの前世も知らぬ、高位の存在。
「まぁしかし、力を集めここまで来たことは褒めてやろう。もはや小細工など不要だ。私が直々に相手をしてやる。冥界で女神と共に、召された魂を慰めてやるといい」
「そうはいかないな!」
謎ばかりあるが、危険な存在だということは明らか。
ナミラは背後に回り込み、一切の手加減なく斬りつけた。
「ふん」
しかし、視線すら向けずに防がれた。
手が剣を思わせる形状に変化している。
闘気とも魔力とも異なる、真っ白な光で作られた首がぐるりと回る。
顔には真っ赤な目と口があり、恐ろしい笑みを浮かべた。
「真の姿では初めて会うな。私はサン・ジェルマン。大天使サン・ジェルマンである!!」
名乗り上げただけの圧力で、本気のナミラが押し返された。
「天使、だと? なんだそれは?」
「知る必要はない、そして後悔しても遅い。百万回を越す貴様の旅路も無駄だったのだ。二度とこんな愚かなことが出来ぬよう、魂も切り裂いてやる。転生などできず、永遠に冥界で苦しめ」
言い終わるや否や今度はサン・ジェルマンが背後を取り、ナミラの首に刃が迫る。
動いた軌跡すら見せないそれは、線ではなく点の移動。
複雑な魔法陣を用いなければ実現しない転移魔法を、いとも簡単に使ってみせた。
「そうかい」
光の刃は空を斬る。
そして気配を感じ取り、自身よりも眩い太陽に目をやった。
「なら見せてやる。女神から授かった力と人間の意地をっ!」
光の中でナミラが吠えた。
遮るもののない陽光の熱に、すべてを焼き尽くす業火が加わる。
「『永久に消えぬ炎の化身よ 夕焼けに棲む美しき翼よ 我が声に応えよ 燃える燃える紅き鳥 孤高の王者に力を乞う 業火 焔 弔いの篝火 すべてを灰に帰す清浄を 極炎鳥降臨!』」
賢者塔に属していないナミラは、賢者の制約を受けない。
なんの障害もなく降臨した極炎鳥が、サン・ジェルマンに襲いかかる。
「最高位魔法か……」
地上の戦いにも影響を与える熱を放ちながら、全身をついばむ嘴が迫る。
「こんなもので、私を倒せるとでも?」
薄ら笑い、手をかざす。
この手に触れた瞬間、燃え盛る大翼は消え茜色の空は元の青さを取り戻す。
はずだった。
「闘魔融合」
指先の直前で炎は収束し、間合いが変わった。
魔法を撃った直後に飛び出したナミラが先に触れ、新たな力を手に入れたのだ。
「闘竜鎧気・炎翼の装!」
大きさは劣るが、凝縮され闘気と混ざり合った力。
煌々と燃える刃は、眼前の光をも断つ。
「くっ!」
両手が剣の姿に変わり、両者は鍔迫り合いのまま睨み合った。
「どうした? 愚かな人族相手に、ずいぶん慌てたみたいだが」
「下等生物め……調子に乗るなぁ!」
白き光の天使と、紅き翼の戦士が空を駆ける。
縦横無尽に飛び回り、幾度となく衝突を繰り返し、晴天は朝焼けとも夕焼けとも呼べない色に染まった。
激しさを増す地上の大戦は、世界の行く末を決める戦い。
対して空の一騎打ちは、過去から続く壮大な運命に抗う死闘であった。
「ガルフ様直伝!」
常人では見ることすら叶わぬ速さの世界で、ナミラは再び詠唱を開始する。
「『怒りの鳴動止むことなく 眩い破壊は鎮まることなく 怒号の雷鳴 稲妻の拳骨 すべては汝の為である 慈悲故に、愛故に 偉大なる怒髪天 天空より下れ 愚かな魂に救済を 雷父推参!』」
轟雷の厳父が、術者もろとも叩き潰す拳を振るう。
サン・ジェルマンは顔をしかめて逃れたが、ナミラは全身で受け止めた。
「炎翼の装、雷冠の装、重魔闘衣!」
頭に雷の冠が迸り翼を稲妻が駆け巡る。
剣には雷鳴が宿り、刀身の大きさと攻撃力を何倍にも高めていく。
「炎雷戦人!!」
狙われていない地上の兵たちも、空に現れた力の権化に恐怖を抱き、逃げ出す者や立ち竦む者までいた。
「くらえぇぇぇぇぇぇぇ!!」
一撃の威力なら、ナミラが操る技の中でも一・二を争う。
周囲に流れる電流が動きを封じ、炎雷の剣で両断する。
歴史上語り継がれる幾人もの英雄が持つ闘気。それらを合わせ強化した、必殺技と呼ぶに相応しい奥義。
「勝てるかもと思ったか? 人間風情には贅沢な夢だったかもしれぬなぁ」
軽く振り回した腕に弾かれる剣。
ナミラは目を見開き、あまりの衝撃に言葉が出なかった。
「あぁ、そうだ。夢見ついでに見せてやろう。未だ知らぬ、貴様の魂の記憶を」
眼前に迫った光が笑う。
闘気の守りを破り、眩しい手が顔面を掴んだ。
「うおおおおおあああああああああああッ!!」
蘇る大量の前世。
すべてではないにしろ、サン・ジェルマンは数多くの前世と会ってきた。
関わりの大小はあるものの、永きに渡って繋がった縁は多い。記憶の奔流を受けたナミラは悲鳴を上げ、体の自由を奪われた。
「さらばだ、愚か者」
輝く光は一寸のためらいもなく。
ナミラの体を貫いた。