『東軍』
西からの大軍が迫る中、セリア王国でも戦の準備が進められていた。
「いってくる」
「無事に帰ってきてね」
「お父さ〜ん!」
兵たちは家族と言葉を交わし、最期かもしれない時間を深く刻もうとしていた。
「……ごめんな、また一人にして」
それは戦力の中心である英雄シュウ・タキメノも同じであった。
「……一人じゃないから。ウルミさんたちも、シャラクさんもいるから」
「そうだな。きっとナミラといっしょに帰ってくるよ」
「うん……美味しいもの、たくさん用意して待ってるね!」
ファラは流れそうになった涙を隠すように、夫の胸に飛び込んだ。
「シャラクさん、皆さん。留守を頼みます」
「はっ。使用人一同、命に変えてもお守り致します。旦那様とナミラ様のお帰りを、心からお待ち申し上げます」
丁寧なお辞儀のあと、タキメノ家の従者たちは夫婦に時間を明け渡すようにひっそりと距離を取った。
何度も経験した妻の見送り。
しかし今度は、抱擁を交わす二人を重く異様な空気が包んでいた。
「モモ……」
「ととさま、心配しないで。わ、わたしも強くなったし!」
それは賢者ガルフと養女モモの親子も同じだった。
少し前まで自分の後ろに隠れていた娘が、自分の意志と足で戦場へ行こうとしている。止めても聞かない少女を、ガルフは悔しげに見つめていた。
「儂が行くことができれば……お前になにかあるくらいなら、いっそ賢者などやめて」
「だ、だめだよ! たしかに超天魔法も最高位魔法も使えないけど。わたし、一人じゃないよ?」
「そうだぜ!」
モモの背後に頼もしい友人が近づく。
自らも装備を整えたダン、デル、アニだった。
「俺様たちがついてるからな! なんにも心配ないぜ、ガルフ様!」
「むしろ自分の身が心配というか……」
「なに言ってんの? 私たちなら大丈夫よ!」
若く勇ましい姿に、ガルフは目を細めた。
「きみたちも……すまないな。大人として情けなく思う」
「そんなことないです。ガルフ様も王様もみんな、やれることをやってくれてますから。それに、ナミラは必ず来てくれますっ!」
アニは絶対の自信を持っていた。
根拠はないし、説明しろと言われてもできない。ただあえて言うのなら、それがナミラ・タキメノであるからとしか、答えようがなかった。
「わたしも信じてる! だから心配しないで、ととさま!」
「ま、あいつが来る前に俺様が大将首取って、戦い終わらせてやるんだけどな!」
「ダンちゃんそれフラグだよ〜。魔喰のときも言ってたじゃん。で、ダメだったじゃん!」
「う、うるせぇ!」
出陣前とは思えない、いつもの光景。
周囲に広がる笑い声が、重い空気を晴らしていった。
「ブレないな、お前らは」
幼い頃からの彼らを知るシュウが、呆れと安堵を混ぜた表情で近づいた。
「押忍! 今回は置いてかれないんで、よろしくお願いします!」
北の砦での防衛戦を引き合いに出し、ダンはニカッと笑った。
「へいへい。でも、何度も言ったが死ぬくらいなら逃げろよ? お前たちになにかあったら、テーベ村の親御さんちに申し訳ない。ガイの奴に殺される」
今は遠くなった生まれ故郷。
彼らは、またさらに遠い戦地へ行こうとしている。
「分かってるよ。母ちゃん泣かすのはコリゴリだからな」
「でも、四勇士から頼むって言われちゃったもんね〜。少しは痛い目見せないと」
「あら、デルにしては珍しいじゃない」
「わ、わたしも頑張ります。だって、王様も行くんだし」
静まり返った王城では、獅子王ルイベンゼンが戦支度をしていた。
そして王都防衛に残される息子アレキサンダー王子と、歴史に記される言葉を交わしている。
万が一のため。
この国の未来を託して。
「まさか王まで出陣なさるとは……」
「仕方ないことじゃ。ダンくんたちのような学徒まで動員して、我が軍はせいぜい千二百ほど。士気を挙げるに有効な手段じゃ。まぁ、本人の性格からして、大人しくしてられんかったじゃろうが」
王をよく知る側近は遠い目のまま笑った。
「ギルドにもクエストとして依頼してましたが、受ける冒険者がいるかどうか」
「出せるものはすべて出すことになるじゃろう。ドドン将軍も怪我を押して出陣するし、あの銃とかいうのも訓練はしとったしな。じゃが……」
「ナミラが来てくれます」
誰も口にはしないが、出回った戦力差から考えて勝利は絶望的。
しかしシュウはまっすぐで、晴れ晴れとした顔をしていた。
「これでも父親ですからね。どんな前世があっても、あいつのことはよく分かってるつもりです。親が親元を離れた子どもにしてやれることは、ただ一つ。帰ってくる場所を守ってやることです。俺は、その役目を果たすだけですよ」
最強と名高い雷迅のガルフは、年若い一人の剣士を心から尊敬した。
「さすが、彼の父君じゃの」
「まぁ、それしかできませんからね。なんなら、卵焼きでも焼いて待ってたいですが」
笑い合うしばしの時間。
しかしそれも、空を劈くラッパの音が終わりを告げた。
「王の御言葉じゃ」
その場にいた全員が城を見上げる。
視線の先に、鎧に身を包み勇ましい表情をした獅子王が現れた。
「我が勇敢なる兵たちよ。聞こえるか、迫る足音が。感じるか、敵の息遣いを」
となりには右大将軍ドドンと、アレクが立っている。
「知っての通り敵は大軍。そして強力な兵器を持っている。見た者も多いだろう、あの鉄の人形たちだ。さらにまだ我々が知らぬ力を隠しているやもしれない」
見上げる表情が曇り始める。
「だが、それがどうした」
しかし王の声は全身を震えさせ、雲を払う。
「敵が誰であろうと、どんな力を持とうと関係ない。このセリア王国に仇なす者は、返り討ちにするのみだ!」
王の両手に拳が握られる。
「かつて文明を発展させた者たちは、すべからく滅びの道を辿った。ダルキオンや古代文明は、自らの力によって自らの首を刎ねたのだ。連合が手に入れたのは、その古き力。手を出した者に滅びを呼ぶ諸刃の剣だ!」
兵たちの心に、僅かな兆しが見えた。
「ならば! 恐れる必要はどこにもない! 歴史を軽視する愚かな者共に、歴史あるセリアの戦士たちが鉄槌を下すのみである!」
アレクから渡された王笏が変形し、神々しい剣へと姿を変えた。
「ともに行こう、誇り高き戦士たちよ! 敵は自ら滅ぶ愚者、ならば我らの手でそのときを早めてやろうではないか!!」
王の言葉を聞いた国民は皆、勇気と尊敬を抱いて叫んだ。
燃える士気を抱いたまま出陣式が執り行われ、セリア王国の戦士たちは歩き始めた。
「シュウ様」
馬に揺られるシュウと並んだ荷車の荷台から、メイド服のシュラが顔を出した。
「うおっ! びっくりした! 参戦するのは聞いてたけど、なんでそんなとこに」
「ガルフ様経由で許可をいただきましたが、表にいると目立つとのことでしたので。銃の調整などを行ってますから、一石二鳥です。あ、こちらもバッチリですよ」
キメ顔でピースをすると、シュラはさらに中の様子を見せた。
布に覆われた荷台の中心には、重厚な棺桶が横たわっていた。
「……昨日も言ったけど、他に容れ物なかったの?」
「これが運搬もしやすくて、サイズもちょうどいいんです。あと、本人が落ち着くって言ってましたので」
「えぇ……」
若干引いているシュウに、可憐なメイドは頭を下げる。
「ファラ様と約束しました。必ず、ワタシとこいつが勝利へ導きます!」
いっしょに考えたポーズを見せつけるシュラ。
思わず笑い、シュウもピースをキメる。
「そうだな……勝とう、絶対に!」
シュウは馬を操り、兵たちを鼓舞して回る。
英雄である妖精剣士の行動は、未だ恐怖心と戦う兵たちに希望を与えた。
戦士たちは西に剣を向け、勇気を抱いて歩み続ける。