『我がままに』
エルフの長老ラライアは、千年にも及ぶ人生でも経験のない事態に直面していた。
獣人の少女とドワーフの少年が融合し、べつの生命体が立っている。
好戦的な視線を向けながら、抑える気のない瑞々しい力を纏う。見た目だけで言い表すなら『半獣人』といったところか。
「でもまぁ……本気は出せそうだね」
浮かんだ動揺をすぐに消し、冷静な警戒を全身に宿した。
「「おお……すっごいな、オレ」」
ガーラと名乗った両性の半獣人は、対照的に自身の変化を喜び楽しんでいる。
背丈は成人と並ぶまでになったが、中身は子供だ。
「「よっと」」
落ちていたアーリの槌を器用に蹴り上げ手にすると、数回振り回してニヤリと笑った。
「「じゃ、いっくぜぇ~?」」
ガーラの姿が消え、一陣の風が駆け抜けた。
ギイイイイイイイイイイイイイインッ!
次の瞬間、二つの長柄武器が交わり重い激突音を響かせた。
「くっ!」
「「はははっ! やっと余裕が消えたな」」
先程までとは文字通り別人の動き。
速度も力も、単純に二人を足したものを遥かに超えている。
「……そうだね。でも、調子に乗るんじゃないよ!」
洗練された技が、とんでもない膂力のもと、とんでもない速さで繰り出される。
「「はははははっ!」」
それを受ける相手は無邪気に笑う。
本能の赴くまま、力の高まりのままにラライアの攻撃を真っ向から迎え撃つ。
突き、薙ぎ払い、打ち落とし、蹴撃、拳撃。
回転、カウンター、跳躍、フェイント。
彼らにできるすべての動きが、惜しむことなく発揮される。
武術の歴史に刻まれるであろう絶え間ない応酬だったが、視認できたのはナミラとレゴルスの二人だけであった。
「……すごい」
戦士であるレゴルスは、目の前で繰り広げられる奇跡とも呼べる戦いに感激していた。
しかし、同時に疑問と疑念がくすぶる。
「ナミラくん……いや、レオニダス殿。あの二人になにをしたのですか?」
「嫌やわぁ、そんな怖い顔せんといてぇな。それより、今は目の前に集中しとたほうがええで?」
くすくす笑う女獅子。
はぐらかし戦いに視線を戻したが、レゴルスはその瞳に悲しみを感じた。
伝説の大戦士レオニダス。
獣人の全盛期と言える時代に、最も栄えた大国を支えた守護の権化。
現世に蘇った彼女は、子孫を見つめる遠い目の中にかつての日々を思い出す。
無敵の大将軍レオニダス。
当時そう呼ばれていたのは、金獅子の獣人である夫であった。
幼い頃は故郷の村で共に過ごしたが、自分はその後両親に売られ、夜の踊り子になっていた。遠征中の野営地を訪れ、軍人相手に踊っていたら偶然再会。その場で嫁になれと口説かれ、抱かれ、翌日には獣人国家テルモピュライの公認夫婦になっていた。
夫は手柄を立て続け、出世を遂げた。
しかし、別れのときは迫る。
無敵の大将軍は、不治の病に冒されていた。
「……我はもう永くない」
ひと吠えで万人を震え上がらせる戦士が、病床で呟いた。
「嫌やわぁ、なにを言い出すん? 今、王様があんたのために、いろんな魔法やお医者さんを探してくれはっとるんよ? 王様とこんなべっぴんさんに心配される幸せ者のクセして、弱音吐いたらバチが当たりますよって」
そばに座って手を握り、からかってやった。
でも、自分の手は震えていた。握り返す力が信じられないほど弱くて、涙を堪えるのに必死だった。
「王の気遣いは光栄だが、間に合わんだろう。我が国は危機に瀕している。炎門で敵の侵攻を防がなければ、国土は蹂躪されるだろう……それができるのは、我だけだ」
こちらは見ず、まっすぐ天井を見上げている。
きっと、この人には迫りくる敵軍が見えていて、遠くに足音が聞こえているのだろう。
「頼みがある」
やっと目を見てくれた。
「我とひとつになってくれ」
「あら、そっちは元気やの?」
またからかって笑ったが、真剣過ぎる表情に見つめられ、笑顔を納めた。
「秘術だ。獣人に伝わる、雌雄融合の秘術」
「阿呆なこと言いなさんな!」
呆れたフリをして顔を背けた。
でないと、保てなくなった表情を見られてしまうから。
「あれは二人がひとつになって、新しい存在になるとかいう馬鹿げた術や! そんなもんより、子宝こしらえたほうがええって、わっちは常日頃言うとりますやろ!? それに愛し合うのと同じくらい、同等の生命力が必要なんどす! 今のあんたと、わっちがやったら……あんたは……」
「我としての意識はなくなり、お前に取り込まれるだろう。新たな姿ではなく、新しいお前が生まれることになる」
「そんなん嫌どす! 絶対に嫌や!!」
重症の病人に向けるには、体に障る叫び声。
でも、あの人は優しかった。
「聞いてくれ。我は怖いんだ」
ハッとして顔を見てしまった。
自分だけでなく、夫も涙を流していた。
「……戦場には、死が常にある。当たり前に、いつどこにでも。弱き者が早々に死ぬのはもちろん、百戦錬磨の戦士が流れ矢に当たることもある。誰もが尊敬する大軍師が、夜の排尿中にふぐりを毒蛇に噛まれて逝くこともな」
つい、笑ってしまった。
涙を流したまま、二人で声を出して笑った。
あんなに笑ったのは、夫が病気になって初めてだった。
「……でも、侵略はそうとはかぎらない。死以外の屈辱が蔓延っている」
笑顔が引っ込み、暗い顔になる。
「我は怖い。自分の死よりも、美しいお前が穢らわしい雑兵に犯されることが! 陵辱と屈辱を受けながら弄ばれ、死すら許されず、最期はゴミのように扱われることがっ!」
きっと、実際にその目で見てきたのだろう。
いくつもの戦場を渡り歩いた大将軍は、略奪などの行為を毛嫌いしていた。
牙を剥き出しに唸り、力の入らぬ指で拳を作った。
「我がお前に溶け込めば、我が持つ力はもちろん、戦の経験も手に入れることになる。そうなれば!」
言いたいことは分かる。
この人は男としての気持ちと将軍としての使命、どちらも諦めきれないのだ。
「……それで、ただきれいなだけの踊り子に戦え言うん? 戦場に出て、あんたの代わりに?」
「頼む。お前しか託す者がいないのだ」
「なんで?」
「我がこの世で愛した者は、妻コルコだけだからだ!」
まっすぐで嘘偽りのない目。
不器用で、融通が利かなくて、女心が分からなくて、表裏なくて、純粋で、強くて。
世界一愛しい男の顔だ。
「……いけずやわぁ……ホンマにいけず……そんなん言われたら、嬉しいやん……そんな目ぇされたら……断われへんやん……」
もう駄目だった。
涙が止まらなくなった。顔の毛が濡れて嫌ややから、泣き顔はほとんど見せたことなかったのに。
抱きしめ合って、キスをして、呪文を唱えた。
「……我はいつもお前の中にいる。お前を見守り続けている……愛している、コルコ。誰よりも、なによりも……」
最期の言葉は、ずっと耳から離れなかった。
光に包まれたあと、目を覚ますと床には一人しかいなかった。
「嗚呼……ここにおるんやね」
でも、胸の中に熱いものを感じた。
それが愛する夫であると本能で分かった。
「……ほんなら、行きましょか。わっちら夫婦の愛、この世界に見せてやりましょう」
その後、夫とひとつになったコルコの活躍により、獣人の大国は滅びの危機を脱した。
彼女はあくまでレオニダスを名乗り、軍を率いる大将軍、敵を打ち払う大戦士として戦場を駆け抜ける。同時に、雌雄融合を単なる噂として広め、記した資料をすべて消し去った。その行為にどんな意味があったのか、本人しか分からない。
夫の死から三十年後。
十万の大軍に僅かな兵を率いて挑み、再び国を守ったことで伝説の大戦士は没した。
彼女の死後。遺体から取り上げられた赤ん坊が、ガオランに血を繋ぐことになる。秘術を使う前に身籠っていた命が、時を経て産声を上げたのだ。
それは秘術の効果か、それとも二人の愛か。
理由はレオニダスにも分からない。
「なるほど……では、あれは」
「そう。愛の力って言ったら素敵やねぇ」
朗らかなレオニダスとは対象的に、厳しい表情のレゴルスは拳を握り締めた。
「はあああああああっ!」
「「でやああああああああっ!」」
隠れ里始まって以来の激しい攻防は、より過激になっていく。
視認できない者たちも、棍と槌の衝撃音と二つの雄叫びが上がる場所から、目が離せずにいた。
「ぐっ!?」
拮抗した戦いは、瞬きほどの一瞬が命取りになる。
常人なら見逃す棍の持ち替えの隙を突かれ、ラライアが体勢を崩した。
「「もらったあ!」」
「御免」
好機とばかりに突進したガーラだったが、側頭部を狙った一矢が飛来し、回避のために距離を取った。
「レゴルス! なんのマネだい!?」
真剣勝負に手を出したのは、レゴルスだった。
弓を持ったまま、妻のとなりへ風のように移動した。
「余計なことを! なにをして」
「勝手で余計は承知の上。ですが、私にも戦う権利がある」
「守護戦士長のことかい? 今はそんなこと関係な」
「貴女の夫だからだ」
怒り見下ろすラライアの手を、レゴルスはそっと握った。
「あの日、まだ少年だった私は誓いました。貴女を守る男になると。貴女を幸せにすると。だから、たとえどんな場であっても、貴女が傷つくのを見逃すなんてできません。相手も元々は二人。そして愛する者同士なら、こちらも同じようにしていいはずです」
「へ、屁理屈を言うんじゃないよ! レオニダス……だっけ? あんたもなんで止めないんだい!」
先程までの勇ましさは鳴りを潜め、長老のダークエルフは頬を染めた。
「わっちはそんな無粋なことせぇへんわ。ええ男やないの、ラライアはん。ガーラちゃんの力の源は愛や。あんたも旦那がおるなら、使ったらよろしい」
くすくすと笑うレオニダスに、ガーラが豪快な笑いで続いた。
「「レオニダス様の言う通りさ! 来なよ、どっちの愛が強いか勝負だ!」」
構え直し、真っ向から迎え撃とうとしている。
「……はぁ。ったく、アタイの四分の一くらいしか生きてないくせに。昔はかわいげのある子どもだったんだけどねぇ、一丁前なこと言うようになって」
「変わってませんよ。今も昔も、貴女を愛する気持ちは」
「融通効かない我がままなとこもね……このばか」
レゴルスが弓を構え、ラライアは棍を番える。
「いきます」
「負けないよ」
シャインエルフの魔力とダークエルフの闘気が高まり、混ざり、新たな次元へと昇華していく。
「「はああああああっ!」」
ガーラの全身から、獣の如き雄々しさと鋼の如き強さを持ったオーラが迸った。
構えた槌に収束し、必殺の一撃に備える。
「……見とるか、旦那はん」
レオニダスは微笑み、激しい戦いを穏やかに見つめる。
「わっちらみたいな阿呆な夫婦が、こんなとこに二組もおるわ」
笑いながら闘気を操り、周囲に被害が出ないように囲んだ。
それを待っていたかのように、二つの愛の結晶が放たれる。
「「白黒の破界矢!」」
「超破状紅閃!」
白と黒、紅と黄。
二色に彩られた技同士が衝突する。
双方森ごと消し飛ばす力を持ちながら、周囲を美しい光で満たしていた。