『風と土煙』
「……そうですか。セリア王国と連合が」
神妙な面持ちのレゴルスは、アゴに手を当てて唸った。
周囲には四人以外の気配はない。
オレヘインの森にのみ自生する背の高い広葉樹が、サッパリとした葉の香りを漂わせている。おかげで、ガオランは未だかつてないほど鼻の通りがよくなっていた。
「なんとかなりませんか?」
「シュウさんも前線に出るのでしょう? 私はもちろん協力したい……が、エルフの軍を動かすとなると話はべつです。私もおかげでエルフ一の戦士と言われていますが、発言力は族長には及ばない」
話を進める二人の後ろで、強者の片鱗を感じたガオランがぶんぶんと尻尾を振った。
「とりあえず、集落に行きましょう……と言いたいところですが、きみは帰ったほうがいい」
「えっ」
鋭い視線の先には、アーリが立っていた。
「なんでだよ! アーリだって仲間だぞ! 強いんだぞ!」
「いいんだよ、ガオちゃん。分かってたことだもん。でも……帰りません。ボクも行きます」
自分の倍はある長身のエルフに物怖じすることなく、アーリはまっすぐ見つめ返した。
「……きみは他の二人とは違います。エルフの聖域にドワーフを入れると」
「どんな責苦にも耐えます。でも、話だけはなにがあっても聞いてもらいます。ボクは大戦士グリの子どもだから」
全身から伝わる覚悟の強さに、レゴルスが両手を上げた。
「分かりました。なるべく危害を加えないよう言ってみますが、注意はしててください」
「はいっ! ありがとうございます!」
パアッと明るくなった可憐な笑顔は、まるで満開の花のようだった。
「はあ。妻にかわいい子に弱いのねって、嫌味を言われるんでしょうねぇ」
「アーリは男ですけどね」
「男でも関係……え? 男?」
レゴルスの先導で、エルフたちが住む集落に向かう。
背筋の伸びる厳かな空気が、森全体を包んでいた。
「そうだ、ナミラくん。さっき話に出たロメイン氏の前世ですが、すぐには出さないほうがいいかと」
「どうしてです?」
「西を統括する大族長は、ロメイン氏の血縁。タスレ・シキ・シセーダ、この名に聞き覚えは?」
「……弟です」
二人は同時にため息をついた。
「その様子だと、ご迷惑をおかけしているようで」
「まぁ……クセのある人ではありますね。少なくとも私は、彼に兄がいたなんて聞いたことがない。存在を隠すような間柄なら、気にしたほうがいいと思いまして」
「お気遣い感謝します。たしかに別れ方は最悪でしたけど、そこまで恨まれていたとは」
前世の記憶があっても、縁のある人らが死後どんな人生を歩んだかは分からない。
後世に関わる前世がいれば別だが、外界との関わり嫌うエルフの情報は極端に少なかった。
「そういえば、レゴルスさんの奥さんは北の族長でしたね」
「そう、北の大族長でした。一番の古株だから、一応ここをまとめる長老をしています。彼女を説得するのが一番早いですが……」
「旦那さんからお話してもらえません?」
「するつもりですが、期待しないでくださいね? 私はまだ二八〇歳で、千歳の妻には頭が上がらない。それになにより」
ピンと立てた人差し指を口の前に置いて、レゴルスはウインクをした。
「私より妻のほうが強い」
青々とした景色が続く。
ふと、ナミラの視界にシロツメクサの白い花が揺れるのが見えた。
「ここです。ロメイン氏のときとは、場所が変わっているでしょう? 大所帯で来ましたからね。移動したんです」
レゴルスが手をかざすと、木々がざわざわと震えた。
すると、凛と天を目指していた大木がグニャリと曲がり、円形の門を作り出した。
「では、改めてようこそ。エルフの隠れ里へ」
門をくぐると、神秘的な森の中にあって、さらに別世界が広がっていた。
開けた谷に穏やかな集落。植物本来の形を利用したエルフの伝統的な家が建ち並び、世界にここだけの絶景であった。
しかし、住人である耳長の人々の姿はない。
「レゴルス!!」
草木の揺れる怒号が響いた。
次の瞬間、物陰や樹上に武装した兵たちが現れ弓を構えた。
そして中心にそびえる巨木。
広がった枝の上に、族長のエルフたちが並び立ち四人を見下ろしていた。
「貴様、なにを考えている! 余所者をここまで案内するとは!」
真ん中の男が、目を見開いて叫んだ。
「年を取ったな……」
人間で言えば中年の見た目になってはいるが、ロメインの弟タスレに違いない。
別れの際に付いた額の矢傷が、未だに残っている。
「お聞きください、族長方! この者は妖精剣士シュウ・タキメノの息子ナミラ! 我々エルフと話をするために来たのです!」
「如何に貴様と関係があろうと、我らに人族の事情など関係ない! それに、他の二人はなんだ!? 獣臭い獣人と、あろうことかドワーフがいるではないか!」
ガオランとアーリの顔が強張った。
互いに目も合わさず、言葉も交わさない。しかし強く手を繋ぎ、タスレたちを見ている。
「あ、あの!」
「ボクたちは!」
「黙れ穢らわしい! この聖域に汚物を吐き散らすな!」
タスレは近くの兵に合図を送り、二人に矢を放った。
頬をかすめ、言葉を遮る。
「お待ち下さい! どうか彼らの話を!」
「うるさい! レゴルス、若造のくせに長老の夫だからと調子に乗りよって! 貴様がやるべきことを、我らが代わりにやるだけだ! ナミラと言ったな、人族の小僧! 貴様にだけ発言を許す。だが、こちらの質問への答えのみだ!」
ナミラは一歩進み出て、タスレを見上げた。
「どこで隠れ里の存在を知った? どうやってこの森へ入った? 言え!」
「存在は知っていた。森へは正規の方法で入った。ウンディーネに導いてもらい、合言葉を唱えた」
「デタラメを言うな! 我らを愚弄する気か!!」
淡々とした返答を、タスレは真っ向から否定した。
他の族長も嫌悪感をあらわにしている。
「……妖精剣士の息子と言ったな」
怒りに震えていたタスレだったが、ふと悪意のある笑みを浮かべた。
「ならば、父を超えてみるか? うん? 精霊の力を受けてみよ!」
タスレは手を伸ばし、魔力を込めた。
「おやめください、タスレ族長!」
「黙れ裏切り者が! 今さら後悔しても遅いわ! お前ごと森の外へ吹き飛ばしてくれる!」
「そうではない、そうではありません。彼には無駄なのです」
「なにを訳の分からんことを!」
タスレの魔力が膨れ上がると、周りの兵士たちにもどよめきが広がった。
「風の精霊シルフよ! 我が呼び声に応え、力を与え給え!」
「やだ!!」
少年のような声が、風に乗って響いた。
タスレが放とうとしたのは、レゴルスも操る精霊武装。
自らの魔力と精霊の力を融合させた奥義。
そのためには精霊と契約を結び、固い信頼関係や主従関係を築かなければならない。どちらにせよ、精霊の力添えが必要不可欠である。
しかし、その精霊が拒絶した。
前代未聞の恥辱である。
「……な……は?」
なにが起きたか分からず、タスレは高めた魔力を消してしまった。
「オイラたち、この人の味方だもんね!」
無数のつむじ風がナミラたちを囲む。
風は次第に形を成し、幼い少年の姿をした風の精霊シルフが現れた。
「な、なにを馬鹿な! シルフよ、エルフと続く古き盟約よりもそこの小僧を取るというのか!」
「そうだよ。だから、ウンディーネも力を貸したんじゃん。オイラたち精霊族は風火水地すべて、このナミラ・タキメノ様に従う」
シルフの声が恐ろしく震え、重なる。
同時に、不気味な風が隠れ里に吹き荒れた。
熱風と呼べるほど熱いのに、晒されると背筋の凍る恐怖を抱く。風に触れたエルフたちは、現実の中に悪夢を見た。
「耳長の民よ。この方に危害を加えるのなら、永き盟約ここに捨てる。その種一切風塵と化す覚悟がないのなら、これ以上の愚行をやめよ」
愛嬌のある少年だったシルフたちは、目に狂気とも言える光を宿した。
体にどす黒い闇が渦を巻き、纏うオーラは精霊の神々しさから悪魔の恐ろしさに変貌しつつあった。
「やめろ」
呆れた顔のナミラが、パンッと手を叩く。
春風のような暖かで生命力を孕んだ風が、隠れ里の平和を取り戻しシルフの姿を元に戻した。
その一瞬を見逃さなかったエルフは、のちに「あの手は神の手だった」と語り継いだ。
「やり過ぎだ。こちらの味方をしてくれるのは助かるが、悪戯にエルフを怖がらせるな」
「えへへ。ごめんなさい」
シルフが舌を出し、頭を下げた。
万象王の前世を考えれば、風の精霊王ガルダはシルフの態度に「不敬だ!」と怒るだろう。しかし、なにも知らないエルフたちは、ナミラと精霊のやり取りを信じられない気持ちで見ていた。
「な、なにが……なぜ……」
なかでもタスレはへたり込み、びっしょりとかいた冷汗を拭こうともしなかった。
「……とりあえず、話を聞いてもらえるかな?」
誰も答えることができない。
ナミラはその沈黙を了解と捉え、ここへ来た目的を話し始めた。
外の世界の現状と要求を淡々と述べたあと、ガオランとアーリの背中を押した。
「……もし手を貸してくれるなら、アタシたち獣人は決してその恩を忘れない。エルフが獣人の爪と牙を必要としたときは、幾世代を跨ごうとかならず馳せ参じる。神獣の二柱の名の下に、獣人国家レッド戦士長、黒風のゴルロイの娘、ガオランが誓う!」
「……古き因縁を承知でお頼みします。もしお力を貸していただけるなら、我らタマガンのドワーフ、危機迫りしときはエルフのために槌を振るいます。また、数々の偏見を改めます。時間はかかるかもしれませんが、大戦士グリの子アーリが必ず成し遂げてみせます! ドワーフの神である、鉄の男ガイアと宝石の女ダイアの名に誓って!」
二人が求めるのは、種族を超えた結束。
なにも知らない者が聞けば、絵空事だと思うかもしれない。
しかし、ナミラには希望があった。ダンやアニが、魔族と心を通わせる様を見ていたからなのかもしれない。
しかし、ただ無性に。
目の前で固く繋がれた異なる手を見れば、ここにエルフの手が加わる未来をどうしても望んでしまった。
「どうだろう。もちろん、我がセリア王国も礼は尽くす。かつて古代文明相手にたった一種族で抵抗したときよりも、かなり好条件なはずだ」
「し、しかし……」
「そんな昔のこと……」
族長たちは呟くが、明確な返答はない。
中心にいたタスレは苦々しい表情で睨むだけで、沈黙を貫いた。
「だめだね!」
そのとき、森に響き渡る痛快な声がした。
鳥が羽ばたき、花が揺れる。
戸惑っていた兵士たちにも生気が戻り、シルフは「あいつが来た」と笑った。
「まったく、子どもたちと水辺に遊びに行ってたら、なんだいこの状況は! 情けない族長連中だね!」
吐き捨てるような言葉に続いて、空から降ってくる者が一人。
土煙を舞い上げて、四人の前に着地した。
「うおっ!」
「わあ!」
ガオランとアーリは思わず声を上げたが、ナミラは身動きが取れなかった。
「こっから先は、アタイが相手になろうじゃないか!」
初めて聞くはずの声に、初めて見るはずの姿に。
言いようのない大きな喜びを感じて。
「アタイの名はラライア・モス・バラライカ! エルフの長老をしている女さ!」
レゴルスよりも背の高い、女のダークエルフ。
かつて、堕ちた賢者フェロン・イーターからライア・モス・バラライカの前世が命がけで逃がした、愛しい我が子であった。