『忠義のメイドたち』
「我らを舐めるなよ、闇猫。そんな小娘たちになにができる?」
夜風に晒される屋根の上で、五対の視線が交差する。
殺意を抱き、互いに攻撃しやすい位置の者に狙いを定める。ベリアル左腕部隊の者たちは、即座に武器を構えた。
「……全員がヒタイト・コレクションですか。さすが連合、お金がありますね」
ウルミの言葉に、隊長が覆面の下でニヤリと笑った。
「応よ。最新の武器や銃は便利だが、暗殺といえばこれよ。血を吸い続けてきた刃こそ、我ら暗殺者の手に馴染む」
次の瞬間、彼ら彼女らは同時に動いた。
外から眺める者がいれば、残像で人数が増えたと錯覚しただろう。
「キヘヘヘ、大きい胸だなぁ」
右端で戦う少女は、娘たちの中でも豊満な体つきをしていた。
対峙する敵から、下品な笑みがこぼれる。
「ありがとうございます〜」
しかし、少女は優しい笑顔を返した。
男の欲など知らぬのか、純粋な喜びを礼に込めた。
「いいねぇ、俺の好みだよぉ!」
男の体が加速する。
操るヒタイト・コレクションは細剣。突き出すと同時に刃が光を帯び、少女の胸を貫いた。
「爆ぜ甲斐がある」
刀身の光が熱を発し、ファイアボールにも劣らない爆発を起こした。
少女は爆散し、男の体にも欠片が付着した。
「あぁ〜、やっぱりこの瞬間はたまんねぇわぁ。あ、そういや名前聞くの忘れてたぁ。ま、いいかぁ」
絶頂を感じるかのように痙攣する男。
その耳に囁く声があった。
「プリンと申します〜」
ぎょっとして剣を振るう。
しかし、声の主は見当たらない。いや、そもそも聞こえるはずがない。
声はたしかに、今殺したばかりのメイドだったのだから。
「な、なにが」
「わたしの名前ですよ〜。ヒューマノイド・スライムのプリンと申します〜」
男はそこで、声が首筋に付いた肉片から出ていることに気がついた。
それどころか散った欠片が透明性を帯び、動いていることに驚愕した。
「スライムだとぉ? なら、なおさらファイアボール一発で死ぬ雑魚じゃねぇかぁ!」
必死でプリンの欠片を払いのけながら、男は叫んだ。
「以前はそうでしたね〜。一度散らばったら元に戻れませんでした〜……でも、変わったんです。コアが無事なら、何度だって戻れるし人間にだって擬態できる。コア自体も、簡単には破壊されません。これがスライムの、本来の力ですよ〜」
声が低くなり、男の恐怖は増した。
積み重ねた殺しの技術も、剣の能力もまるで意味を成さない。
「いぎっ! いぎゃあああああ! 痛い痛い痛い痛い痛い!」
プリンが触れている部分に激痛が走った。
「強くなったんですけど、ひとつ問題がありまして〜。すごく減るんですよ〜、お腹が」
「ひっ!」
自分になにが起きているのか悟った男は、手当り次第に爆発を起こした。
「ダメですよ〜。屋根に穴が空いちゃいます」
気の抜けた注意と共に、男の手首にひんやりとした感覚があった。
しかし次の瞬間燃えるような痛みが広がり、愛剣を握ったままの手が落ちた。手首に巻き付いたプリンの一部が、食い千切ったのだ。
「ひぎゃあああああ!」
「じゃあ、そろそろ……いただきます〜」
モゾモゾと動いていた欠片たちが、一斉に男へ飛びついた。
「ひぎゃっ! や、やめて、ゆ、ゆるしああああああ!」
全身が半透明のスライムに包まれると、断末魔の叫びは聞こえなくなった。
そのうちすべてが消化されると、裸のプリンが起き上がって笑った。
「ごちそうさまでした〜」
その背後では、小柄なメイドが奮戦している。
「あー、うー、やー」
細い腕をただ振り回すだけだが、相手のベリアルは死の危険を感じていた。
一見すれば、ただの顔色の悪い少女。
しかし、その攻撃を受けてはならないと、長年の勘が警告していた。
「貴様、いったいなんなんだ」
老練な声が呟く。
躱しながらナイフを投げるが、それも当たらない。
「うー、クルルは女屍人。タキメノ家にお仕えするメイドー」
喋りながらも動きは止まらない。
単調ではあるが、明確な隙もなかった。
「……そうか。なら、頭を貫けば死ぬな」
不敵な笑みが生まれる。
男はクルルに向かって拳を作った。次の瞬間、先程から躱し続けていたナイフがクルルに突き刺さる。それらは躱した先の空中で固定され、主の指示を待っていたのだ。
「魔族が女神シュワに会えるか知らんが。次に生まれるときは、いらんことを口にせんようにな」
トドメのナイフを額に投げ、見事に貫く。
男は踵を返し、闇猫を相手にする隊長の加勢に向かおうとした。
「うー、クルル、まだ死なない」
背中に聞こえた声に驚き、振り返りながら一刀を投げる。
それは顔面めがけて飛んでいったが、開いた口に噛みつかれ折られた。
「なぜ生きている。頭を潰されれば、お前たちは死ぬはずだ」
「うー、それ古い。もうそんなんじゃ死なない。クルルたち、今はたくさん魔力がある。それがなくならないと、死なない」
クルルは両手を突き出した。
瞬く間に闇が渦巻き、圧縮された魔力の玉が生まれ、敵に狙いを定める。
「なっ、なんだその魔力は!」
「うー、いらんこと、もう言わない」
放たれた黒玉は、逃げた男を追いかけた。
そして、足の先に触れた瞬間。
ブラックホールのように、圧縮された空間へ吸いこんだ。
「うわああああああ!」
バスケットボール程度の玉の中に、成人の男が無理やり押し込まれていく。
姿が見えなくなると、玉はさらに小さくなり、クルルの口へと入っていった。
「うー、奥様のお菓子のほうが美味しい……」
しょんぼりしながら、クルルは自分に刺さったナイフを抜き始めた。
「おらあああああ!」
雄々しい叫びが夜を駈ける。
長身のメイドが大柄の男と拳を交えていた。男の体躯はダンにも迫る。
「ハッハァ! 暗殺者ってのは、もっとコソコソしてる奴らだと思ってた! お前みたいなのもいるんだなぁ!」
男の武器は分厚い手甲。
どんな刃も通さぬ、攻防一体のヒタイト・コレクション。
それに対し、メイドは素手であった。
「……俺も、びっくり……お前、強い」
野太く呟くような声に、メイドは愉快な顔を見せた。
「ありがとうよ! アタシはヴェル! オークの女さ!」
両の拳を突き合わせて、二人は力比べを始めた。
「……殺すの、もったいない」
「あぁ? なんでだよ?」
「お前、いい女」
途端にヴェルの力が抜け、屋根の端にまで跳び退いた。
「ば、ばかっ! こ、殺し合いの最中だろっ! そ、そんなこと急に言われても……」
声を上擦らせ、もじもじとしながら頬を赤らめる。
男勝りで豪快な性格のヴェルだが、こと恋愛に関してはウブな乙女であった。
「ま、まずは自己紹介から? い、いや敵同士なんだし……でも、アタシは名乗ったんだからそっちも」
「……お前、かわいいな」
男の言葉に、ヴェルは頭が沸騰しそうになった。
「かわ、かわ、かわわわ!」
「……だから、殺すのもったいない……ずっと飼っていたい」
覆面をズラして見せた大きな口は、歪んだ欲望に染まっていた。
「腕も……足も……へし折って……ず、ずっと飼っていたい……今までの、女は……すぐに、壊れたから……お、お前なら……長く、保つだろ?」
火照りを感じていたヴェルだったが、男の言葉に冷水をかけられた気分になった。
拳を握り、怒りに燃える瞳で睨みつける。
「……最初に言えよ、クズですってな。許さねぇ……女心を弄んだ罪、償わせてやる!」
ヴェルから闘気が溢れる。
荒々しく、凶暴で巨大。
かつて暴食の権化と呼ばれたオーク族の、蘇りし真の力であった。
「……まっ」
「死ねええええええええええ!」
怒りの剛拳が繰り出される。
鉄壁を誇った手甲の防御も虚しく砕かれ、ベリアルいちの巨体は夜空に飛んだ。
月光に照らされた体はバラバラの肉塊と化し、森に住む獣たちの餌となった。
「やっぱ、ナミラ様を超える男はいねぇな!」
鼻息荒く呟いたヴェルは、自分の言葉に頷いた。
「……なかなかやりますね」
「そちらこそ」
剣劇の音が鳴る。
銀髪のメイドが、長剣を操る女のベリアルと戦っていた。煌めく髪と首に巻いたスカーフが、夜の闇に揺れている。
「クレイモアか。その身なりで上手く使う。名はなんという?」
「お褒めに預かり光栄です。わたくし、シルフィと申します」
刃が交わり火花が舞い散る。
一歩も譲らぬ攻防が繰り広げられていた。
「シルフィ、残念だがヒタイト・コレクションはただの剣ではない!」
女の剣が二つに別れたかと思うと、一瞬で大鋏へと変形した。
「その首もらった!」
別れた刃が、再び一つに閉じる。
シルフィの首が飛び、スカーフが宙を舞った。
「かわいい顔してたからな。うちに飾ってやろう」
「遠慮致します」
落下する首が答えた。
女が凝視すると、首無しの体が自らの頭を捕まえた。
「な、なぜ!」
「改めて自己紹介を。わたくしの名前はシルフィ。首無騎士でございます」
斬られた首の境目が紫の炎で覆われ、脇に抱えられたシルフィが視線を向ける。
異様な光景に、女暗殺者は震えた。
「な、なんだそれは! そんな魔族聞いたことがない!」
「でしょうね。数を減らし続けて、もうわたくしと母の二人しかおりません。ですが、衰退の日々も終わりました。力を取り戻した今、一族の復興を成し遂げてみせます」
覚悟と喜びに満ちた瞳は、浮かぶ月と同じ色をしている。
「侵入者の排除などいい手柄になります。どうか、わたくしのために死んでくださいませ」
ない頭を下げた体はいささか滑稽にも見える。
しかし、女には笑う余裕などなかった。
「ば、馬鹿にするなぁ!」
掲げられた首から視線を逸らし、襲いかかろうとする。
だが、動かない。
体が石のように固まっている。
「な、なんで」
「デュラハンが持つ能力でございます。離れた首と五秒以上視線を合わせると、首から下が動かなくなります」
大剣を担ぎ、間合いを詰める。
「ま、待って」
斬撃一閃。
今度は女の首が飛び、血が噴水のように噴き出した。
「……この状態であれば、痛みもありません。せめて安らかに」
頭を戻しながら、シルフィは剣の血を払った。
「ぐははははは! これがお前の殺猫冥風刃か!」
隊長とウルミの周囲を、銀色の刃が囲む。
かつてナミラにも放った、ウルミの必殺技。高速で動き続ける刃のせいで、二人は他の者の状況を知らない。
「だがしかぁし! 銘具持ちが貴様だけだと思うなよ!」
有無を言わさず、ウルミの刃が襲いかかる。
しかし、現れた鎧に弾かれた。
「これぞ防具の最高潮、亜類魔自牢! 大型ゴーレムの攻撃にも耐え抜いた代物だ!」
「そうですか。で、守ってばかりでどうやって勝つというのです?」
心なしかウルミの目には、軽蔑の念が込められた。
「闇猫よ、銘具は一人一つとは限らんのだ!」
隊長は胸のポケットから小さな笛を取り出した。
「これが二つ目ぇ! 軍犬召笛だぁ!」
思い切り吹くと、耳鳴りのような高い音が響き渡った。
すると、魔力で作り出された犬が現れ、ウルミに吠えた。
「へぇ」
「ははははは! 最強の守りと死を恐れぬ獣! 俺が負ける道理はない! いけぇ!」
勢いよく飛びかかった魔犬だったが、コーシカの刃に両断された。
「こんなものですか?」
「そんなわけないだろう? もっと増えていくぞぉ!」
笛を吹くたび魔犬は増え、ウルミに襲いかかった。
倒せども次々に生み出され、纏う鎧も破壊できない。
「やるなぁ、闇猫! しかぁし! これで終わりだぁ!」
ひときわ大音量の音が鳴る。
すると、刃のドームを埋め尽くす魔犬の群れが現れた。
「どうだぁ! 一気に生み出せる最大数! この群れを相手に、いつまで耐えられ」
「もうけっこうです」
唸り、主の命令を待っていた魔犬たちだったが、一瞬で消え去った。
言うまでもなく、ウルミの攻撃によって。
「……え?」
目を見開く隊長に向かって、ウルミはため息をついた。
「話を聞いていましたか? 以前ならともかく、このコーシカは私専用に打ち直されたんです。この程度、対処できないわけないでしょう」
「な、ならなんで今まで」
「私に合わせてどこまで速く動けるか、試していただけです……さすがナミラ様、本当に自由に動く」
空を覆う自身の愛刀を見つめ、ウルミはうっとりとした。
「し、しかし! この鎧を突破しないかぎり、貴様に勝機はない!」
隊長は丸まり、鎧の中に閉じ籠もった。
「ヒタイト・コレクションの特性について、ナミラ様からすべて聞きました。貴方なんかよりも、私はずっと詳しいんですよ?」
コーシカの速度が上がり、超高速の斬撃がアルマジロを襲った。
「たしかに、その鎧は衝撃に強いです。でもね、削れるんですよ。鮫鑢目というべつの銘具だと簡単なのですが、今のコーシカでも可能です」
最強の片鱗が散っていく。
鎧の中で大きくなる音と衝撃で、隊長も自身が置かれた状況を理解した。
「ままま待ってくれ! そうだ、連合の情報をやる! だから助け」
「言ったでしょう、お掃除だと。私、きれい好きなんですよ」
ついに刃が肉に達し、死の激痛が訪れた。
「ぃぎゃあああああああああ!」
「バイバイにゃあ」
最強の守りはあっという間に崩壊し、左腕部隊最後のベリアルはどす黒い血溜まりと化した。
「みなさん、無事ですか?」
「「はーい!」」
コーシカの血を払い、ウルミは魔族の娘たちに声をかけた。
命のやり取りをしたばかりというのに、皆普段と変わらぬ明るい返事を返した。
「よろしい。では、汚れた屋根のお掃除をしましょう。プリン、広がって肉片を全部食べちゃいなさい。他のみなさんは血を落としましょう。早くしないと染みになりますからね」
「「はーい!」」
「いただきます〜」
改めてメイドの仕事に取りかかるウルミたちだったが、その胸には共通して一つの心配事があった。
「……あの子は大丈夫でしょうか」
夜空を見上げる者、足元の屋敷を見つめる者。
それぞれの脳裏には、感情表現の苦手な妹分の姿があった。