『逃走』
ホテルまでの道中、ナミラは今後の身の振り方を考えていた。
サニーが正体不明の術で魂に干渉してきたことは、感覚で分かった。だが、数多の前世たちがそれを跳ね返し、逆にダメージを負わせた。ナミラの意思とは関係ない無意識下でのことだったが、状況は良いとは言えない。ギフトについて、情報を与えてしまった可能性がある。
「……能力が前世に関係していることはバレているだろうな。連合から脱出することはできるが、なんとかセリア王国に伝えないと。最悪、口実にされて戦争になる」
街は意外なほどいつもと変わらない。
ホテルの従業員も、普段と同じ笑顔を向けてくれた。
「部屋は……侵入の形跡もないな」
傍受の危険性から、今まで通信魔法は使わなかった。
だが、事は急を要する。なりふり構っている暇はない。
「西の賢者塔に行けば、水晶を貸してもらえるだろうか。そういえば、まだガルフ様からの酒を持って行ってないし」
水の賢者がどんな人物かは分からないが、酒好きならバボン王の知識が役に立つだろう。
「さっそく、今夜行動してみるか……そういえば、今日はガオランとアーリに会ってないな。いつもなら、勝手に部屋に入ってきたりするのに」
呟き終えると同時に、ナミラの顔が強張る。
完全防音の部屋の中で、かすかに聞こえた戦闘音。
そしてそれは、荒々しい殺気と共に近づき、床を破壊して姿を見せた。
「うわあ!」
「ギャオ!」
床に大穴が空き、短い悲鳴と共に獣人とドワーフが飛び込んできた。
「やりすぎたー! ぶっ壊しちゃった!」
「ガ、ガオちゃん落ち着いて」
「気づいて俺のこと」
声をかけて初めてナミラの存在に気づいたようで、二人は驚きつつも笑顔を見せた。
「よっ! 本部行ったって聞いてたけど無事だったか! アタシらはさ、なんかいきなり襲われてさ!」
見ると散らばったゴーレムの残骸があり、二人とも体中小さな傷や汚れで塗れていた。
「理由は?」
「分からない。二人で地下の混浴風呂に入ってたら、急に大人しくしろって乗り込んできて。そしたら、ガオちゃんが殴っちゃって……」
「応援を呼ばれたのか。なぁ、二人とも。今から俺も逃げ出すから、手を組まないか?」
これ幸いと、ナミラは協力を持ちかけた。
ガオランもアーリも、二つ返事で了承した。
「当たり前だ! むしろ巻き込んで行こうと思ってた!」
「こちらこそ心強いよ〜。でも、よかった。ギリギリで服着てて」
「よし。なら早くここから」
「逃げられては困るな」
冷徹な声がした。
扉から完全武装のエージェントたちが入り、銃口を向けて囲む。そのあとから、レイイチが姿を見せた。
「レイイチ、さん。意外ですね、こんな最前線に出てくるなんて」
「なに、ちょっとした行き違いがあったみたいだからね。決して、私は手荒な真似はしたくないのだよ。皆、銃を下ろせ」
エージェントに指示を出すと、レイイチは深々と頭を下げた。
「ガオランくん、アーリくん。無礼なことをして申し訳ない。エージェントが暴走してしまったんだ。連合として、こんなことをするつもりはなかった。心から謝罪する」
ガオランとアーリは目を丸くしてレイイチを見た。
彼の謝罪が、それほど意外だったのだろう。顔にまで出ていた警戒が和らいでいく。
「そうだったのか!」
「まぁ、レイイチさんがそこまで言うなら許しても」
「嘘ですよね」
レイイチに負けず、口をはさんだナミラの声も淡々としていた。
「なぜそう思うのかな?」
「あなたは嘘をつくとき、口の端がピクピク動くんだ」
今度はレイイチが驚きの表情を浮かべる。
「それをどこで」
「とにかくこの場は押し通る。邪魔するなら容赦はしない!」
ナミラが威嚇の闘気を放つと、一斉に銃口が向けられた。
ナミラに同調したガオランも牙を剥き、アーリは槌を構えて睨む。
「……仕方ない。彼がどうなってもいいのかな?」
遅れて姿を現したのは、レイミ。
銃を突きつけられ、人質にされていた。
「す、すまないナミラくん」
「我々の動きを察して、きみを逃がそうとしていたんだ。ダーカメ様を尊敬していると言いながら、なんと愚かな」
「黙れ! 尊敬しているからこそ、見過ごせなかったんだ! 彼らは他国からの留学生だぞ! こんなことしたら戦争に」
「……なにしてんだ」
空気が変わる。
吹雪の中に身を置くように冷たく、鉄を飲み込んだように重たい。
その中心にいるナミラは、悲しげな目でかつての兄弟を見ていた。
「なにしてんだよ、あんた! 弟だろ! なんでそんなことができるんだ!」
「今だ!」
突然の怒号に周囲がたじろぐ中、アーリが隙をついて煙幕を発生させた。
「ガオッ!」
息の合った動作でガオランが駆け回り、囲んだエージェントをあっという間に倒していく。
「なにをしている! こっちには人質が」
「ぐあっ!」
レイイチのとなりにいた男が、鈍い悲鳴で倒れこむ。
煙の向こうでナミラが意識を奪い、レイミを助け出したところだった。
「……兄さん」
だが、現れた男の顔はナミラのものではなかった。
死んだはずの弟、レイジ・ベアが立っていた。
「レイ……ジ?」
「え?」
抱えられたレイミも目を見開く。
憎い兄の言葉が信じられなかった。
「なぜ……お前が」
「なにしてるんだ。レイミを傷つけて、あんなに可愛がってたじゃないか!」
あり得ないはずの死者との会話。
並みの人間なら取り乱している状況だが、レイイチは鋭い視線を送って答えた。
「お前には関係ないことだ!」
「関係ないことあるか! 父さんと母さんだって……本当に兄さんが殺したのか?」
「あぁ、そうだ! 私が殺した!」
「なんでそんなことを」
「黙れ! 勝手に死んだ奴になにが分かる! お前に……私のなにが分かるというのだ! 死人が口出しするな!」
レイイチと再会して、初めて見せた感情の昂ぶり。
拒絶するかのような言葉とは裏腹に、煙越しに見える表情はなんとも痛々しく、レイジの人格では見ていられなかった。
「ナミラ! 今のうちに逃げるぞ!」
タイミングよく、ガオランが声をかけた。
ガラス窓の割れる豪快な音も響く。
「……レイミは連れていく。次に会ったら、手加減しない」
「こっちのセリフだ」
苦々しい表情で、レイイチは消える弟たちを見つめる。
ナミラたちと共に飛び降りたレイミの悲鳴が遠くなり、煙が窓から抜け出ていく中で、一人呟いた。
「レイジ、お前まで私を否定するのか。《《よりによって》》あの少年に生まれ変わるなんて」
眠らない街に、かつてない喧騒が広がる。
銃声と爆発音を聞きながら、レイイチは膝をつき静かに涙を流した。