『少女の笑顔と女の香水』
「……そうやって伝わっとるんやねぇ。ええよ、じっくり眺めて。そんな余裕があればやけど」
ダーカメとは少し異なる西の訛り。
おっとりとした口調とは裏腹に、重い寸勁がガオランに叩きこまれた。
「ガオちゃん!」
アーリが思わず名を叫ぶ。
歯を食いしばりなんとか耐えたガオランだったが、顔を上げるとすでに拳が眼前に迫っていた。
「っぷあ!」
威力も、速さも、技のキレも、自分とは比べ物にならない連撃。
なにが起きたかも分からない状況で、一方的に攻め立てられる。しかし、少女の瞳には燃える炎があった。憧れを目にし、圧倒的な強さを身に受けて、胸の躍らぬ獣人などいない。
この力に一矢報いたい。
この強さに近づきたい。
この強者を超えたい。
最も戦いを愛する種族の本能が、ガオランの爪と牙を動かした。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
繰り出された正拳に噛みつき、刹那の間動きを止めた。
短すぎる好機に、自らの血と闘気に染まった爪をありったけの力で突き立てた。
「ふんっ」
しかし、前蹴り一蹴。
爪は届かず、仰向けに倒れ込んだ。
「く、そ……まだ……まだ……」
「……やるやん」
なおも噛みつくような視線を送るガオランに、レオニダスは微笑んだ。
その左手に残る歯型からは、僅かに血が流れている。その血を舐め取ると、そっと手を差し伸べた。
「あんた、見込みある。さすが、うちの子孫やわ」
「……え?」
ガオランが目を丸くした。
「なんや、知らんやったんか。まぁ、うちが死んでもう、何万年も経つもんねぇ。この鎖の技はね、うちとダンナの血族にしか使えんのよ。あ、このナミラって子ぉだけはべつやからね? 事情があるんやわぁ」
面白そうに笑うレオニダスからは、温かい母性が感じられた。
「うちが出てきたんも、そのへんが理由なんやけど。ま、それは秘密いうことで。じゃ、このまま決着つけようか?」
「ふざ……けんな!」
伸ばされた手を払いのけ、ガオランは立ち上がった。
「今すぐ、戻れ! アタシが決着つけたかったのは、シュウ・タキメノの息子だ! そりゃあ伝説の戦士と戦えて、楽しかったし嬉しかったしまだ話したいけど……でも! 今は違うんだ!」
傷だらけの体で、なおも覇気を失わない少女。
その勇ましい姿に、金獅子の獣人は眩しそうに目を細めた。
「……ほんま、いらんことしてもうたね。堪忍やわ、ガオランちゃん。うちは引っ込むから、思いっきりやり」
レオニダスが頭を下げる。
そして顔を上げると、ナミラの姿へ戻っていた。
「……悪かったな。子孫に会えて、彼女なりに嬉しかったみたいなんだ」
「おう! あれは獣人の挨拶みたいなもんだからな! 聞きたいことはいっぱいあるけど、もう少し付き合えよ」
ガオランは笑うと、拳を構えた。
「いいだろう!」
上着を脱ぎ、ナミラも構えを取った。
「「はあああああああっ!」」
同時に距離を詰め、拳を叩きこみ蹴りを繰り出す。
どちらも譲らぬ決闘は続き、闘竜鎧気の波動で気を失っていた御者が目を覚ますと、ナミラとガオランは傷だらけで向かい合っていた。
「ガアアアッ!」
「はあっ!」
そして、喉元に噛みつこうとしたガオランをナミラが投げ飛ばす。
地面に衝突した瞬間に鎖が消え、決着を告げた。
「やるな」
「そっちこそ……人族のくせに」
一時気を失ったガオランだったが、すぐに目を開き笑った。
ボコボコにし、ボコボコにされた相手に笑いかける精神は、最初から見ているアーリにも理解し難いものだった。
「あらぁ? 間に合わなかったかしら」
空から女の声がした。
見上げるとすでに白いスカートが膨らんでおり、細い足の先にピンヒールが伸びている。
「お前は」
着地すると、女は香水を一振りした。
「サニー・ジュエル」
ナミラは鋭い視線を向け、警戒の色を強めた。
「そうよ〜、会ったことあったっけ? ナミラ・タキメノくん?」
何種もの花を混ぜた香りが、ふわりと風に乗る。
ナミラはなんともなかったが、鼻の利くガオランは顔をしかめた。
「なんの用だ?」
「やだ、そんなに警戒しないでよぉ! なんの用って、そこの子猫ちゃんたちが抜け出したから、連れ戻しに来たの! そ・れ・と、貴方のことも迎えに来たのよ?」
色目を使うが、サキュバスを知るナミラには効果はない。
しかし、香りと共に漂う並々ならぬ気配が、視線を釘付けにした。
「さ、あれに乗って行きましょう」
指差す先には、豪華絢爛な車が向かってきていた。
しかし、先頭に馬はおらずハンドルを握る運転手がいた。大きさも、ナミラが乗っていた馬車の二倍はある。
「そこの馬車、ついて来なさい」
「え? あ、はい!」
ナミラたちが乗り込むと、見た目の派手さに反して静かに動き出した。
「ね、ねぇ。ナミラ、くん?」
眠るガオランの隣で、アーリが声をかけた。
ナミラは回復魔法で傷を癒したが、ガオランは「情け無用!」と意地の言葉を残し、気を失った。
「ん? なんだ?」
「あんなことしたあとに、こんなこと頼むのは変だと思うんだけど、きみの刀……見せてもらえないかな?」
アーリは話しかけながら、チラチラと竜心に目をやっていた。
「あぁ、いいよ」
差し出すと鞘を抜き、まじまじと眺めた。
「ねぇ、これって、も、もしかして竜の」
「御名答。古代竜の牙で作られたものだ」
アーリは目を輝かせ、頬を赤らめた。
「やっぱり! こ、こんな貴重なもの滅多にお目にかかれないよぉ! すごいなぁ〜」
「見るだけなら、いくらでもどうぞ」
うっとりとした表情のアーリは、もはや周りの声など耳に入っていなかった。
「あらあら、かわいいわねぇ」
正面に座るサニーが笑う。
あの会談以降、戦力として最も注意すべきは彼女だとして、王国でも調査が開始された。しかし、ガルフから送られてくる報告では、ジュエル家のことは分かってもサニー個人については謎のままだった。
ある意味、これはチャンスかもしれない。
ナミラは表向きの警戒を解き、サニーの情報を得ようと考えていた。
「わざわざダスマニアの実質支配者が迎えに来てくれるなんて、連合の歓迎は手厚いですね」
だがしかし、嫌味は込める。
「うふふ、ありがとうと言っておくわ。ま、さっきも言ったけど、その二人のせいなのよ。貴方の話を聞いたら飛び出しちゃって。ゴーレム動かしてたら時間かかるから、たまたまいた私が行くことになったのよ」
軽いため息のあと、サニーは頬杖をついた。
「決闘が見れるかもって思ったんだけど、遅過ぎたわねぇ〜。消える寸前は見えたんだけど、あの鎖って古い王の血筋じゃないと使えないやつじゃない? レアよレア! 惜しいことしたわ〜」
ガックリと肩を落とす姿に、ナミラは苦笑いを浮かべた。
「……その情報、どこで知ったんですか? ガオラン自身も、自分の血統について知らなかったのに」
「あら、気になる? 連合に来れば、いろいろ聞こえてくるわよ。い・ろ・い・ろ、とね」
一見なんの変哲もない会話。
しかし、互いに懐に入らせない水面下での駆け引きが行われていた。
「楽しみです」
「うん、特に首都は楽しいことがいっぱいよ! ほら、見えてきた!」
カーテンを開け放ち、サニーは両手を広げた。
「ようこそ、ダーカメ連合の首都。アブダンティアへ!」