『地獄のお茶会』
闇猫。
裏の世界で知らぬ者はいない凄腕の暗殺者。
今は死んだとされているが、彼女の恐ろしさを知る者は総じて、その噂を信じてはいなかった。
現に本人であるウルート・ミズチは、広大な庭園の中に立っていた。
ウルミという愛称でタキメノ家にメイドとして仕える彼女は、奥方であるファラ・タキメノの護衛とお世話を主な仕事としている。この日も招かれたお茶会へ同行しているのだが、言いようのない居心地の悪さを噛み締めている最中だった。
(……なに、この空気)
庭の美しさに合わない疑心暗鬼が漂う笑みと、相手のプライドをへし折るための口撃の応酬が繰り広げられている。
「おーっほっほっほ!」
「あっはっはっはっは!」
中心にいるのは二人の婦人。
一方は細身で派手な髪飾りをつけており、一方は恰幅のいい体格に大きなダイヤの指輪が光っている。
影でキツネとタヌキと評されるこの二人は、左大将軍レオナルドの妻モルドーと、右大将軍ドドンの妻オエルであった。
「モルドー様のお茶は、どれも本当に美味しゅうございますわぁ!」
「ホント! 香りも一級品!」
テーブルは二手に陣を取るように別れており、モルドーの両脇には取り巻きの貴族婦人が座っていた。
メイドが注いだお茶を、大げさに褒め称えている。
「こここ、このお茶も美味しいで、ご、ございましゅるよ?」
対してオエル婦人の左にはツッカーノ婦人が座っており、旦那より柔らかいマッシュルームヘアを揺らしながら、場の空気に圧倒されていた。
「本当ですねぇ〜。どのお茶も美味しいです〜」
右に座るファラが、のほほんとした声で言った。
ウルミは笑うのを堪えながら、ファラは大丈夫そうだなと安堵した。
「というか、そちらが誘ってきたくせになんだい? このもてなしは?」
オエル婦人がふんっと鼻を鳴らした。
蝶が舞い花咲き誇るこの庭は、モルドー自慢の庭園。王族を招くこともある、王都屈指の美しき楽園である。
しかし、ウルミは無意識にジト目を険しくする。
視線の先には、オエルが指摘した物々しい近衛兵がいた。周囲を警備の名目でぐるりと囲み、モルドーらの背後に控える手練れが、貼り付いた笑顔でこちらを見ている。
その奥にある敵意の塊を、ウルミは見逃さなかった。
(対して、こちらはオエル様の護衛が二人とメイドが二人。ツッカーノ家の護衛一人とメイド二人。ウチは私と……)
ウルミはチラリと自分の隣に目をやった。
栗毛の少女がぼーっと佇んでおり、なにを考えているかも分からない。二日前に新しくメイドとして迎えた者であり、ナミラから教育を頼まれた妹分であった。
(……万が一のときは、奥様だけでも)
あくまで無害なメイドを装ったまま、ウルミは周囲への警戒を強めた。
「あら、ごめんなさいね? 夫があんな目にあって、わたくしも日々恐ろしくて恐ろしくて……」
わざとらしくハンカチで目を拭いたモルドーを、取り巻きの婦人がこれまた大げさに心配した。
「……まぁ、そのことは気の毒だと思ってるよ。でもね、この二人はまだ色々と教えてる最中なんだ。いきなり大貴族の妻になった子と、そもそも平民だった子だよ? あたしはともかく、この二人まで怖がらせることはないだろう?」
オエル婦人から見えない手が伸びて、両脇の二人を庇っているかのようだった。
「そんな! わたくしは、ただお二人と仲良くなりたいだけですのよ?」
「どうだか。あたしとの関係を崩そうって腹なんじゃないのかい? こんなことして、レオナルドに悪いと思わないのかい?」
「……軽々しくあの人の名を口にしないでくださいます?」
空気がビリビリと揺れ、近衛兵の笑顔も引きつった。
戦場を知らぬ奥方の戦いだが、闘気の競り合いと変わらない迫力がある。
「あ、みなさんもこちらどうですかぁ〜? 手作りの焼き菓子なんですけど、美味しいって評判なんですよぉ〜」
誰もが一挙一動に細心の注意を払う中、ファラだけは己のペースを貫いていた。
「ちょ、ちょっとファラさん。やばいでございますよ!」
「え〜、ツッカーノさんも言ってたじゃないですか。美味しいって」
「そ、それはそうですけど……」
ファラはいつもの笑顔で席を立つと、モルドー婦人のテーブルへ走り寄って行った。
「どうぞ〜。とっても上手に焼けたんですよぉ〜」
皿に乗った焼き菓子は、どれも香ばしく甘い香りを漂わせている。
「……貴女が作ったんですの?」
「はい!」
モルドーの質問に元気に答えたファラだったが、取り巻きの二人からはクスクスと笑われてしまった。
首をかしげていると、モルドーも鮮やかに彩った唇に嘲笑を浮かべた。
「貴族婦人ともあろう者が料理なんて! やはりオエルさんの下では、貧乏くさい平民の癖が抜けないようですね? 料理はメイドに作らせるものですのよ?」
モルドーが畳んだ扇子で皿を払いのけると、バランスを崩し焼き菓子がバラバラと落ちてしまった。
次の瞬間。
その場にいた者たちは地獄を見た。
嵐に飲まれ、業火に焼かれ、津波に襲われ、地の底に落ちていく。
それはすべて、濃密過ぎる魔素が見せた幻。しかし、あまりにリアルな恐怖がその事実を認識させてはくれなかった。
「愚かな人間よ」
頭上から、体を揺らす声がした。
「だだだだれです! ここここは私の庭ですよ!」
金切り声を上げたモルドーだったが、直後に息を飲むことになる。
「風吹くところすべて我が庭である」
「火燃ゆるところすべて我が庭である」
「水流れるところすべて我が庭である」
「大地続くところすべて我が庭である」
巨大な影が四つ、モルドーたちを見下ろしていた。
「「我ら四大精霊王である」」
精霊族の長たる四人の王。
風のガルダ、火のイフリート、水のカリプソ、土のタイタン。
怒りの表情を浮かべた彼らは、今にも左大将軍の敷地を更地に変えてしまいそうだった。
「な、なにをしているのです! 追い返しなさい!!」
ヒステリーを起こしたモルドーは、無謀な要求を言い放った。
「……え?」
しかし、すでにそれは不可能であった。
兵たちはそれぞれすでに、風に攫われ装備を燃やされ、水に自由を奪われ地中に埋まっていた。
取り巻きはガタガタと震え、モルドーを差し出すように後ろへ隠れた。オエルやツッカーノ婦人も、あまりの光景に言葉を失っている。
「ファラさんの菓子を捨てるなど、万死に」
「やめなさああああい!」
絶対的な恐怖の主に、ファラの怒鳴り声が向けられた。
ナイフを抜いていたウルミも、キョトンとして固まってしまった。
「もう! なにしてるんですか!」
「え、いやその」
「放してしてあげなさい!!」
「は、はいっ!」
精霊王たちは慌てて兵を解放し、人の大きさとなってファラの前に正座した。
「ダメでしょう、乱暴したら!」
「で、ですがファラさん。あの女はファラさんの焼き菓子を」
イフリートが指差すと、モルドーは「ひっ!」と短い悲鳴を上げた。
「扇子が当たっちゃっただけでしょう? べつに気にしてません! それに、私のそばにいることはナミくんに秘密なのに、こんなことしたらバレちゃいますよ?」
精霊王ともあろう者らが怒りで失念していたようで、サアッと血の気が引く様子が伺えた。
「ほら、ちゃんと謝ってください!」
「「……申し訳ない」」
深々と頭を下げた精霊王たち。
その様子に緊張の糸が切れたのか、モルドーは気を失ってしまった。
「「モルドー様ぁ!」」
モルドー側の者たちは慌てふためき、お茶会は誰が言うまでもなくお開きとなった。
「あの」
謝罪してもなお偉大な高位の存在に、恐れ多くも近づく者がいた。
「地面に接した面を削りました。これで問題なく食べられます」
皿に並べなおした焼き菓子を差し出したのは、例の新米メイドであった。
「はっはっはっは! なかなか度胸がある者がいるな! お前、名はなんという?」
皿を受け取ったガルダが問うと、少女はスカートを持ち上げながらお辞儀をした。
「はじめまして、精霊王の皆様。ワタシはシュラと申します」
まるで日頃の来客にするような、淡々とした挨拶。
精霊王たちは「覚えておこう」と、愉快そうに笑った。
その様子を眺めながら、ウルミはため息をつき、呆れと称賛を込めて呟いた。
「さすが、ナミラ坊ちゃまの娘ですね」