『ルクスディア』
アレクは王国の第一王子としても王立学院四勇士としても、それなりの修羅場をくぐり抜けてきた。死を覚悟した経験は一度や二度ではない。
そんな彼が恐怖で震える。
目の前で笑う不気味な存在が、心の底を掻きむしる。
こんなモノと添い遂げるつもりだったのか。
こんなモノと共に過ごしていたのか。
こんなモノを愛していたのか。
こんなモノが、存在していいのか。
「アレク!」
ナミラの声にハッと意識を取り戻し、腰の剣を抜いた。
「キャハハハハハハ! ひどいじゃない、アレク?」
声はサタナシアのままだが、隠しきれない邪悪さがにじみ出ていた。
「……ねぇ、ナミラ・タキメノ。アタシに辿り着いたのは分かるけど、どうして魔王だと分かったの?」
魔王ルクスディアが艶めかしく首をかしげる。
「ルーベリア先生とマーラだ。あのときルーベリア先生から出ていた魔力は、本人のものとはべつの魔力が混ざっていた。そして、マーラの証言。あいつは八〇〇年続いたカラクリに気づいたんだ」
「へぇ?」
面白そうに笑う口が、子供なら丸飲みできそうなほどデカい。
音もなく頭部が肥大化し、全身から人の面影が消えつつあった。
「貴様、戦闘中にマーラへの吸収を強めただろう? そのとき気づいたんだ、力はここから奪われているとな」
ナミラは自分の下腹部に手をかざした。
「女性で言う子宮の位置だ。そしてそこは、かつてサキュバスたちが魔王からの刻印を受けた場所でもある。つまり刻印は消えちゃいなかった。ずっと、体内にあったんだ!」
からかうようにルクスディアは「せいかーい」と手を叩いた。
しかしその腕は、常人の二倍は長く変化していた。
「効果すら裏返り、与えるのではなく奪うものとなっていた。理由は推測でしかないが……貴様、勇者を喰ったな?」
アレクがギョッとしてナミラを見た。
ルクスディアは面白そうに「キャハハハハ!」と笑い足をバタつかせたが、それはまるで猛禽類のようだった。
「正解正解! 本当にスゴイのね! そう、アタシは勇者を喰った。魔王が道を踏み外すと現れる抑止力……八〇〇年前の皇女をね!」
邪悪な笑みが清廉なベッドに浮かぶ。
「啓示を受けたばかりの女は、ただの雑魚だったわ。でもね……美しかったの。アタシが他の魔族の前で変身してた姿より、よっぽどきれいだった!」
記憶の中の皇女に、ルクスディアはうっとりとしていた。
かつてアルーナたちが見た美しい女魔王の姿は偽りで、今のルクスディアが真の姿であった。
「力が反転したとき、嬉しかったわ〜。一生美しくいられるってことだもの!」
アルーナの感情が、ナミラの顔を怒りで歪ませた。
「それ以来、アタシは帝国で皇女のフリをして生きてきた。適当な年齢で死んだことにして、美人大使やなんかやりながら、次の皇女が成長したら食べるの繰り返しよ。でも、馬鹿な弟があんなことしたからねぇ~。今度は王国で愛してもらおうと思ったのよぉ〜アレク?」
この世で最も不気味なウインクを受け、アレクは全身に鳥肌を立たせた。
「ひとつ、いいかしら?」
抑えられない怒り。
それはナミラを含め複数の前世が抱いていたが、今のアルーナは特に強かった。姿が変わり、復讐の相手と対峙する。
「他の魔族たちをなんとも思わなかったの? あんたが自分に酔いしれてる間に、みんな地獄みたいな日々を生きてた。滅んだ一族だってあるのよ?」
ナミラの変化を観察しながら、ルクスディアはふざけた態度で答えた。
「なんで? 下の魔族共なんて、ただの餌でしょ? むしろ、アタシの美貌になれたことを喜んでほしいくらいだわ」
アルーナの耳に、なにかが切れた音がした。
「生魔球!」
耐えられなかったアルーナは、渾身の技を放った。
それはマーラがルーベリアとの戦いで繰り出したものとは、似て非なる技。魔力だけでなく生気も込めて撃ち出す球体は、生前よりも巨大で数倍の威力となっていた。
ベッドは消し飛び、壁には大きな穴が空く。
「キャハハハハハハハハハハハハハ!」
しかし魔王は無傷であった。
背に生えたふくろうのような翼で雨天の夜空を羽ばたき、空いた穴から声高に笑った。
「ねぇねぇ、アタシも推理していい? あんた、ギフト・ホルダーでしょ? んで、その死人ばっか出てくるのは……あんたの前世! 今の技、サキュバスにしては強いから降霊術じゃないだろうし。どう?」
「正解だよ、クソヤロウ」
アルーナは悔しげにナミラへ姿を戻していく。
「だが言ったよな? 俺のことを知るのは、貴様の首が飛ぶときだ!」
「キャハハハハハハハハハハ!」
斬りかかろうとしたナミラよりも一瞬速く、ルクスディアが飛来する。
だが標的は、となりに立つアレクだった。
「アレク〜、サタナシアになってあげるから、愛し合いましょ〜?」
「させるかよ!」
敵の狙いを見極め、ナミラはアレクとの間に滑り込み突進を防いだ。
「闘技 流々《るる》奔竜!」
「ギャっ!」
長い爪と触れた刀身から、闘気の稲妻が迸る。
ルクスディアは短い悲鳴を上げると、空いた穴から外へ飛び出した。
「アレク! いけ!」
「あぁ……死ぬなよナミラ。俺の分も頼んだぞ!」
二人は親指を立て、互いの健闘を祈った。
「魔王の暴闇!」
尖塔を見下ろすルクスディアの両手に凝縮された魔力の黒球が現れ、凄まじい勢いで飛び立った。
二つの球は目にも留まらぬ速さで暴れ回り、尖塔を崩壊させていった。
「キャハハハハハハハ……うん?」
ルクスディアは追撃せず、王城へ向かって飛んだ。
視線の先には一人の影。
セリア王国国王ルイベンゼンが、冷たい目で見下ろしていた。
「残念だ、サタナシア」
迫りくる異形を見つめながら、王は呟いた。
握る王笏が静かに変形していく。
「言ったな? 期待していると。貴様は余の期待を裏切った。余は言ったな? 獅子王の逆鱗に触れるとどうなるか、教えてやると!」
王笏は黄金の剣と化し、荘厳な威圧を放った。
ルイベンゼン王は獣の如く吠え、怒りを露わにした。
「魔王よ! 人族の王の力、その身に受けるがいい! 格の違いを見せてやる!」
「キャハハハハハハ! やってみろ! 国民の前で喰い殺してやる!」
王の眼前にルクスディアの口が開かれる。
うねる舌の代わりにどす黒い手が喉奥から伸び、飲み込もうと襲いかかる。
「威光獅子王剣!」
剣から溢れた力が黄金の獅子となり、ルクスディアを襲う。
「ガアアアア!」
獅子は大気を揺るがす咆哮と共にルクスディアを押し返したが、上空でかき消されてしまった。
「やるじゃない、王様! でも残念ね、その程度の実力じゃ相手になんないわ」
舌を舐めずるルクスディアに、ルイベンゼン王は嘲笑を返した。
「分かっておるわ。余も一撃加えんと気が済まなかっただけよ」
そのとき、黒球を斬り伏せたナミラが王を守るように参上した。
「王よ、ご無事で」
「うむ、アレクは?」
「予定通りに」
「そうか。物足りんが、やりたいことはやった。あとは頼んだぞ」
「御意」
「逃がすと思うの~?」
ルクスディアは笑みを浮かべ、両手に大量の魔力を生じさせた。
「なに、ふさわしい者に任せるだけだ。気づいていないのか? 貴様に怒りを抱いているのは、余らだけではないぞ?」
「は?」
ひと際大きな雷鳴が轟く。
眉をひそめるルクスディアの背後に、雷の巨人が立っていた。
「『雷父推参!』」
怒れる拳がルクスディアを捉え、電撃と共に王都の端まで吹き飛ばした。
「ぐうぅぅぅぅ!」
体勢を整えたルクスディアが見たのは、巨人の傍らで雨を浴びるガルフの姿だった。
「このガルフ・ソフォス・アンダーソン。人生でこれほど他者を憎み、怒りを抱いたことはない」
賢者が流す熱い涙は、降りしきる雨が流してくれた。
「覚悟しろ魔王! 我が最愛の友と研鑽した力、その身で味わうといい!」
ガルフの怒号と共に、雷の巨人は追撃に走る。
「雷迅の賢者の最高位魔法……たしかに厄介ね。あと二〇〇年早ければ、致命傷を負っていたかも」
ルクスディアの全身から禍々しい力が溢れ出す。
振り下ろされた拳を片手で受け止め、流れる電撃をものともせずに不敵に笑った。
「なにっ!」
「この体には、長年溜めてきた魔族の力が集約してんのよ? 人間一人で上回れると思って?」
「じゃあ、二人ならどうだ!」
背後に回り込んだナミラが、闘気を纏う。
「闘竜鎧気!」
首に剣撃を繰り出すが、軽くつままれ防がれた。
「くっ!」
「えい」
そしてそのまま、信じられない力でガルフに向けて投げ飛ばされた。
しかし闘気を操り、なんとか衝突は免れた。
「大丈夫か、ナミラくん」
「はい。ですが、これは……」
拳から抜け出し、二人を見下ろすルクスディア。
溢れる力は底知れず、未だ全力でないことが見て取れた。
「この姿も戦いも久しぶりだから、調子が出るまで時間かかっちゃった。うーん、そうねぇ。こう言えば雰囲気出るかしら?」
ルクスディアはゆっくりと両腕と翼を広げ、大きな口を開いて笑った。
「逃げられるとは思わないでね? だって、相手は魔王なんだから」
敵は魔王ルクスディア。
八〇〇年に渡り奪い続けた力が今、解放される。