『嗚呼、我が人生』
周りが騒がしい。
真っ暗な世界に、幾人もの気配と声が広がっていく。
体は重く、とても寒い。
自分は死んだはずで、なるほどここが冥界なのかとルーベリアは思った。しかし、聞こえる声はどれも聞き覚えがあるものばかり。すべてに慈しみを抱く、愛しい者たちの声。
「……まだ足りないぞ! ありったけのポーション持ってこい!」
「薬草もあるだろ! 血止めでもなんでも使えるやつは全部使うぞ!」
張り付いた瞼を開くと、すでに日は落ちている。
しかし、見える空と鼻に香る匂いはよく知るもので、ルーベリアは自分がどこにいるのか察した。
彼女はローブに包まれ、学院の中庭に寝かされていた。大きなイチョウの木が植えてあり、学生のときからこの木陰で読書をするのが好きだった。
なんだか、とても永い悪夢を見ていた気がする。
なんだか、ひどく懐かしい気持ちになった。
「気がついたぞ!」
声の主たちが集まる。
それは学院の生徒たちで、誰もがルーベリアを心配そうに見ていた。そばではモモが回復魔法をかけており、額の汗が休みなく働いていることを語っていた。
「貴方……たち……どうして」
かすれた声が喉から出る。
手を持ち上げると皺が刻まれた元の手が視界に入った。
「儂らが運んだんじゃ」
心から安心する声が、頭の上で優しく流れた。
涙目のガルフが顔を覗きこみ、続いてアレクたち四勇士とダンたちも顔を見せた。
「みんな、お前を助けようと必死になっておる。ナミラくんが今、城にあるという秘薬を取りに行っておるからの。諦めるでないぞ?」
優しく微笑むガルフだったが、ルーベリアその言葉を拒否した。
「無駄です……もう助かりません」
「そんな! やってみなきゃ分かりません! 先生に教えてもらったことを、すべてやります! だから、だから!」
生徒たちは涙を流しながら、口々に言った。
ルーベリアは嬉しそうに笑いながらも、首を横に振る。
「ただの剣ではありません……宝具エクスカリバーです。担い手以外が触れれば呪われる……そうですね? アレク」
呼ばれたアレクは血が出るほど歯を食いしばり、沈黙を返事とした。
「もはや、この身は助かりません……だから、モモちゃん。もういいのよ?」
「いやだ!」
前髪の向こうの大きな瞳から、絶え間なく涙がこぼれ落ちる。
「わ、わたしのギフトは【無限魔力】! わたしがずっと回復魔法をかけていれば、ルーおばさまは死なないはずだもん! だから」
「貴女は偉大な魔法使いになる」
モモの訴えを、ルーベリアは優しく遮る。
「雷迅の賢者すら超える、最も偉大な魔法使いに……私に、その邪魔になれと言うの?」
「そ、そんなこと」
「貴女は私のかわいい娘で憧れなの……貴女には、私が見れなかった世界を、見て、ほしいの」
諭すようなルーベリアの言葉は、モモの心に深く染みていく。
モモは泣き崩れ、ついに魔法は止んでしまった。
「ガルフ……貴方の言葉、嬉しかったわ」
「そうか、儂もやっと言えたよ。これからだ、ルーベリア。掴み損ねた時間を、共に……」
ガルフが握った手を、ルーベリアはそっと握り返した。
「共に生きるのは、この子たちです」
自分を囲む生徒たち、ルーベリアは見渡した。
誰もがルーベリアを慕い、現状を嘆いている。
それだけで、彼女は幸せだった。
恋は実らず、容姿や才能に恵まれたわけではない。
しかし、これまでの人生で得てきたかけがえのないものがある。
ここにいる学院の子どもたちが、彼女の生きた証。
なによりも愛しい宝物であった。
「みんな……アインズホープの学生として……誇りを持って生きなさい。学院と……この国の未来を……頼みます」
満たされた笑みを浮かべ、ルーベリアは全校生徒に最後の言葉を贈った。
「先生!」
「ルーベリア先生!」
この場にいるものすべてが、ルーベリアを呼ぶ。
その声だけで、彼女の心は温かくなり死の恐怖は消えていった。
「箒よ来い」
消え入りそうな主の声に反応し、ルーベリアの私室から魔法の箒が飛び出した。
あらかじめ魔力を貯め、それが尽きるまで自在に空を飛べる学生時代からの相棒。凄まじい速さで空を駆け、ルーベリアの体を攫っていった。
「え!」
「そんな!」
使い込まれた杉の柄に身を任せながら、ルーベリアは学院を見下ろした。
人生のほとんどを捧げた場所。
自分のすべてだった場所。
改めて見る学び舎は誇らしく、輝いて見えた。
あてもなく、ただ風のように。
ルーベリアは夜の闇に消えていった。
「お、追いかけろ! 今ならまだ」
「よせ!」
飛び立とうとした生徒たちを、ガルフが一喝した。
「なぜです! あの傷では」
「分からんのか! ルーベリアは儂らのために去ったのじゃ! 罪人を匿ったとなれば、多少なりとも学院の名に傷がつく。それを避けたのじゃ!」
学生の一部は、反論しようとガルフを睨んだ。
しかし、誰よりも悔しさを滲ませ涙を流す姿に、その気持ちは失せていった。
「……せめて、最期は大好きだったこの場所でと思って連れてきた。多少の非難など、儂が黙らせるつもりじゃった。じゃが、お前は……ルーベリア! 儂は、儂は最期までお前の気持ちを分かっていなかった!」
後悔と自責の念が、ガルフを跪かせた。
この夜。
王立学院アインズホープは、永い歴史の中で最も深い悲しみに包まれた。