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四、即興の出来事

 その日は二人とも何も言わずに、別々に帰った。静山は何かを言おうとしたが、どこか言葉を躊躇っているようで、何も言わずに帰る。その方が楽だった。同情とか変な感情を持たれても困る。いつになく寒い日で、早めに帰ってある意味正解だったかもしれない。

 もうすぐ四回忌を迎える。今年はひっそりと家族三人でお墓参りができるだろう。



 * * *



 次の日、教室内で俺と静山はお互いに目を合わすものの、どこかよそよそしく目を逸らす。その様子にまたも目敏く気付いた友達はからかい始める。だがそれも上の空で聞き流す。過去のことを改めて思い出したためか、いつも以上に授業には集中できなかった。

 昼休みになり、どことなく浮足立った気分だったのでまだ食べていないお弁当を片手に教室をこっそり抜け出す。人目を気にしながら、階段を上がった。そしてよく見まわしてから、立ち入り禁止と書いてある表札を潜り、最後の階段を一気に駆け上がる。目の前には大きなドア。それを静かに開けると、眩しい陽の光が差し込んでくる。

 屋上に到着すると、少し肌寒い風が肌に突き当たった。なるべく陽の当たるところで食べようと裏に回る。そこに一人の女子生徒が秋谷に背を向けて立っていた。視線は真っ直ぐと学校の外を向いている。そのままどこかに飛び出していきそうな感じだ。

 俺の存在に気付いたのか、黒髪の長い少女は顔を向ける。

 そこには静山が少し驚いた表情で立っていた。

「霧川君……?」

「静山、どうしてここに……」

 何かを話そうとしたが、お互いに顔を逸らし、話を進められない。

 しばらくしてその重い沈黙を静山がどうにかこじ開けた。

「私、こういうところから風景を見るのが好きなの」

 手すりに手を乗せながら、外に目を向ける。

「人間って本当に小さな存在だな……って感じる。だけどそれでも一つ一つの命は精一杯生きている……」

 少しずつ近づき、静山の隣まで来て、横に並んだ。そこからはいつも通っている通学路がまた別の視点から見えた。小さな人間が忙しなく動いている。車が走っている。葉っぱを付けていない木が至る所に広がっていた――。そしてその先には大きな海が辛うじて見える。

「……辛いことから逃げるのに、自分の想いも閉じ込めるのはどうなのかな。お母さんはいつまでも霧川君、いいえ秋谷君にピアノを弾き続けてほしいんじゃないかな。音楽は人の心を癒すというのも聞く話だよ」

「……癒しか」

 その言葉を繰り返して、父さんが母さんに惹かれたのは、その人を癒すピアノのおかげだと思い出す。そしてその音楽をそのまま反映したような心の持ち主だと――。

「静山……」

「何?」

「ちょっと今度父さんと話して見るよ。それで何かが掴めるかもしれないから。あと……、もう少し素直になれるように頑張ってみる」

 照れながら、やっとの想いで言葉を出す。それを静山はにこりと微笑む。

「昨日話してくれたおかげか、少し表情が和らいでいるよ。本当だから。辛いことはいつまでも一人で溜めておくものじゃないよ」

「ありがとう……、千春」

 少し強めの暖かい風が吹いた。千春の髪がさらさらとたなびく。

 春はもうそこまで近づいてきていた。



 授業後は小屋に行き、ピアノを弾き始める。いつもより少しだけ手のタッチが軽い感じがした。心の中の重しが少しだけ取り除かれただろうかと思う。千春もそれを気持ちよく聴いていた。今では当たり前となりつつある素敵な日常が俺の心を穏やかにさせている。

 そして陽が落ちかける前に学校から出た。所々で同じ学校の人も見たが、対して気にも留めていない。今日もいつも通りに千春と分かれ道で別れる予定だ。

 ふと歩いている途中で突然路地裏から悲鳴が聞こえた。何があったのかと千春と二人で顔を見合すと、千春と同じ制服を着た少女――、クラスメートの少女が路地裏から出てきたのだ。衣服が若干乱れている。それを見て、千春は眉を顰めた。

「千春ちゃんに霧川君! 助けて!」

 少女は二人の顔を見て、ほんの少し安堵の表情を浮かべる。だがすぐに険しい顔で路地裏の方に視線を向けた。

「襲われかけて……」

 ぎゅっと衣服を自分自身で握りしめる。

「ひとまず学校まで行こう」

 落ち着いているように振舞いながら、なるべく早く少女を動かす。最近、ここら辺で暴行事件が多発している。犯人は体格のいい高校生と言い、あまりお近づきにはなりたくないものだ。

 千春がすっと路地裏を睨みつけていた。男が出てくるかも知れないと思い、千春の手を取り、急いでその場から逃げようと促す。

「千春、何やっているんだ」

「でも秋谷君、私達は何も悪いことはしていないわ。どうして逃げるの?」

「危険だからだよ」

 ぎゅっと掴んで走り出そうとしたが、その前に路地裏から体格のいい三人の男達が現れた。学ランを着て、柄の悪そうな雰囲気を醸し出している。リーダー格と思われる男が胡乱下に三人を見下ろしてきた。

「俺達から逃げようなんて馬鹿な考えはやめることだな。ん……? こんなところで、いちゃいちゃしているんじゃねーよ!」

 手を振り上げたかと思うと、俺は千春を押し出してその行為にもろに直撃した。そのまま道の端まで飛ばされる。衝撃で眼鏡が割れた。

「秋谷君!」

 千春は叫ぶが、俺は苦しくて、それに声を出して答えることができない。千春のほうに、男達が近づいてきていた。

「ほう、この嬢ちゃんは可愛いな。彼氏もいなくなったことだし、少し可愛がってやろうか」

 千春は迫りくる恐怖に顔を強張らせながら立ち竦んでいた。一刻も早く助けに行かなければ……、だが体は言うことは聞かない。千春は毅然とした視線を突きつける。

「あっ謝って下さい」

「何だと?」

「この女の子やさっきの男の子に謝って下さい!」

 次の瞬間、千春の体が宙を舞った。男が千春のお腹に拳を入れたのだ。その様子をスローモーションのように目に映し出される。千春はそのまま地面に叩きつけられた。胸を押さえながら、喘ぐように唸っている。

「全く、謝るがどうとか何を言っているんだ。この世は全て言葉で解決できるとは限らない。それをもう少しこの女にわからしてやろうか?」

 それを聞いて、自分でも驚くほど早く動いていた。

 男達の横に来たかと思うと、リーダー格の男に向かって渾身の拳を頬に殴る。

 その攻撃によってターゲットを千春から俺へと移す。全身が震えている。だがこうでもしなければ千春に危害が行くだろう。

 純粋に心のままに行動したことだから決して後悔はしていない。男達が俺を殴り始める。

 激しく殴られようが、蹴りを入れられようが、それは耐えきれる。向こうで蹲っている少女を見る方が、よっぽど辛いことだった。

 やがてどこからかサイレンの音が聞こえてきた。男達は舌打ちをすると、唾を地面に吐きつけて、足早にどこかに消えてしまう。

 薄れゆく意識の中で、耳にあの綺麗な言葉を紡ぐ声が聞こえてきた。

「秋谷君、ごめんね……」

 千春の無事を何となく確認すると、そのまま意識を失った。



 * * *



 次に目覚めた時は病院のベッドの上だった。白いシーツが目に付く。視線を右に持っていくと、父さんと兄さんが安堵の表情を浮かべていた。

「よかった、起きて」

「父さん……、ここは病院?」

「そうだ。警察や学校から連絡があって、びっくりしたぞ。まさか秋谷が暴力沙汰に会うなんて……」

「それにしても秋谷もやっぱり男だな。女の子をかばって、自ら危険な所に突っ込んでいくなんて」

 鈍っていた思考がその言葉によって一気に覚醒された。ばっと起き上がる。勢いよく起き上がったためか、怪我が思ったよりも酷いためかわからないが、すぐに顔を顰めた。

「おい、まだ寝てなきゃ駄目だろう」

「兄さん、俺と一緒にいた女の子達はどうなったんだ?」

 腹を抱えながら、必死の想いで答えを求める。兄さんはその想いが通じたのか、簡潔に答えた。

「先に襲われた女の子はそう酷い怪我はしていない。病院に行って、その日のうちに帰宅したそうだ。もう一人の女の子はお腹に衝撃が加わっていて、まだ入院しているそうだ、他の病院に」

「他の病院? 同じじゃないのか?」

「その家族の話では、他の病院に掛かり付けの医者がいるからそっちに回っているらしい。大丈夫だよ、しばらく休めば退院できると聞いたから」

 その言葉を聞いて、少しだけ落ちついた。だが胸の中はまだ安堵の域に達していなかった。直接会って、話でもしないとこの安堵は取り戻せないかもしれない。

「とにかく、秋谷も骨は折れていないが、それなりの怪我を負っているんだ。少しはゆっくり休め。学校からもそう言われているからな」

 まるで母さんのようにびしっと言う。その言葉に頷きながら、大人しくベッドに横になることにした。確かに気を抜けば、全身を痛みで襲う。まさか初めての入院がこんな風な展開からなるなんて予想していなかった。

 父さんと兄さんが帰ると、頭の中は再び千春のことでいっぱいになる。あんなにも華奢な体に大きな衝撃が加わった。自分の力のなさをつくづく痛感する。勉強もそれなりにできて、ピアノが弾けたとしても、守ることはできなかった。

 悔しさを噛み締めつつも、今はとにかく会いたい、あの黒髪の少女に。一刻も早く退院して、見舞いに行こうと心に決めながら、まどろみの中へと意識が消えていった。



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