おれとお母ちゃんの秘密の約束。
おれは4年生になった。
じゅくに行って勉強することになった。お父ちゃんが 「勉強させてもらえるなんて、ありがたいことやねんで!」 とドヤっている。おれはたのんでないのに。
なんで行かなきゃいけないのかを聞いたら、お母ちゃんはこまった顔をした。
「このあたりは公立の学校のレベルが死んでるから、もしそこの中学校に行くと、高校に行くためには全教科、じゅくに行って勉強しないといけなくなる。
あと、高校に行くためには先生のひょうかも重要やから、先生に気に入られるためにやりたくないことでもやらなきゃいけなくなる可能性が高い。
それでな、お母ちゃんとお父ちゃんは、できれば私立の中学校で、キミが高校受験を気にせずに好きなことに集中できる時間をもってほしいと思ってる。今はそのための準備で、勉強の先取りをしようって話になってるんやが…… どうする?
どうしてもイヤなら、もちろんそこの中学校に行くという道もないわけじゃない。ま、いま大変か、あとで大変かどっちにするかって話やしな」
うぉぉぉおおおお…… それじゃ、いつかどっかで、けっきょくは勉強しなきゃいけないってことか。
「まー勉強なんてしなくてもなんとかなるとは思う。それにそもそも、勉強ってそういうもんじゃないしな。今の日本の教育はオカシイわ。
だが、乗っかれるものには乗っかといたほうが、あとで人生の選択しが増えてトク…… 正直なとこ、お母ちゃんはそう思う」
けど、どうしてもイヤやったら、やめていいねんでー。あんたの人生やしな?
自分の人生は自分で決めるべきやし、勉強が全てじゃない。本当にだいじなのは経験やし、生きてくだけなら何しても生きてけるしなー。
お母ちゃんはまじめな顔だったけど、そういうこと言われたら、やる気になるしかないやんか。
それにやめるとか言うと、お父ちゃんがこわい。めちゃこわい。お父ちゃんうぜえ。
でも、じゅくはめちゃくちゃ大変だった。
まず、春休みでおれは死にかけた。
毎日、じゅく! 毎日、勉強! せっかくの休みなのに!
やっときたお休みで、お母ちゃんが水族館に行こうって言い出したときには、おれはつかれすぎて、どこにも行きたくなくなっていた。
「スマスイは来年、閉館! 観光客向けに施設も価格もリニューアルして、市民のものじゃなくなります。なので行くならいまのうち! さあ行こう!」
「もう、そんなのきょーみないし。家でダラダラねてたいし」
「ヒロくん、それはデブショーという恐ろしい病気や。ストレスから全ての気力がなくなり、家に引きこもって食っちゃねしてるうちに体が重たくなって、ますます出たくなくなるという、あくじゅんかん……!」
太るぞー病気になるぞー、と母ちゃんがおどかす。
「おれもう太ってるし。病気にでもなんでもなればいいし。おれの人生もうお先真っ暗やし」
「マクラがしゃべった。『これが本当のお先マックラ』 」
「………………」
わるいけど、お母ちゃんのオヤジギャグに 『さむっ』 って言ってあげる気にもなれない。
「行かない」
「……………… だったら、お母ちゃんもダリいから、今日から夕ごはんつくるのやめる」
お母ちゃんがマジ切れした。
「ヒロくん、たいへんだよぅ! お母ちゃんが、ヒロくんのせいで、ごはんつくらないって言ってるよぅ!」
アッチはいいよなぁ…… 勉強しなくていいし、かんたんな足し算とかできるだけでもお父ちゃんは 「天才やな」 とかデレデレしてるし。
「 い く ぞ 」
「…………………… はぁぁぁぁあ…… わかったよ…… 行きたくないのに……」
「まあ、そういうな。勉強なんてもんにつぶされたら、それこそもったいない。息ぬき息ぬき!」
「はぁぁぁ……」
無理やりお母ちゃんに引っ張られて、スマスイに行く。おれたちにとっては、水族館っていえばここなのだ。
最初は屋上でお昼ごはんだ。
「………… はぁぁぁ。行きたくなかったなぁ……」
「…… ヒロくん。お母ちゃんやってわるぎがあって、あんたをここまで引っ張ってきたわけじゃないんやで? ここに来てまで、そんなふうに言われるとさすがに気分わるいわ」
お母ちゃんがキレたから、しぶしぶ屋上を見てまわる。アザラシ。ペンギン。ケヅメリクガメ。ウミガメのエサをお母ちゃんがかってに買って、とうぜんみたいに、おれとアッチにいっこずつくれた。
「おれ、べつにやりたくないけど」
「ヒロくん。これはアニマルセラピーというやつや。生き物とふれあっていやされろ」
「はぁぁぁあ…… 」
しかたないから、ウミガメのすいそうにエサを落とした。ぱくっ。食べた。
…… あれ。なんだかちょっと楽しくなってきたかも?
「ヒロくん、今日はドクターフィッシュやらへんの? いつも好きやん!」
「うーん。ま、しょーがないから、やろうかな……」
ドクターフィッシュはアマゾンのあたりにすんでる小さな魚で、すいそうに手をつっこむと汚れた部分だけ食べてくれるやつだ。
おれは今日はそんなのやる気分じゃ全然ないけど、せっかく来たんだったら、やらなきゃもったいない気もする。
半とうめいの小さな魚がたくさん、ぴょいぴょい泳ぎまくってるすいそうに手をつっこむと、すぐになんびきかがよってきてくれた。
小さな口の先で、ちょいちょいつつかれる。ちょっとくすぐったい。
おれはなにも考えずに、魚にいっぱい手をつついてもらった。
なんか、気持ちいいな。お魚かわいいな。
死んでたこころが、動いた音がした。
「お母ちゃん、なんかおれ、元気になってきた!」
「そうやろーそうやろー。生き物の力は偉大やな」
「うんうん。きて良かった!」
「ふふふふふ。お母ちゃんに感謝しまくってくれてもいいで」
「ありがとう、お母ちゃん!」
「いやいや苦しゅうない。良かったな、ヒロくん」
おれはそれから、ドチザメとヒトデにもさわって、もう1回ドクターフィッシュをした。
「ドクターフィッシュすごいな! スマスイ新しくなっても、ドクターフィッシュだけは連れていってほしいな! つれてかなきゃころす」
「いやいやいや…… その前にあのフザけた価格設定があるからな。庶民にとっての敷居、高くなりすぎ問題」
だがしかし、とお母ちゃんは悪い顔をした。
「リニューアルしたら、父ちゃんが出張してるときにでも1回くらい、とまりがけで行ってみるか」
「うんうん! 新しいホテルな!」
「そうそう。お父ちゃんがいたら 『もったいない』 って相手にしてくれへんから、こっそり行こーぜ。
なに、旅行やと思えば交通費がかからないぶんおトクや」
「よっし! それでドクターフィッシュめっちゃする!」
「お母ちゃんは新しいホテルでなんにもしないー」
「それな」
おれとお母ちゃんはニヤリとしてうなずきあったのだった。
それから水族館をまわって、ぬいぐるみを買ってもらって、アイスを食べて、おれは元気になって家に帰った。
お母ちゃんはヘトヘトだった。体力なさすぎて草。




