第100話 陽葵
今回はちょっとグロい表現があります。
「あれ? ここって……」
窓から陽射しがフローリングを照らし、風がカーテンを揺らしている。
ふと視線を目の前には向けるとテレビが映っており、お昼過ぎなのかワイドショーが放映されている。
「「僕は何をして……」
カウチソファーに背を預けると、右手を強く握られる感触を覚える。
視線をそちらに向けると、まだ幼い女の子がスヤスヤと寝ていた。
「んぅ……」
小さな声に驚いて身じろいでしまい、思わず右手を強く握ってしまう。
幼い女の子は起きてしまったのだろうか、空いた手で目をこすって起き上がる。
「悠斗……お兄ちゃん?」
そう、この幼い女の子は――。
「――――陽葵?」
「どうしたの?」
まだ少し眠たいのか、陽葵は不思議そうに悠斗を見つめている。
陽葵に握られている自身の手を見つめる悠斗は、ふと疑問に思う。
まだ小さく感じる自身の手が、自分のものじゃないように思ったのだ。
何か違和感が出てしまい、どこか心にモヤがかかる。
「あれっ……僕の手ってこんなに小さかったっけ?」
そう呟いた悠斗であったが、空気を変えるかのようにクゥ~っと可愛らしい音が鳴る。
「お兄ちゃん、お腹へった……」
恥ずかし気もなくそう訴える妹を見て、悠斗は心のモヤもどこかへ消える。
お菓子でも作ってあげようかな? と思う悠斗であったが、時計を見ると既に15時を少し過ぎていた。
「もうすぐ晩御飯の時間だし……我慢できるか?」
おやつの時間でもあるので小腹が空くのもわかるが、夕ご飯の時間も近い。
しかし、まだ幼い妹は喰い盛りで我慢はできないだろうと悠斗は踏んでいた。
「無理だよ~」
予想通り、陽葵は我慢できない様子だった。
悠斗へねだるように、陽葵は頭を彼のお腹へグリグリと押し付ける。
甘えてくる陽葵の頭を優しく撫でながら、悠斗は折れる。
「仕方ないな……」
「お兄ちゃん好き~♪」
感情を体で表現する様に、陽葵は悠斗に抱きついた。
彼女の長いツインテールが犬のしっぽの様に揺れ動く。
「じゃあちょっと待ってな」
悠斗は立ち上がると、キッチンへと向かう。
冷蔵庫の中を見てふと思い出した。
「そうだ、買い物に行かないといけないんだった……」
悠斗の呟きを聞きつけて、トテテと軽快な足音が近づいてくる。
「陽葵も行く!」
元気な声で話す陽葵はそのまま悠斗へと抱きついた。
陽葵は一人で留守番するのが嫌なのだろう。
不満タラタラな顔で悠斗を見上げている。
悠斗は陽葵の顔を見て少し考えたあと決断を下した。
「はあ……仕方な――っ!」
そう陽葵に言おうとするのだが、突如針で頭の中を刺すかのような鋭い痛みが悠斗を襲う。
突然頭を抑えて蹲る悠斗に、陽葵は心配そうに声をかけた。
「お兄ちゃん、どうしたの? どこか痛いの?」
悠斗を襲った突然の痛みも陽葵の声を聞くと何故か薄れていく。
蹲っている自身の頭を撫でている陽葵を思わず悠斗は抱きしめた。
「お兄ちゃん!? 苦しいよ……」
悠斗に強く抱きしめられ、唸り声を上げる陽葵はそう訴える。
陽葵の唸り声にようやく自分が何をしているのか分かった悠斗は、力を緩めて陽葵の頭を撫でる。
「ごめんな、陽葵」
「んっ……」
力強く抱きしめられたと思えば、突然頭を撫でられた陽葵は、なぜそうされているのかが分からず頭をコテンと傾げる。
とはいえ、兄である悠斗に頭を撫でられるのは好きなため「止めて」と声をあげることはなかった。
悠斗自身も、なぜ陽葵の声で痛みが引いていったのか理解できないでいた。
陽葵がどこか自身の手で触れられない場所へ行ってしまうような気がして、喪失感を覚えたからかもしれない。
だから失わない様に彼女を強く抱きしめてしまった。
抱きしめた彼女の体は暖かく、温もりが悠斗の心と体を癒していく。
悠斗は体を離すと、笑顔で陽葵に話しかける。
「よしっ。それじゃあお出かけの準備しておいで」
「うんっ!」
ニッコリと元気な笑顔で頷いた陽葵はトテテと軽快に動き出す。
動きだした陽葵を見た悠斗も、お出かけに財布と防犯ブザーをポケットに入れて、玄関に行く。
靴を履きだした所でドタドタと慌てる足音が近づいてくる。
悠斗は玄関で座りながら後ろを振り向くと、泣きそうな顔の陽葵が走ってきた。
フリルのあしらわれた、白と黒が混じったお姫様の様な洋服は陽葵のお気に入り。
可愛らしいポーチを肩にかけ、大事な物と言わんばかりにウサギのぬいぐるみを抱いた陽葵はそのまま悠斗へ抱きつく。
「待って……おいてかないでよぅ」
『それは俺のセリフだっての……』
突如知らない男の声が聞こえた。
悠斗は周囲を見回すが、この場には悠斗と陽葵しかいない。
何かを探している様な悠斗の顔を見た陽葵は不思議そうに声をかける。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「ううん、なんでもないよ。じゃあ行こうか」
悠斗は陽葵の手をギュッと握って立ち上がる。
「うん! ママ、いってきます!」
「いってきます、母さん」
靴箱の上に飾られた写真立てに『いってきます』と言葉をかけた。
この手は絶対に離さないから。
亡き母に誓った陽葵を自分が守るという母との思い出をそっと胸に納め、扉の取っ手に手をかける。
『行くな!』
幻聴が再び悠斗を襲うが、気の所為だとその声を振り払ってドアを開けた。
二人で仲良く手を繋ぎ、住宅街を抜けて工事中のビル群にたどり着く。
行き交う主婦や学生に混じって、人混みの多い中、悠斗は陽葵の手を絶対に離さない。
突如ドスン! っと揺れを感じると同時に、遠く上の方から何かの音が聞こえた。
空を見上げると、何かが凄い勢いで悠斗と陽葵目掛けて降ってくる。
そこまで認識したものの、悠斗の意識は突如途切れる。
幾ばくの時間が過ぎた頃、途切れた意識は戻りつつも、状況が理解できず瞼も重い。
体を動かすこともできる、息が荒いと感じる。
微かに聞こえる人々の叫び声が悠斗の意識をハッキリさせていく。
僅かに動く口を開いて、彼女の名を悠斗は口にする。
「ひ…………まり……」
その名を口にすれば力がみなぎり、悠斗は握っている陽葵の手の感触に安堵しながら振り向く。
しかし――。
握った陽葵の手首から先がなく、本来あったはずの体と頭は鉄骨に置き換わっていた。
周囲に飛び散っているナニカの肉片と、特徴的なツインテールの片割れが一体何なのか、悠斗は無理やり理解させられた。
鉄骨の隙間から流れる大量の血は地面をぬるりと進み、悠斗を抱きしめるかの様に彼の服を朱く染め上げていく。
そして見てしまう。
鉄骨の隙間から僅かに見えるひしゃげた目と視線を交わした悠斗は。
「あああああああああああああああああ!」
叫ぶと同時に起き上がり目を覚ます。
「俺……一体何を……」
体中から汗が流れ、嫌な夢を見た様な気がするが思い出せない。
周囲を見渡すがまだ暗く、僅かな星の光が周囲を照らすのみ。
部屋に入る風が、悠斗の濡れた体を冷やしていく。
「俺は……」
顔から流れる汗を拭おうと手を動かすと、悠斗の手は幼い女の子の手で握られていた。
驚きつつ手首の先に目をやると、星の光に輝く銀色のツインテールをした幼い少女がスヤスヤと眠っていた。
「んぅ……?」
寝ぼけていてまだ眠たそうな少女ふじこは首を傾げている。
その少女が何処かへ行かない様に、彼女を強く抱きしめる。
抱きついた悠斗の目から涙が零れ落ち、ふじこの肩を濡らしていく。
ふじこは黙ったまま、幼い小さな手で悠斗の頭を優しく撫でてやった。
その表情は無表情ではなく、泣いている我が子をあやす母の様な笑顔であった。
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