2
翌週、約束の日に僕は図書館に向かった。
メールやLINEのやり取りもせず、口約束だけの待ち合わせを、本当に彼女は守ってくれるのだろうかと僕は不安だったが、図書館の入り口のところで、ちゃんと彼女は待っていた。
「あ、坂下くん」
気づいて手をあげる彼女に、僕は微笑みながら近づいていった。
「ゴメン。遅れちゃったかな?」
「ううん。そんなことないよ。私が早く着きすぎちゃっただけだから」
にこりと無邪気な微笑みを浮かべる彼女に、僕はほっとすると同時にムズムズといとおしさが沸き起こってきた。
「まずはなか入ろうか」
「そうだね。まずは本を返却しないと」
そうして彼女は図書館のなかに入っていった。
その後ろ姿を見ていると、後方から涼しい風が吹いてきた。巻き上げるように僕のシャツの襟を立てて通り抜けていく風はやがて彼女の元へ向かっていった。
「返却ですね。お預かりします」
図書館の司書の女性が本を受け取り、本の裏表紙に貼られているバーコードに読み取り機を当てた。
「あ、その本また僕が借りますので、いいですか?」
僕がそういうと、なぜかその女性は不思議そうな顔をした。
「ええと、延長ということでよろしいですか? では、貸し出しカードをお願いします」
延長ではなくて……と言おうか迷ったが、とりあえず手続きするのは大丈夫そうだったので、そのままカードを出しておいた。司書の女性は処理を済ますと、次回の返却日を事務的に告げて僕に本を渡した。
なんとなく変な気分がしながら、僕はすでに後ろにある本棚の前で佇んでいる彼女のほうへと近づいていった。
「本借りてきた?」
彼女が僕に気づいて振り向いた。セミロングの髪の毛が、さらりと肩から落ちて流れた。長い睫毛が艶やかな色気を含んで、瞬きの動きとともに震えている。
「うん。ちょっと勘違いされてたみたいだけど」
「勘違い?」
「まあ、たいしたことじゃないから。それより……」
このあとどうしよう、と言いかけて僕は言葉を飲み込んだ
もうこれで彼女との用事は済んだのだ。これでお別れしても、彼女的になんら問題はない。むしろそれが普通だ。
「…………?」
口ごもってしまった僕を不思議そうに見つめる彼女。
ここで勇気を出さなければ、彼女との関係はここで終わってしまう。せっかく神様がくれたチャンスを、このまま逃がしていいのか?
いや、よくない。
だってまだ、僕たちの関係は始まってもいないのだから。
「あ、あの。よかったらこのあとどこかでお茶でもしない?」
慌てて口から飛び出した言葉は、その辺でナンパしている軽い男が使うようななんのひねりもないもので、僕は激しく後悔した。なさけないやら恥ずかしいやらで、顔から火が出そうになっていると、クスリと可愛らしい忍び笑いが聞こえてきた。
「もう、なにそのナンパした直後の顔面百面相。坂下くんって、意外と面白い人だったんだね」
なおも笑い続ける彼女に、僕はなんとか取り繕おうと声をかける。
「いやその、これはなんというか、言葉がパッと出てこなくてその……」
ああ、駄目だ。取り繕おうとすればするほど自分の駄目さ加減が浮き彫りになってしまう。きっとこれで彼女も呆れてしまったことだろう。
「いいよ。お茶しに行こうか」
「……え?」
一瞬耳を疑った。
「このあと今日は特に用事もないし、ちょうど喉も渇いてたのよね」
「ほ、本当にいいの……?」
断られるとばかり思っていたので、こんなにすんなりOKしてもらえて思わず聞き返してしまった。
「だから、本当に大丈夫だってば。それとも、ただの冗談か本気のナンパだった?」
「い、いやいや。そういうわけじゃ……ああ、でもそうでもなくて、ええと……」
僕がしどろもどろになっていると、彼女はまた吹き出した。
「いいから。早く行こう!」
彼女の言葉に、僕はこくりとうなずいた。