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 中学のとき同級生だった彼女は、とてもキラキラ輝いて見えた。

 学級委員や生徒会などで忙しく毎日を過ごしながら、朗らかに周囲を明るく和ませていた。

 僕みたいな地味な人間には、手の届かない高嶺の花だとわかっていながら、僕はきみに恋をした。

 きみはきっと覚えていないだろうけれど、僕が部活で膝を擦りむいて校庭の水道のところで怪我をしたところを洗い流していると、きみは心配そうに声をかけてくれたんだ。


 ――大丈夫?


 そのひと言で、僕の胸はどれだけ高鳴ったことか。

 そのあと一緒に保健室まで付き合ってくれたことを、きみは覚えているだろうか。

 きみの優しさに、僕の心がどれだけ温かく満たされたか。

 そんなきみを僕は遠くから眺めているだけで満足だった。


 淡い初恋。

 誰にも言わず、ただ己の心のなかに秘めておく。

 それでいい。

 それで満足だった。


 ――そのはずだった。






 中学を卒業してから、僕は市内にある公立高校に進学した。彼女とは中学卒業以来会っていない。

 なんの進展もなく、告白などというおそれ多いことを自分がするわけもなく、僕の初恋は僕のなかで美しい思い出として昇華しつつあった。

 初恋は実らない。

 誰が言ったかわからないが、それはかなりの人間がそれを経験しているのだということを教えてくれているようで、ほんの少し勇気づけられる気がした。


 誰でも最初は、多かれ少なかれ恋愛に臆病になるものだ。誰かを好きになるとか、僕自身それを知るまで考えたことがなかった。

 己のなかで芽生えた恋心は、僕に多くの戸惑いと苦しみをもたらした。

 彼女を思う切なさは、大地を白く塗り替えるようにしんしんと降り積もり、深雪の重さはされどなかなか融けてなくなることはなかった。


 しかし時間とは偉大なものだ。

 そんなやっかいな恋心というやつも、時が過ぎていくことで少しずつ薄れていく。日々の煩雑さのなかに身を置くことで過去を昇華する。

 思惑通り、時間という浄化作用は、激しく燃えるようだったそれを、おき火のように静かなものに変えた。僕は僕の初恋をなんとか思い出に変えることができたのだった。

 そう。

 一度は思い出に変わったはずのその恋が再び僕のなかで再燃しようとは、そのときの僕は思いもしなかったのだ。






 彼女と再び出会ったのは、高校一年の秋。

 市の図書館で借りる本を選んでいるところ、突然横から声をかけられた。


「あれ? 坂下さかしたくん?」


 聞き覚えのある鈴の鳴るような声に、僕の心臓は口から飛び出そうになった。あまりに突然のことに、すぐに振り向いて返事をすることができず、しばらく不自然な沈黙が続いてしまったことは、この場合致し方ないというものだろう。


「きみ、坂下くんだよね?」


 彼女が不審そうにもう一度呼びかけてきたので、僕は慌てて返事をした。


「あ、あの、高倉たかくらさん? き、奇遇だね。こんなところで会うなんて」


 声がもつれ、動揺に表情が硬くなる。自分のこの反応に、我ながら情けなくなった。

 しかし彼女はそんなことなど気にしたふうもなく、明るく会話を続ける。


「本当奇遇だね。それにしても久しぶり。中学卒業以来だっけ?」


「うん。卒業以来」


 少しずつ。少しずつ冷静さを取り戻す。挙動不審に思われないよう、ここは落ち着かなくては。


「高校変わるとなかなか会わなくなるよね。中三のときのクラスはでも本当いいクラスだったよね~。またみんなに会いたいな」


 懐かしそうに思い出を語る彼女はとても幸せそうで、僕の心はぽうっと温かくなった。

 変わらない笑顔。優しそうに下がった目尻。


「なんの本借りるの?」


 ぼんやりしていた僕は、彼女の質問にまたしても反応が遅れた。

 彼女はなにやら興味津々に、僕の抱えている本を見つめている。


「え? あ、ウエムラシュウヘイの小説を……」


「ウエムラシュウヘイ!」


 言いかけている途中で彼女が声をあげた。近くにいた人たちが、何事かと視線をこちらに寄越す。


「あ、ゴメン。つい声をあげちゃった」


 すぐに声を潜めて謝る彼女。口に手を当て、「しまった」という仕草をする彼女が可愛くて、ドキリとする。


「ウエムラシュウヘイ、もしかして好きなの……?」


「うん。今一番好きな作家さんなの。ちょっと不思議な切ないお話を書くんだよね~」


 彼女の言う通り、ウエムラシュウヘイは不思議で切ない話を得意とする若手作家で、僕も近頃気に入ってよく読んでいる。

 図書館に新刊が入ったようなので、今日さっそく借りにきたところだったのだ。


「わ、もしかしてそれ最近出たばかりの新刊本? わ~、読みたかったんだよね」


 彼女があまりにじっとその本を見つめるので、僕は思わずこう申し出た。


「……よかったら、先に借りる?」


 すると、みるみるうちに彼女の表情は花が咲き誇るように綻びていった。


「本当? いいの? やったー」


 ドキドキと激しく僕の心臓が脈打ち始めたことなどまるで知らぬげに、彼女は本当に嬉しそうに喜んでいた。

 思い出に変わろうとしていたこの想い。

 切なく胸を締め付けるこの気持ちは、どうしようもなく僕の体を満たしていった。

 そんなうまくいくわけがない。彼女のような人が僕を相手になんかするわけがない。そう思うのに、一度再燃してしまったこの気持ちは、なかなか収まる気配を見せなかった。


 また来週彼女が本を返しに来るときに、僕も図書館に行くことを約束して、僕たちは別れた。

 図書館の駐輪場から、僕の帰り道とは逆方向に自転車を走らせていく彼女の後ろ姿をしばらく見つめたあと、僕は踵を返した。

 実るはずのない初恋。

 終わったと思っていた恋が、こんなふうに奇跡的に始まりを迎えるかもしれないなんて、考えもしなかった。

 この恋がうまくいってもいかなくても、この気持ちは大切にしよう。

 そう思いながら自分の自転車を出す僕の耳に、遠くから甲高く響く音が聞こえた。


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