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「僕の恋人を監視して欲しいんだ」

 彼方の私室の扉をノックするが返事がない。俺はそのままノブを回して扉を押し開けて──そこで待っていたのは予想を遥かに超えた光景だった。空いた口が塞がらない。


 彼方は膝を抱えて床に座り込み、微動だにせず液晶ディスプレイを凝視しているのだが、問題はその横に位置する女である。


 スツールに座らされた彼女は全裸の状態でロープによって縛り付けられ、完全に自由を奪われていた。腰まである栗色の髪は緩やかなウェーブがかかり、かろうじて彼女の乳房や陰部を隠している。


 だがそんな状況にも関わらず、女は俺に目を留めると、明るく無邪気に微笑むのだ。そのあまりにあどけない笑顔に、俺は完全に面食らってしまう。


 無理やりなのか合意の上のなのか知らないが、普通こんな姿を赤の他人に目撃されて笑ってられるか? 頭のネジがぶっとんでるとしか思えない。俺は即刻、女の存在を視界からシャットアウトする。それはある種の防衛本能と言っていい。


 一方、彼方はディスプレイに釘付けだったはずだが、視界の隅で女の様子の変化に気づいたのだろう、振り返って俺を見た。


「ああ結己くん、来てくれてありがとう」


 久遠彼方(くどうかなた)は中性的で整った容姿をしているが、その中身はといえば奇人変人そのものだった。何せ女を緊縛して平然としているような男である。いっそのこと性的興奮を覚えている方がまだまともかもしれない。


 そもそも彼方はどこか浮世離れしているようなところがあった。ソウエンは俺が一人で切り盛りしているわけだが、彼方はオーナーであるにも関わらず店に顔を出すことはほぼないし、運営や経営に口を挟むことなど皆無だ。まるで興味がないようだった。


 それに俺に勝るとも劣らない引きこもりぶりで、私室にこもっていることが多い。


 しかもこの亜熱帯地域にあって真夏でも長袖を着用している。そのくせ汗臭さなんて微塵も感じさせない、いつだって涼しげな顔つきなのである。


「もうちょっとで終わるから待ってて」


 彼方は半分夢でも見ているかのようなぼんやりとした目をして俺に微笑みかけると、またすぐにディスプレイに向き直ってしまう。どことなく焦点が定まりきらないのはいつものことだ。


 外見的には俺とあまり年齢は変わらないように見えるのだが、実際には確か五歳ほど上だったように記憶している。二十二か三か、そんなところだろう。ただし若く見えるというよりは、子どもじみているという方がしっくりくる。膝を抱えて座り込む姿勢からして、まるで大人の男とは思えないのだが、中性的な容姿も相俟って妙に違和感がない。


(何を熱心に見てるんだ……?)


 俺が彼方の背後からディスプレイを覗き込むと、それは「消失」の映像だった。二年前、最後に観測された消失である。テレビで何度も放送されたものだから覚えていた。年に数件は観測され続けてきた消失だったが、ここ二年ほどはぴたりと止んでいる。


 消失とはシクロにおいてのみ発生する特殊な現象であり、一種の天災である。ひとたび消失が起こると文字通り、島から様々なものが跡形もなく消えてしまう。光を放って霧散してしまうのだ。


 消失の対象は建築物や道路、また家畜から石から草木まで、物体として形を伴うもの全般だったが、ただし人間そのものが被害を受けた事例はないと言われている。


 結局のところシクロが経済的に困窮した理由は、この消失にあるのだった。莫大な資金をかけて整備した建築設備も道路も、労働を惜しむことなく育てた農作物も家畜も、消失によって跡形もなく失われてしまうのである。


 ちなみに失楽園のおとぎ話で語られる「知恵の実」の暴走というのは、この消失を指していると言われている。物語の中で楽園に住まう人々は光から物質を作り出すことができたが、その逆が起こっているというわけである。


(不謹慎だけど、正直まあ綺麗なもんだよな)


 映像を眺めながらついそんなことを思ってしまう。実際、表立って口にしないだけで俺のように感じている人間は少なくないに違いない。消失が引き起こす被害の惨たらしさとは裏腹に、物質が消える瞬間というのは実に幻想的で、儚い美しささえ湛えている。対象物は淡い白光を放ってきらきらと煌きながら霧散していく。それが街のあちこちで起こるのだ。


(……それにしても凝視しすぎだろ)


 そして彼方はといえばディスプレイに顔を突きつけんばかりの勢いなのだった。それほどまで消失に興味があるのだろうか。コクハツの人間でもあるまいし。


 消失調査研究推進本部コクハツ──シクロにおいてその名を知らない人間はいない、科学技術庁の外局であり、消失による被害の軽減を目的として設立されている。


 シクロの中心にはエラルシディアと呼ばれる大樹があり、コクハツの研究施設はその大樹を取り囲むようにして建てられている。そこだけはスラムから隔絶された空間だった。


 厳重な警備が布かれた門には二対の蛇が絡み合うレリーフが施されており、それがコクハツのシンボルだった。


 シクロで生まれた者の多くは子どもの頃、一度はコクハツの研究員になることを夢見るものである。そうすればスラムとは別世界のように清潔に整備された施設で、スラムとはかけ離れた生活を送ることができるのだ。


 とはいえ実際のところコクハツに所属できるのは基本的には本土の人間の、しかもエリートばかりである。シクロ出身の研究員もごくわずかには存在しているとも聞くが、天才的な才能があるとかよほど特殊なケースらしかった。


 やがて映像が終わると、彼方はディスプレイの電源を落として立ち上がる。改めて俺に向き合った。ようやく本題というわけである。


「ねぇ結己くん、突然呼び出したのはね、君に引き受けて欲しいお願いがあるからなんだ」


 すでに俺は悪い予感を抱かずにはいられない。彼方から何かをお願いをされたことなんて今まで一度だってなかったのだ。何しろ彼方はソウエンに顔も出さないようなオーナーである。


「彼女を──」


 そこで彼方は初めて、例の緊縛全裸女の存在に触れた。瞬間、何か悪いことが起こるという俺の予感は確信へと変わる。


「僕の恋人を監視して欲しいんだ」

「……は?」


 蚊の鳴くような声でそう返すのがやっとだった。

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