俺の中に空いた穴
シクロは本土から七〇〇キロメートルほど離れた南西沖にある孤島だ。
古語で楽園を意味するこの島はしかし、その名前とは裏腹に島全体が国内最大規模のスラム街を形成している。
本土にある東京ドームほどの面積に、十階建て前後のビル群が敷き詰められるように乱立し、最盛期には約一万人もの人口がひしめき合っていた。
年間平均温度が二十度を越す亜熱帯気候であり、しかも建築物が密集するとあっては当然風通しも悪い。
五月に入ったばかりの今はまだ過ごしやすい季節だが、梅雨から夏場にかけては蒸し風呂状態になる。
シクロについて残された最古の記録は約三千年前のものだが、文献によればすでに当時からこの島は貧しく、島民は食べるのにも苦労していたようである。だがシクロが貧困に喘ぐのにはそれなりの理由があった。
この島においてのみ発生する「消失」と呼ばれる天災、古くからシクロはその不可避の自然災害に苦しめられてきたのである。
俺が暮らす光明路はこの貧しいスラムにおいてある意味、最も楽園らしい場所といえるかもしれない。ただしそれは人間の欲望を満たしてくれるという点においてであり、おとぎ話の中で謳われるような楽園とは程遠いものではあるのだが。
光明路はスラムの歓楽街ではあるものの、毎日華やかな賑わいを見せ、それは期日まで三日と迫った今日も衰えてはいない。
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彼方の私室へと向かう足取りは自然と重くなる。
ソウエン自体、光明路の複雑に入り組んだ路地を幾度も曲がらなければ辿り着けない場所にあるのだが、彼方の私室はといえばソウエンの裏手の更に奥まったところに位置しているものだから、まるで人目を避けることを目的とした隠し部屋のようにさえ思われた。
店の裏口から続く廊下を進みながら、俺はまたしても口寂しい気持ちに駆られている。さっき嘔吐したばかりだが、嫌なことがあったりストレスを感じたりすると、過食の衝動に拍車がかかるのはいつものことだ。
食いまくった挙句に嘔吐するのは、俺の場合、何も太りたくないからだとかそういう美意識によるものじゃない。大量の食い物を詰め込んで容量オーバーした胃袋がきりきりと悲鳴を上げるのだ。その痛みといったら強烈で、時には歩行さえ困難になる。
摂食障害に陥ってからはすでに一年ほどが経過していた。
バーや自室の冷蔵庫に詰め込まれた食い物が脳裏をちらつく。だがその一方では、胸の奥底で疼き続ける茫洋とした虚しさにひどく気が滅入る心地だった。
仕事以外の時間は自室で食い物にまみれ、バーでも娼婦たちの目を盗んでは過食に耽る。そんな毎日は何ら意味も価値も見出せない。だが、繰り返される日々を無為であるとしか感じられなくなったそもそもの始まりは、十一年前、母親が自分を捨てた日に遡るのだった。
母親は精神的に弱く不安定だった。俺はいつも母親の顔色を窺っていた。母親を慰め、気遣い、子どもながらに必死で尽くした。そして突然捨てられた。
あの日、俺の真ん中にはぽっかりと大きな穴が開いた。それを埋めたくて塞ぎたくて、俺は穴を満たしてくれる何かをずっと探している。でもそんなもの見つからないのだ。だから俺は無駄だと知りながら掃き溜めのようなその穴に食い物をぶち込む。その場しのぎのごまかしだと自覚はしていても、他になす術なんてなかった。