彼方からの電話
『結己くん、今どんな感じかな』
俺が電話に応答するなり、彼方は本題に入った。
「ええと……」
『何かあったんだ』
すぐさま言い当てられる。
『今いるのって、僕の部屋じゃないんでしょう? きっと』
俺は彼方に何をどう伝えるべきか逡巡しながらも、ありのままを話した。襲撃者、コクハツのバッジ、今も遊弦に追われていること、彼方はそれらを黙って聞いていたが、
『ふうん』
そう相槌を打つだけで特に動じた様子も見せない。まるで想定内とでも言いたげな雰囲気がある。それから彼方は唐突に告げた。
『明け方、午前五時に第四区画のゲート前』
「え?」
『予定変更だよ。結己くん、そこで待ち合わせにしよう。ラビを連れて来て。立ち入り禁止の第五区画を抜けてこないといけないけれど、うまくやってね。それじゃあまた、あとでね』
一方的に電話は切られた。相変わらず彼方の口振りは有無を言わせない。俺は思わずため息を吐き、そしてラビが不安そうな面持ちで俺を見つめていることに気づく。そのいかにも心もとなげな様子に俺は思わず、ラビの頭を撫でようとして、だがやはり思い直して手を止めた。
「第四区画のゲート前で待ち合わせって」
俺が彼方の言葉をそのまま伝えると、ラビは頷いた。
「第四区画のゲート、って遠いの?」
「……おいおいおい」
非難めいた言葉が口をついて出る。ラビは待ち合わせに向かうつもりなのだ。
「お前、おうちに帰りたいとか大嘘だろ」
「嘘じゃないよ」
ラビはすぐさま言い返した。
「だって彼方は楽園に連れて行ってくれるって言ったんだよ、約束したの」
どうせラビがおうちに帰ると言って聞かないから、彼方が言い包めたとかそんなところだろう。
「彼方と一緒におうちに帰る。帰らなきゃ」
「お前の家がどこにあるかは知らないけど、それ以前に、彼方と再会して、そんなことできると本気で思ってんの? また監禁状態強いられるに決まってるだろ」
これにはラビも返す言葉がないようだった。
「それにお前……」
俺は思わず一旦、言葉を区切る。話の切り出し方にいくらか迷ったが、そのまま続けた。
「前になんだか不穏なこと言ってただろ、このままじゃ彼方に殺されるとかなんとか……」
襲撃者との騒ぎで有耶無耶になっていたが、俺は彼方の私室でラビが言った言葉を忘れてはいなかった。それにしても、実際口に出してみると妙にリアリティが増す気がして、あまり気分の良いものではない。
「それは……」
ラビは決まり悪そうに俺から目を逸らして、言葉を捜しているようだった。またわかりやすい誤魔化しや言い訳でもするつもりかと胸中で毒づきながら沈黙を貫いていると、ラビは間もなく口を開いた。
「夢なの。私が彼方に殺される夢を見るの」
まるで観念したかのように俺と目を合わせてきた。ラビの眼差しから嘘は感じ取れない。
「夢? 夢って……ただの夢?」
「でもすごくリアルなの。本当に現実みたい。それを何度も何度も繰り返し見るの」
正直、肩透かしを食らった気分だった。当然、安堵するところの方が大きかったのは確かだが。
「そんなのは俺にだってある」
俺の場合は母親を探して見たことのない場所を延々と彷徨う夢だ。母親に捨てられてからというもの、俺はずっとその悪夢にうなされている。
俺に一蹴されたラビはまだ何か言い分があるような表情をしているが、まあ何にせよ、ラビが殺されるとか物騒なことでないのなら良い。
しかし裏を返せば悪夢にまで見るほど彼方との関係に追い詰められているとも言えるわけで、やはりラビを彼方の元に返すのが彼女のためにあるとも思えないのだった。
「とにかく、お前にとって一番良いのはさっさとシクロを出ることだ。どのみち明後日にはこの島に住む全員が立ち退かなきゃいけないわけだし……」
と、そこまで言って俺はラビの頭上にはてなマークがわんさか浮かび上がっていることに気づいた。
「立ち退く? 明後日? 何で?」
ラビは彼方から本当に何も聞かされていないようである。簡単に説明してやるのだが、それでもラビはどうもピンと来ていないようだった。初めて知ることが多すぎるのだろう。
「とにかくお前がシクロを出てしまえば話は早い。俺も一緒に出るから。本土に渡れば遊弦もお前を探し出すことは難しくなるし、彼方との関係も清算できるだろ」
だがラビは押し黙ったまま答えない。俺は粘り強く待つのだが、ラビは俺から一ミリも視線を外すことなく見据えている。全く口を開く気配がない。
そのまま数十秒が経過した。沈黙したまま対峙するには十分に長い時間だった。
「……お前ほんと聞き分け悪いな」
「彼方と一緒に楽園に行くの」
結局、折れたのは俺の方だった。ラビが彼方の元に戻るという意思を固めている以上、強制はできそうもない。
「……わかったよ。待ち合わせ場所まで連れてく」
「うん! 結己くんありがとう」
ラビはやたら礼儀正しくぺこりと頭を下げるのだった。
とても納得できたものではないが、しかし俺が口を出せるような問題ではないのもまた事実だった。ラビにとって彼方は単なる恋人というわけではない。記憶を持たず目を覚ましてからのこの二年間、ラビにとって他者といえば唯一彼方だけだったのだ。それは家族同然のものに違いない。
俺が今できることといえば、遊弦に見つからないようにラビを彼方の元に届けるしかなかった。