街角の下着屋
メインストリートとはいえ道幅は大して広くはなく、三メートル程度のものである。そんな路上のど真ん中に屋台が点々としているものだから、人の往来はスムーズにはいかない。
飯屋に洋服屋に薬屋など一貫性のない屋台が一緒くたに並んでいる。期日まで間もないため飯屋以外は品薄のようだが、それでも客足は途絶えてはいない。他の区画から流れてきた島民によって、光明路は未だ賑わっている。
とはいえ道の両端に軒を連ねる店舗の多くはすでに閉じられており、やはり期日が間近に迫っていることを意識せざるを得ない。
メインストリートを全速力で駆け抜ける俺とラビに、街を行き交う人々は慌てて道を空けた。しかもラビは全裸にタオルケットを羽織っただけということもあり、人々は何事かと目を剥いている。
その皺寄せを食ったのが遊弦だった。人々はざわめきながら俺たちに釘付けで、そのあとから追いかける遊弦の存在に気づいていない。振り返ると、人ごみに阻まれて足止めを食らっている遊弦が見えた。
その隙に俺たちは道を三回折れて、路地裏にあるすでに閉店された下着屋に入る。ガラス製の扉を開き、所狭しと並ぶ裸マネキンの奥に身を潜めた。
しばらく息を殺していたが、外からは足音ひとつ聞こえてこない。
「はぁ……なんとか逃げ切ったね」
ラビは大きく深呼吸して胸を撫で下ろした。
「力、安定しないな。前はこんなことなかったのに」
ため息を吐いて自分の手のひらに視線を落とすラビ。
「前は違ったわけか?」
傍にあった椅子を指して、ラビに座るよう促しながら問う。俺の方は元は会計台だったと思しき机の上に腰を下ろした。店はガラス張りだが、奥まったこの場所ならば外から見られることはない。
街灯の明かりが漏れ入ってくるため最低限の視界は確保できているが、それでも店内は薄暗かった。
「どんどん力が使えなくなってるの」
「原因は?」
ラビは沈黙する。逡巡しているのがわかった。彼女自身の中に答えがあるが、それを口にするのを躊躇っているような、そんな雰囲気がある。
ラビは嘘を吐いたりごまかしたりするのが極端に苦手なのだろう。俺が今まで見てきた女とは違う生き物のようにさえ思えてくる。特に娼婦や水商売など、光明路の女たちというのは男をうまく騙してやるのも仕事のうちだったりするのだ。
「……わからない。でも力が不安定になるのはどんな時かっていうのはわかってるよ」
「へえ?」
「私の心の状態によるの。焦ったり不安が強くなったり、気持ちが不安定だと力が働かなくなるの。私の気持ちが真直ぐにおとうさんに届くようにお祈りしなきゃいけないの」
「ふうん……」
父親の件が始まると、何やらよくわからない世界観に突入してしまうのは相変わらずである。適当に相槌を打っておく。
「調子が良い時は対象に触れる必要だってないんだよ。気持ちを集中させるだけでも十分なの」
そういえばはじめにソーセージとビニール包装を消失させた時は目配せひとつだったことを思い出す。それに対して彼方の部屋の壁を消した時はしっかりと触れていた。
「まあ……わかりやすい法則性みたいなものはないんだな。力の適用範囲もはっきりしないし」
ラビが壁を消失させた時はその一部だけで、壁全体が丸ごと消えたわけではなかった。
だがソーセージやロープ、拳銃などは丸々消し去っていたことを考えると、対象となる物質の大きさによるのだろうか。遊弦がフェンスを消失させた時も一部だけであり(もっともラビと同じ能力として一括りにしてしまって良いのか不明だが)、そのために数発の弾丸を必要としていた。
「あまり広範囲に渡る物質を消失させるのは難しいの。あと対象の性質や、ええと……元素の構成? エネルギーの形態? とかいうのによっても左右されるって、彼方が言ってた」
何やら小難しい単語が飛び出してきたが、彼方というのは一体何者なんだ? 少なくとも売春斡旋所のオーナーが知るような事柄でないのは確かである。
「私には理論的なことはよくわからないんだけど、例えば全く同じ大きさの紙の束と、コンクリートの塊があったとするでしょ。そうしたらコンクリートを消失させる方が力の消費量は大きいの」
質量によるということだろうか。
「それから……」
ラビは椅子に腰掛けたまま不意に俺を見上げた。何やら悪戯を仕掛ける子どものような目をしている。どうにも居心地が悪く目を逸らすと、次の瞬間、ラビは驚かすようにいきなり抱きついてきたのだった。
「結己くん、もうあの止まらない食欲から解放されてるでしょ」
「ああまあ……」
「私、ああいう力は比較的安定してるの」
「……わかったよ」
俺は自分の胸元に頬をくっつけているラビを剥がした。ラビといるとどうにも調子が狂わされる。
「とりあえず、なんか服着といて。その格好目立つから」
「あ、服! 着たことない!」
ラビは初めての体験に浮き足立っているようだが、しかし着たことないって……改めて彼方の神経を疑うのだった。
とはいえ店はすでに閉店されている上に、そもそもここは下着専門店である。店内を見渡すと、かろうじて部屋着のようなものが色違いで置いてあるだけだった。
袖口と裾がひらひらとした少女らしい印象のシャツとショートパンツのセットである。生成り色と水色のものがあったが、
「じゃあ私こっちにする!」
ラビは嬉しそうに生成りのものを選んだ。
「ねぇねぇ結己くん、これ何?」
と、ラビはワゴンの中から掴み出したのは真赤なブラジャーだった。セールの売れ残りと思しきものが打ち捨てられるように積まれている。
「いっぱいある! あ、こんなのも!」
ラビはくしゃくしゃになった黒色のパンツを興味深そうに眺めた。わざと俺をからかってるんじゃないかと疑いたくもなるが、ラビは本当に何も知らないのだろう。
「それも着とけば」
「うん、でもどうやって着るの?」
──なんて答えたら良いんだ? 俺は心底、彼方を恨めしく思った。