表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドキメキの靴箱  作者: 秋沢文穂
トキメキVer.
3/4

前編

 恋の使者は突然にやって来る。

 私の場合、救世主として現れた。

 高校入試の日。私はやってならない凡ミスに気付いて、慌ててしまった。

 あれほど何回も持ち物の確認をしていたのに、やり過ぎて忘れてしまうとは……。

 私って、なんて愚かなのだろう。

 うっかり忘れてしまったものとは、ペンケース。人生最大のミス。人生最大のピンチ。


 困っている私を見かねて、隣の席の男子が声をかけてくれた。

「どうかしたの?」と。

 私はつかさず家にペンケースを忘れてしまったことを話すと、男の子は黙ったまま自分のペンケースから鉛筆三本を出してきた。

「よかったら、これを使って」

 それから、すぐにあっと声を上げ、躊躇する様子を見せず消しゴムを真っ二つに割ってくれた。

「あ、ありがとうございます」

 嬉しさと感動に舌がもつれてしまったけれど、何とかお礼を述べることができた。

 それにしても、何の変哲もない地味な男の子なのに、鉛筆をさっと取り出した仕草や、消しゴムを半分に割る仕草が潔くて男らしい。

 受験するからには同い年に違いないけれど、今まで見てきたどの同級生よりも大人に見える。

 そう言えば見たことのない中学校の制服だ。どこか遠くから受験をしにやって来たのだろうか。

 あれこれ考察をしているうちに、束になった白い用紙を抱えた試験管が入室してきた。

 彼のおかげで無事に受験することができた。私の実力からすると、担任も、学習塾の先生も、よほどのことがない限り落ちることはないと太鼓判を押してくれた超合格圏内の学校だった。

 すべての科目が終了してから改めてお礼を言いながら、鉛筆と消しゴムを返そうとしていたら、別の教室で受けていた土井どい香苗かなえがやって来た。

「ルチカ! 一緒に帰ろう!」

「う、うん」

 私が返事をしているのと同じタイミングで、隣の席の男の子はすうっと立ち上がり、いそいそと教室を出て行ってしまった。完全に失ってしまい、自己嫌悪に陥る。

 あきらめて香苗と一緒に帰ることにした。


 私と香苗は受験校まで徒歩十五分ほどのマンションに住んでいる。彼女は中学三年間、ソフトボールに明け暮れ真っ黒に日焼けをし、見るからに健康そのもの。

 貧弱な私とは雲泥の差だ。けれども、本人は地黒とそばかすが最大の欠点だと思っている。

 ちなみに半年間は香苗と一緒にソフトボール部に在籍していた。辞めてしまった理由は厳しい練習や上下の規律といろいろあるが、大きな原因はグランドを走っている最中にいきなり倒れて救急搬送された。診てくれた医師の話によると、私は普通の人に比べてヘマトクリット値が低く貧血を起こしやすい体質だそうだ。

 小学生の頃、よく朝礼中に倒れたりした訳がわかり、納得をした。

 もちろん鉄分摂取はしているが、部活を辞めてからというものインドアな趣味に走っている。まあ、ゲームやアニメは興味ないけれど……。

「ねえねえ、ルチカ。試験どうだった? 難しくなかった?」

「うん、難しかったね。でも、まあまあできたほうだと思う」

 ずれ落ちたメガネのフレームをぐいと、押し上げる。第三者からするとこういう行為は、自慢げに映るらしい。でも、香苗は目をまんまるにして、

「すごいね。さすがルチカ。頭いいもんねえー」と絶賛をしてくれた。

「そういう香苗は、どうだったの?」

「うーん、国語と社会が自信ないかな?」

「じゃあ、あとで答え合わせをしようか」

「うん!」

 香苗はしっぽを振って喜ぶ子犬のように返事をする。今までもそうだったが、香苗の語尾「かな?」と疑問形になるときは、そこそこ自信があるときだ。学校の中間期末テスト、塾の模擬試験など、結構高得点で上位に食い込んでいる。もともと私と違って理数系が得意だから、合格する確率は高い。さらに三年間部活に励んできた実績もあるし、内申点だっていいはずだ。


「ところでさ。私、ペンケースを忘れちゃったんだよね」

 愛想よく、えへっと舌を出すと、えっ! と驚きの声が上がる。

「それは、ルチカならぬミス。それで、どうしたの?」

 心配そうに私のことを見つめる。

「隣の席の子が貸してくれたの。でも、返しそびれちゃった」

 今度はほほうと低い声を上げる。香苗と話をしていると、細かい反応が楽しい。

「でもでもよ。お互いに合格をしていれば、四月からいつでも会えるじゃん!」

 目からウロコ。本当に香苗はいいことを言ってくれる。確かにそうだ。あちらの受験番号を私は知っている。彼がトイレに行った隙に、こっそり受験番号を書き写してきた。

「そうだね。香苗、ありがとう!」

「つか筆記用具って忘れたら、貸すって言っていたよ」

 いいことの後に衝撃の一言。何となくそんなことを言っていたような気がする。けれども、私は平静を装い、「そうだったね」と返しておいた。

 それにしても、あの時どうして素直に彼の行為を受け入れてしまったのだろう。

 受験という一種独特の雰囲気に飲み込まれていたのかもしれない、と思うことにした。


 月日は流れ、四月になった。私は晴れて第一志望校に合格し、そのきっかけをくれた彼も受かっていた。

 私が知っている情報はこれだけ。相変わらず名前も住んでいるところも、当日着ていた制服もどこの中学なのかわからない。だからこの四月からの新生活にかけようと思った。

 真っ先に思いついたのは、イメチェン。私の髪は黒くて剛毛。中学の時は校則でおさげにしていた。おさげをやめて腰まであった髪を胸まで切った。

 さらにメガネからコンタクトレンズにしてみた。視界の隅にあった縁がなくなり、開放感を得て世界が広がったみたい。

 また、キャラ替えを行うことにした。香苗はソフトを辞めてから本ばかり読んでいるので文学少女がいいんじゃないかと、アドバイスをくれた。

 それだと中学のキャラのまんまじゃん、と突っ込んだら、

「寡黙になるの。必要最低限のことしか話さないの」と言われた。

 何となくクラスで浮いたキャラになりそうだったが、読書に集中していると会話は減ってしまう。同じことか、と思い承諾をしてしまった。

 ちなみに香苗は元気いっぱいキャラを捨てて、お嬢様キャラでいくと言っていた。

「ああ、貧乏お嬢様ね」と横やりを入れたくなったが、私はぐっと我慢した。

 この一言で香苗との友情にひびが入るほか、毒舌キャラに変更をさせられたくなくない。毒舌キャラはクラスで嫌われるのはもちろん、彼にも嫌われそうで怖かった。

 結局私たちは春休み中、ドラッグストアやスーパーの化粧品コーナーへ行き、ファンデーションや口紅、チークなどをあれこれ試してみた。そして、それぞれ似合うカラーを見つけ出して購入し、雑誌やネットを見てメイクの仕方を覚えた。

 覚えながら気付いたことがある。私の目は異常に細い。まるで鋭利な刃物みたいな目をしている。少しでも目を大きく見せようと、マスカラや付け睫毛を試してみたけれどムダだった。

 本当はプチ整形をできればいいのだけれども、すでにイメチェンのためにお小遣いを前借りしてしまった後だった。

 いっそうのこと消費者金融に借りようかとも思ったけれど、うら若き乙女が取り立て屋に追われるのはしゃれにならないし、体を売れなどと下品な要求をされても困る。

 だから夏休みにアルバイトをして稼げばいいやと思い直し、とりあえず終了とさせた。


 入学式当日。さすがに濃いメイクでは上級生に目をつけられてしまうので、ナチュラルメイクを心がけ、色付きリップを塗って登校をした。

 校門をくぐったところで、男の子たちが私たちを見ていることに気が付いた。どうやら共同イメチェンは成功をしたらしい。

 香苗と顔を見合わせるとグータッチをして、お互いの高校デビューをお祝いした。

 よかったのはここまでだった。私は一年二組、香苗は一年四組になった。同じクラスになれず本当に残念だ。もし私と救世主が同じクラスになれず、香苗と一緒になったら逐一報告をしてくれることになっている。心強い。

 一学年のクラスは四クラス。二分の一の確率で、私か香苗と一緒になるだろう。

 香苗と分かれて教室に入ると、黒板に自分の席が記されていた。私の席は教壇から三番目。完全に先生と目が合う座席だ。しかも、一年間席替えをしないらしい。最悪。

 まあ、いざとなったら後ろで黒板が見えない子と交換すればいいやと思いながら、着席をし文庫本を取り出す。そのままぱらぱらとめくりながら、教室に入ってくる人たちを眺めていた。やはり地元の高校とあって、知っている顔が多い。

 私の顔をちらりと見て、あれ? という表情をする人がほとんどで、特に男の子は笹本ルチカと認識するまでに時間がかかっているようだった。


 そんな中、こわごわと教室に足を踏み入れる男子を見て、はっとした。試験の時に鉛筆と消しゴムを貸してくれた救世主だった。

 彼が座席を確認している間、本を読んでいるふりをして観察をしていた。

 やがて自分の席がわかったらしく、まっすぐ歩いてくる。

 ……って! こっちに来る! ち、ちょっと待って! 心の準備が……。

 私がパニックっている間、真新しい大きな上履きが止まる。そして、机にカバンを置いた。もしかして、隣の席? いや確定。

 救世主と目が合い、とにかく挨拶をしなきゃと切迫感を覚える。

「あ、どーも。笹本ルチカです」

 うわあああ~! 感じ悪いぞ、私!

 完全に墓穴を掘ってしまった。その証拠に無表情なまま男の子が返答をする。

「僕は東海林。そらと書いて、くうと読みます。よろしくお願いします」

 東海林空っていうのか。救世主にふさわしくいい名前だと、うっとりしてしまう。

 こういうのを運命の出会いっていうのかな? 神様が私と東海林君を出会わせてくれたみたいな? 一年間、同じ席なんだ。どうしよう、緊張しすぎてお腹が痛くなりそう……。

 だけど、東海林君は私のことなど気にせず、とてもクールに着席をする。その座り方が格好いい。

 あ、どきどきしてきた。

「笹本さん、何を読んでいるの?」

 きゃあ! 東海林君自ら、私に尋ねてきてくれた! 嬉しいけれど、やっぱり緊張もする。でも、ここは落ち着いて、香苗に言われた文学少女を演じなくては。

「サルトルの『嘔吐』」

 口が強ばってうまく話せない。どうしよう。東海林君も不思議そうな顔をしているし、何か話さなくては。焦る一方で何の言葉も出てこない。

 ところが不思議顔のまま、面白いの? と聞いてきてくれた。やっぱり、私の救世主だなと思いつつ、

「さあ、今読み始めたばかりだから」

「悪かった。どうぞ、続けて読んで下さい」

 そのまままっすぐ前を見て、私に目をかけてくれなくなってしまった。

 どうやら自滅してしまった。東海林君にとって特別なかわいい女の子ではなく、クラスにいる女子の一人として刻印を押されてしまったようだ。

 どうして素直に、『嘔吐』と答えてしまったんだろう。せめて、ダザイとか、ソーセキ、カワバタって答えればよかった。

 香苗が文学少女っていうから、サルトルにしたのは間違いだった。

 というか根本的におカタイ本って、みんなに敬遠されてしまうではないか。


 その日、帰宅してから大きくもなく小さくもない街の書店へ出かけ、店員さんにどんなライトノベルが流行っているのか質問をぶつけた。

 するとドレスを着たお姫様と甲冑を着た騎士の西洋風ファンタジー、制服姿の女の子の周囲に白い歯を輝かせたイケメン五人の学園恋愛ものを差し出された。この二冊はどこからどう見ても、女の子向けライトノベルだ。

 改めて男の子たちに人気なのはどれかと尋ね直すと、白い学生服を着た男子と真っ白なローブを着た幼女の魔法系ファンタジー、困っている男子と怒っている女の子の青春ものを勧められた。ところがファンタジーは十二巻、学園ものは四巻で、私の乏しいお小遣いを考えて後者にした。

 翌日から教室で読み始めてみたけれど、東海林君に何を読んでいるのか尋ねられるどころか、ちっとも寄ってこない。思い切ってカバーイラストを見せるようにしたが、ジクウ、ジクウとやって来る遠藤君が一瞬おっという表情を見せただけでスルーされてしまった。

 やはり男の子でも、『うちの妹が音痴すぎる件』は引いてしまうのだろうか。巻数が少ないと理由で選んだのは間違いだったのかな、と思いつつ、せっかく購入したので読んでみた。

 冒頭主人公が不慮の事故で死んでしまい、人気絶頂アイドルグループABM46のメンバーになりたい妹の前に幽霊となって現れる。

 ところが妹はなぜか音痴。音痴は歌だけでなく、運動、方向、機械と読んでいる私でも悲しくなってしまうぐらいすべてを網羅している。そこで幽霊の兄は妹を何とかメンバーに入れようと奮闘するといったお話。

 妹とのやり取りはほのぼのしていてよかったが、幽霊の兄が心配して女子トイレをのぞいたり、お風呂で妹に歌のレッスンをしたり、眠っている妹の頬を突いたりするのはいただけない。

 男の子にとっては面白いのかもしれないが、女の私にとっては不愉快きわまりなかった。

 東海林君も相手にしてくれず、不愉快な要素の多い続巻も買って読む気になれず、買ってしまった一巻は自室の片隅に放置をされたままになった。


 数週間が過ぎ、学校にもクラスにも慣れてきた。けれども東海林君に受験した日のことを話せないでいた。私があまりにも必要最低限しか会話しないせいか、東海林君のほうでもめったに話しかけてくれない。

 それでも、毎日隣の席にいるとさまざまな発見があって楽しい。例えば、お昼は学食へ行き牛乳を買って戻ってくるとか、睫毛が長いとか、シャーペンを回すのが上手いとか、観察を続けていると何かしら新しい発見があった。

 最大の発見はイラストが上手なこと。時々、授業中に教科書やノートの空欄にさっさと描いていた。

 そのイラストのほとんどは、髪の毛の長い女の子ばかりだった。興味を持った私は、誰もいない朝や放課後に彼の席に座って確認をしたから間違いない。ただ顔の表情は鼻しかなく、のっぺらぼうで残念だった。雰囲気が私と妙に似ている。

 もしかしたら私に脈があるのかとも思ったけれど、文庫本のいきさつから面と向かって話せなくなっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ