後編
いよいよ正体を見極めようと、待ち伏せをすることにした。期末テストが近づいているため、英語の要点をまとめたノートを僕の靴箱に入れてくれるはずだ。そろそろちょうどよい頃合いだろう。
一応、ケーキを食ったエンドーも誘ったが、相手はきっと照れ屋さんだから遠慮すると断られた。おまけにケーキは僕が食べたことにしておけと。助けてもらっている相手への配慮だとも言っていた。
初日、二日目、三日目と何事もなく通り過ぎる。意外にも笹本さんが、誰よりも早く学校へ来ていることがわかったぐらいで何の進展もない。早くに来て何をしているのかと思いきや、ただひたすら本を読んでいるようだった。
四日目。今日も笹本さんは早く登校をしてきた。挨拶ぐらいしようか迷っていると、隣のクラスの男子がやってきた。僕の中に飼い慣らしている野次馬がせり出て、そっとその様子をのぞき見る。
男子生徒が二、三言交わしたあとで、笹本さんのごめん、という声が聞こえてきた。どうやら、こいつも玉砕されたらしい。がっくりと肩を落として、僕の前を通り過ぎていく。
それにしても、笹本さんがどうしてもてるのかわからない。自分の価値観と他者の価値観はまったく違うことぐらいはわかるが、人のことを睨む鋭いナイフ目が僕は苦手だ。
男子を振り続ける理由は、単純に好きな人がいるか、すでに付き合っている人がいるか。もしくは同性愛主義とか。
笹本さんの隣りに、ひめかみ様を並べてみる。黒髪の笹本さんとふゆるふわパーマのひめかみ様は、ビジュアル的にはとっても相性がよい。さらに、笹本さんがひめかみ様のほっぺをぷにぷにするところを思い描く。
『やだぁ~。ルチカったら!』とくすくす笑うひめかみ様。それにつられて、笹本さんもナイフ目を糸のような目になって笑う。二人ともとてもいい感じだ。
やがて二人の笑いが途絶えると……。
いかん! 朝っぱらから変な妄想をしてるんだ、僕は……。ひめかみ様にそんな趣味があると思えない。だいだい声のお仕事で、そんな役をやっているだけじゃないか。
その時、一人になった笹本さんは靴箱の扉を開け、腕を伸ばし上履きをなで始めた。 慌てて持参してきたオペラグラスで確認をすると、「げっ!」と苦み走った声を出してしまった。笹本さんがなでている上履きは、こともあろうか僕のだ。
そして、慎重に周囲を確認してカバンからノートを取り出すと、僕の靴箱に押し込んだ。決定的瞬間を見てしまった僕の気は重い。よりによって苦手をしている子が、助けてくれていたなんて。
笹本さんが行ってしまう前に話かけなければ、とよろけるようにして躍り出る。すると彼女の頬は、食べごろのリンゴみたいに真っ赤になってしまった。
「な、な、な、なんであんたがいるのよ!」
狼狽をしている笹本さんは、見る人はかわいく映るだろう。でも、僕はあくまでも苦手だ。それでも、聞くべきことはきちんと聞かなければならない。何のために早くに学校へ来ていたのか、努力の意味がなくなってしまう。
今までにないほどの最大級の勇気を振り絞って、ナイフ目の少女に挑む。
「それはこっちのセリフだ! 笹本さんこそ、僕の上履きに何をしてたんだ!」
よし、言いたいことは言えた。あとは負けじと、全力で笹本さんを睨みつける。僕の勢いに押されたのか、短く「ひぃ!」と声を上げた。
「も、もしかして、見ていたの?」
そうだそうだと首を大きく縦に振ると、笹本さんの表情が強張り少しの間。
「いやあああああ~!」
突然雄叫びを上げて、走り出そうとする。僕はとっさに彼女の細い手首をつかむ。
「逃げたってムダだよ。だいたい教室では、隣同士じゃないか」
僕の言葉にはっとした表情を浮かべ、その場でへたり込んでしまった。
しぼんだ風船状態の笹本さんが珍しいのか、通り過ぎる人たちが僕らのことをじろじろ見ている。だいぶ登校してきている。
僕の中に突如恥ずかしさが芽生え、移動しようと提案すると静かに頷いた。
僕は笹本さんを教室と新校舎をつなぐ渡り廊下へ連れて行った。期末テストが近づいているから、吹奏楽部は朝練をしていないみたいで、人通りも少なく落ち着いて話すにはもってこいの場所だ。
「笹本さんが、おにぎりや英語のノート、傘とかを入れてくれたの?」
「……はい、そうです」
しおらしい態度。表情はうつむいていてわからない。
このままうつむいていてくれたほうが、お礼が言いやすい。
「今まで、ありがとう。本当に助かったよ」
一転して顔をばっと上げて、僕の両手をぎゅっと握る。
「本当に?」
いつなくクールな笹本さんの声が弾んでいる。細い目の奥にある瞳は、きらきら輝いている。
言い出したのは僕なのに、もうここから逃げたくなっている。笹本さんのこうした態度が不気味で恐ろしい。
「ああ、本当に助かったよ」と後ずさりをしながら、
「でも、もうこういうの辞めてくれないかな。男子全員を敵に回しそうで、怖いんだ」
最終宣告というよりも、やんわりと告げたが、握っていた手を離してしょんぼりした。
「どうしてよ! 私がそんな男子は全員ボコってやるわよ!」
「ボコるって……」
ナイフ目で訴えられ、僕は八つ裂きにされた気分になってしまう。
「僕の為にそんな物騒なことをしなくていいよ」
また、柔らかく諭してしまった。こういう態度がつけあがるのだろう。しかし、笹本さんは意外なことを話す。
「だって、恩返しがしたかったんだもん」
幼い子供のように拗ねて口を尖らせるが、僕には無効だ。全然、かわいくない。むしろ凶器が増えたような面持ちだ。
笹本さんは入学試験の時に筆記用具を忘れ、余分に持ってきていた僕が貸してあげたらしい。ただし消しゴムは一個しか持ってきていなかったので、半分に分けてあげた。
言われてみれば、そんなことがあったような気もするが、当時貸してあげた女の子とビジュアルが違う。
「もしかして、おさげにメガネじゃなかったっけ?」
「かけてたわ。でも、同じ高校だと知っていたから、路線を変更したのよ」
ぶっきらぼうな言い方に、照れが含まれているような気がした。でも、僕にとっては怖い。
「僕なんかの為に、そんなことをしなくていい」
先ほどよりははっきりとした拒絶の意思を示せたと思う。
「つか気付よ! あんたが好きだから、あんたの為にがんばったのに!」
僕よりもしっかしした意思表示の後に、ナイフ目の端から涙がこぼれ落ちる。
ふん? 今、なんて言った? 僕のことが好きだと言わなかったか。
「まじで勘弁してくれよ~」
「もう、いじわる! あんたはこの私を好きにさせた責任があるんだからね! 付き合いなさいよ!」
泣きながらの訴えた笹本さんは我に返ったのか、しまったの表情を浮かべる。そして、ゆでたタコのように顔を真っ赤にさせた。
笹本さんと付き合うのは本当に無理だ。勘弁して欲しい。僕にはひめかみ様という女神のような存在がいるし、彼女が演じてきたキャラたちを悲しませたくない。
最後の勇気をふり絞ってのぞき込むと、僕のことを睨みつけていた。
好きなのに? いったい、何の為に?
ドキドキVer.(了)