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ドキメキの靴箱  作者: 秋沢文穂
ドキドキVer.
1/4

前編

 廊下からは校庭の隅に植えてある桜を眺め、はしゃいでいる女の子たちの声に耳を傾けながら一年二組の教室に入る。真新しい制服を着たクラスメイトたちを見て、ああ高校生になったんだなと実感がわいてきた。

 そして黒板には縦書きに大きく『祝入学』とあり、祝と入の間には赤いチョークで桜が描かれていた。実感パート2だ。

 黒板にはそれだけではなく細かなマス目で区切られ、中には文字がごちゃごちゃと書かれている。もうすでに着席をしている子以外が、ここで自分の席の確認をしているようだった。

 僕もこの輪に紛れ込み、自分の席を探し出す。次の瞬間、拍子抜けをしてしまった。

 ど真ん中の前から三番目に、東海林しょうじと書いてある。ちなみに隣りは、笹本ささもとという名の女子らしい。

 ポジションは最悪だが、大好きな声優笹本姫加ひめかと同じ苗字で心が弾んでしまった。ファン歴は一年とちょっと。キャリア三年の彼女に比べれば、まだまだ自分はひよっこだ。だけど、舌っ足らずな甘い声に魅了されている。

 たまたまつけたラジオ番組で、メールをくれたリスナーに「受験がんばってね。君なら絶対合格できるから、自信を持って!」と読み上げた。

 この声を聞いて、うおおお! と思った。ふにゃふにゃの憧れめいた気持ちが、確実にファンへ昇格をした瞬間だった。辛い受験戦争を勝ち抜けたのも、彼女のおかげだ。

 声だけでなく、容姿も好みだった。顎のラインで切り揃えられたボブを、ゆるふわのパーマをかけており、マシュマロみたいに柔らかそうだ。笑うと目が垂れるのもかわいい。胸もどちらかというと巨乳の部類に入り、歌だって上手い。

 僕にとってひめかみ様(ファンの間で、つけられたニックネーム)は、まさに癒やし系の女神だ。そんなところが気に入っている。

 そんなひめかみ様を思い出し浮ついて、指定された席に移動をすると、茫然としてしまった。

 ひめかみ様じゃない! しかも癒やし系女神でもない!


 座っていたのは長い黒髪の少女だった。かんばせは美しいに違いない。けれども鋭いナイフを思わせるような切れ長の目で、熱心に文庫本を読んでいた。

 こちらから社交辞令で挨拶をしようか迷っていると、向こうが気付いて顔を上げた。

「あ、どーも。笹本ルチカと申します」

 うん? よろしくが抜けているのはわざとかとツッコミを入れたいところだが、ナイフの目で脅されている気分に陥り自己紹介をすることにした。

「僕は東海林。そらと書いて、くうと読みます。よろしくお願いします」

 末尾のお願いしますは、片言しか日本語を話せない外国人のようになってしまった。

 どうやら、僕は笹本さんに苦手意識があるらしい。幼い頃から苦手だと思う人は、片言しか話せなくなったり、噛みまくったりなどの言語障害が現れる。原因不明だが、勝手に拒否反応を起こしてしまうのだ。

 しかし、入学初日。ここできちんとさせないと、クラスからハブられたり、陰湿ないじめのターゲットになってしまう可能性がある。自らを奮い立たせて、笹本さんに声をかけた。

「笹本さん、何を読んでいるの?」

 親しみをこめて質問をしてみたら、「サルトルの『嘔吐』」とつれない答えをもらった。

 ここでひるんだら負けだ。めげずにおもしろかと聞いてみると、さあ、と肩をすくめる。

「今読み始めたばかりだから、わからないわ」

「読書の邪魔をして、ごめんなさい。どうぞ続けて下さい」

 これ以上話をするのが申し訳なく、僕の言葉を最後に会話が途切れてしまった。

 笹本さんを僕の脳内にある苦手リストに入れる。『嘔吐』なぞ難しい本よりも、僕はかわいい女の子のイラストが挿し込まれたライトノベル、もしくは少年マンガのほうが大好きだ。

 笹本さんとは、必要最低限の会話だけで充分だろう。とにかくこの一年間、触らぬ神に祟りなしの精神でいこうと僕は決めた。


 それから一週間後の朝。

 上履きに履き替えようと、靴箱の扉を開けた瞬間フリーズしてしまった。

「なんじゃ? こりゃあああ!」

 上履きの上に、コンビニのビニール袋がちょこんと乗っている。新学期そうそう冗談がキツイぜと思いながら、恐る恐る手を伸ばしてビニールを取り上げた。

 僕の手にずっしりとした重みが加わる。まさかまさか、かわいいペットちゃんの老廃物ではないだろうか。いや匂わないから、死骸とか……。

 恐ろしい発想に僕は身震いをした。

 いや待てよ。僕は名前のとおりクラスで空気のような存在になりつつある。そんな僕が他者から恨みを買う覚えはない。

 恨みという面では、笹本さんのほうが買いまくっていそうだ。毎日、難しそうな本ばかりを読んで女子と交わろうとせず、クラスでもかなり異質というか浮いた存在になっている。

 噂によると年上の先輩男子から告白を受けているそうだが、すべて断っているらしい。理由はわからない。でもその態度が女子から反感を買っており、高飛車な女として見なされているらしい。僕は男だから女子のそういった心理はさっぱりわからないが……。

 もしかしたら、僕の靴箱と笹本さんの靴箱を間違えたのではないだろうか。

 笹本さんの靴箱をそっと開けてみると、黒い革靴がちょこんと入っていた。もしかしたら、処分するのが面倒というか、気持ち悪くて、わざと僕の靴箱に入れたとか。

 先だっても授業中にシャーペンを落とし、笹本さんの足下へ転がしてしまった。小声で取ってくれるようにお願いをしたら、黙ったまま投げつけるようにして渡された。

 入学式当日、読書の邪魔をされた腹いせだろうか。

 いやいや、待てよ。もし、犯人が笹本さんではなかったらまずい。好みではない女の子に嫌われるのはいっこうに構わないが、一年間席替えをしないと担任が公言をしていた。何かあったとき、コミュニケーションが取れないほうがダメージが強い。さて、弱ったぞ。


「ういっす! ジクウ!」

「おう! エンドー、おはよう!」

 背中越しにクラスメイトである遠藤えんどう優作ゆうさくが挨拶をしてきた。エンドーも僕と同じように、どちらかというと目立たないタイプだが、仲間うちではかなり愛想のいい奴だ。たぶんクラスの女子はヤツの愛嬌の良さを知らず、地味系男子として認識しているぽっかった。

「お前、それなんだ?」

 スニーカーから上履きに履き替えながら尋ねてきた。エンドーの上履きは薄汚れていて、それだけが一気に二年生に進級をしたみたいになっている。

「ああ。朝来たら、靴箱に入っていた」

 へぇ~、と返しながら、僕が持っているビニール袋を素早く取り上げると、中身を改めた。そして、ピューと口笛を鳴らし、

「おにぎりが、みっつもはいっているぞ。しかも、プレミアムおにぎりばっか……」

 エンドーのいうプレミアムおにぎりとは、コンビニで開発をされた商品で、素材にこだわり、大きめサイズに作られている。具材によって値段は異なるが、だいたい一個税込み百九十八円ぐらいだ。

「よかったら、食べないか」

 いったいどこの誰がくれたキモさも手伝い、エンドーに申し出ると渋面を浮かべた。

「いらねー。今朝も飯三杯食ってきたし、お昼はかーちゃんが作ってくれた弁当があるし。遠慮するわ」

 エンドーは見た目がかなり細い。がりがりというわけではないが、その細い体でどんな胃袋をしてるんだと思うほど食う。朝晩は自宅でどんぶり飯三杯を平らげ、昼は広辞苑サイズの弁当箱を持参しぺろりと食べてしまう。

 僕は「相変わらず君の食欲はすごいね」と、苦笑いを浮かべながら褒めた。

 それにしても、困ってしまう。このおにぎりは一体どうしたらよいものか。

 お昼は学生食堂を愛用している。購買部は二、三年が幅をきかせているため、早々にあきらめた。おまけに争奪戦も激しく、午後に体育がある場合はすぐにお腹が空いてしまう。だから、腹減りくうを避けるために食堂派になった。


 朝のホームルームで担任が真っ青な顔をして入ってきたかと思うと、僕たち一年二組の生徒に然るべき事実を告げられた。

「皆さん、すみません! 本日、学生食堂は緊急メンテナンスのため使用できません。私の連絡ミスでした。本当に申し訳ございませんでした」

 頭を深々と下げて詫びを入れると、ざけるなよー、という男子の声と、いいよ、いいよの女子の声と真っ二つに割れる。ほとんどの女子は弁当を持ってきているか、登校途中にパン屋に寄ってきているので、問題ないのだろう。

 男子に至ってはエンドーみたいに弁当を持ってきているヤツもいるが、圧倒的に食堂愛用者が多い。食堂の閉鎖は死活問題だ。

 僕はようやく靴箱に入っていたおにぎり三個の意味を知った。そして、どこの誰だかわからないけれど感謝をしていると、「ねえ、東海林君」と声が聞こえてきた。

 笹本さんのほうに顔を向けると、お昼どうするのか、とうつむいた姿勢で尋ねられた。

「今朝、靴箱にコンビニのおにぎりが入っていたんだよ。それを食べることにするよ」

「そう。その人に感謝しなさい」

 しおらしく質問をしてきた笹本さんと、同一人物とは思えぬほど冷たい声。僕は唖然としてしまい、思考が瞬間冷凍されたように固まってしまう。

 あんなに騒がしかったクラスが遠くまで追いやられ、厳しく非難している男子の声も、一生懸命謝罪の弁を繰り返す担任の声が遠くのほうで鳴っているような状態に陥った。

「わあああ~。私、今変なことを言っちゃった。お願いだから忘れて!」

 慌てている笹本さんの声で僕の思考は解凍されたが、どう反応を示したらよいかわからずそのまま流れていった。


 その日以来、僕の靴箱にはさまざまな物が入ってくるようになった。

 中間テスト近くには、僕が苦手としている英語ノートが要点よくわかりやすくまとめられていた。そのおかげで、赤点をとらずにすんだ。

 また別の日。天気予報を見たお袋が傘を持っていくように言っていたのにも関わらず、無視をして持っていかなかった。その結果、午後からぽつぽつと降り出し、放課後にはどしゃ降りになっていた。

 エンドーは学校にビニール傘を置いており、僕を誘ってくれたが断った。傘に大きく『エンドーユースケ』と汚い字で書いていて、男二人で相合い傘はさすがに恥ずかしい。ヤツは「この降りじゃ役に立たないな」と、ぶつぶつ言いながら帰っていった。

 僕はしばらく雨が小降りになるまで、昇降口で待つことにした。

 どしゃ降りの雨音は鼓笛隊のドラムっぽいなとか、庇から垂れる雫の音がピアノっぽいとか、柄にもなく詩的な空想を繰り広げていた。

 十分ぐらい経っただろうか。どしゃ降りが大雨へと変わり、これなら何とか駅まで行けるだろうと思い帰ることにした。

 自分の靴箱からスニーカーを取り出そうとしたら、ずっしりとした重さが邪魔をする。

 おいおい、何だよ、と思いながら見ると、黒い折りたたみ傘が入っていた。しかも、うちの親父が使っているようなダサい二段傘。またかよ、と気味悪さを感じながらも、親父傘を拝借することにした。

 外に出ると、少し風があった。傘を広げるとビニール傘よりも骨組みがしっかりしているし、サイズも大きい。運動部のガタイのいい男子でも、濡れずにすみそうだ。

 僕はそのまま家まで差して帰ったものの、どこの誰が貸してくれたかわからないため自分の部屋の片隅に置いておくことにした。


 それから、さらに数週間が経過した。朝、学校へ着くと今度は靴箱に茶色いペーパーバッグが置いてあった。中身を改めると、ケーキのような、クッキーのような、もどき焼き菓子が入っている。どうしようか戸惑っていると、背後から取り上げられてしまった。

 短く、おっ! と感嘆した声で、エンドーだとわかった。

「Happy Birthday Kuuくんって、書いてあるぞ」

「あ、誕生日だった……」

 小さい頃は誕生日が楽しみだったけれど、今は僕の名前のように空気みたいなイベントになりつつある。両親は仕事が忙しそうだし、姉ちゃんも大学とバイトに明け暮れほとんど顔を合わせない。たぶん僕の誕生日はスルーされるに違いない。

 だから、自然と僕も誕生日の存在が薄くなっていった。

「でも、いいや。それ、お前にやるよ」

「悪いな。サンキュー」

 嬉しそうにしてエンドーは、いそいそと自分のカバンにもどき菓子をつめた。

 くれた人やエンドーには申し訳ないが、未確認菓子を食べる気になれなかった。でも、エンドーの視線は俺にくれとばかりに輝いていたし、まあいいかと思った。嫌々食うよりは喜んで食べてくれたほうが菓子だって報われるはずだ。

 ホームルームが始まる少し前、笹本さんが話しかけてきた。

「あんた、どうして他人にあげちゃうのよ!」

 話しかけてきたというのは間違いで、やくざのおっさんみたいに怒鳴り、僕のことをきつく睨みつける。たちまちナイフ目で切り刻まれ、ばらばら死体になってしまうほどの殺意を感じた。

 けれども、僕は笹本さんに恨まれるようなことは何一つしていない。

「一体、何のこと?」

 とぼけるんじゃねえ! とまた怒鳴られるかと思いきや、短く「へっ?」と声を上げて慌て出した。

「いやああああ~! 忘れて! お願い!」

 そう言って笹本さんは、顔を真っ赤にして口をつぐんでしまった。

 おかしな態度を取るなあと思っていたら、教室のドアががらっと開き担任が入ってきた。クラスメイトたちのお喋りが継続されたまま、学級委員の号令が虚しく響いた。


 さらに梅雨の晴れ間。この日は朝から二十五度となり、真夏日となっていた。

 僕は電車通学をしている。こんな日に限って人身事故が起こり、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ってしまった。冷房は人が多いせいでほとんど効いておらず、窓を開けても南から吹く風は熱風で蒸し暑い。車内はまさにサウナ状態だった。

 結局、電車はいつもより五十分遅れで到着し、僕はふらふらの足取りで学校へたどり着いた。

 校舎内は閑散としていて、音楽室からピアノの音色と女子の歌声が聞こえてくる。

 一限目は鬼教師で名高い理科の亀田かめだが授業を行っている。遅延証明は駅でもらってきたものの、説明をするのが非常に面倒くさい。それだけで徒労感が増していく。

 やれやれとため息をつき、自分の靴箱に手を伸ばし、すぐに引っ込めた。またしても、白いタオルにくるまれたスポーツドリンクの青いキャップが見える。

 三個のおにぎり、英語の要点ノート、折りたたみ傘、もどき菓子(エンドーの話によると、ふわふわした食感だったためカップケーキじゃないかと言っていた)をくれた人と同じだろうか。

 まあ、ちょうどいい。僕はその場でタオルを使って汗をふき、スポーツドリンクを飲み干した。ドリンクは少々ぬるくなっていたけれど、熱を持った体には有効だった。

 教室に向かいながら気の利く人だなと感心をする。ノートの文字やカップケーキを焼いてくれたから女の子だと想像がつく。ケーキの不細工さから、きっと初めて作ったのだろう。見てくれは悪いが、味は悪くなかったとエンドーが言っていた。

 もしかしたら、僕の好きなひめかみ様と同じタイプの女の子ではないだろうか。

 ちょっとぼうっとしたところはあるけれど、笑顔のかわいい子。見ているだけでも癒やされる、そんな子だ。

 とにかくたくさん助けてもらったから、たくさんお礼を言いたい。傘も返したい。そして、あわよくば、いや成り行きで付き合い始めて、どんどん親密になって、その彼女の膝に頭を乗せて耳かきをしてもらい、僕の耳にふうっーと息をかける。

 それからそれから、ちゅうして、その先は……。その先を考えたら、僕の頭はぐらぐらに沸騰をしたやかんのように、煙を立ててしまう。

 そんなろくでもない妄想をしているうちに、教室に着いてしまった。

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