朽ちる恋
また春が来る。
どうしようもなく焦がれる春が。
「もうすぐ春だね」
「そうね」
親戚の春掘木蓮の言葉に春掘椿がゆっくりと頷き、褐色の髪から右側に長く垂れた黒い三つ編みが揺れた。
椿と木蓮は春の気配を感じ取り、こっそり地表に出てきていた。
お気に入りの和服で木の根に座り、椿は正座で、木蓮は黒い平下駄を履いた足をプラプラとさせて、二人で並んで空を見上げた。
枯れた木の間から見える空は、どこまでも青く澄んでいる。
冷たくも心地の良い風が吹き、二人のおかっぱが揺れ、頬をくすぐった。
「また会えるね」
「うん、会えるね」
椿は再び頷く。
木蓮はモクレンの花に。
椿はツバキの花に。
夏の暑い日を我慢し、秋の乾燥に耐え、冬の雪の下でじっと待ち続けた。
「早く春にならないかなぁ」
木蓮は遠い目をしながら呟く。
きっとモクレンの花に想いを馳せているのだろう。
二人は毎年の花見をとても楽しみにしていた。
「もう全部、春なら良いのに」
そう言いながら、木蓮は隣の椿に寄りかかる。
「そうしたらモクレンの花とずっと会っていられるのに」
春になると二人は花が咲く前から花見の用意をしたり、花が咲いたら一日中花を眺めたりと、花中心の生活を送っていた。
その姿を見て、他のキノコ達が本当に花が好きだよねと呆れていた。
椿はそれを聞くたびに、それは少し違うと感じていた。
好きよりももっと好き。
好きという言葉では表せられないほど、その花の姿は椿の胸を締め付ける。
「ふぁああ」
木蓮が大きなあくびをして、椿に寄りかかっていた身体をずらし、椿の前で身体を横にした。椿の膝の上に木蓮は頭をのせる。
「眠いの?」
「うん、少し」
椿は木蓮の赤茶色の髪を撫でた。
「帰る時に起こしてあげる」
「うん……。ありあと……」
最後の方は言葉になっておらず、木蓮はすぐ眠りについた。
木蓮の寝顔を見ながら、椿は考える。
木蓮の花への気持ちはきっと愛という言葉が一番ふさわしいだろうと。
木蓮がモクレンの花を見つめる時、それはとても純粋なもので、ただただ愛しいという気持ちが溢れているのが分かった。
温かく慈しむ情愛の瞳。
「私は……」
椿のツバキの花への気持ちに名前を付けるなら、きっと愛という言葉はふさわしくない。
椿は自嘲するような哀しげな笑みを浮かべる。
椿はツバキの花にとって厄介者でしかなかった。
椿が近付くと、美しいツバキの花は褐色に姿を変え、しだいに朽ちていくのだ。
ツバキの花の美しさを保つには、椿がいてはいけない。しかし、椿は花を求める気持ちを、抑えることが出来なかった。
真っ赤に染まる美しい大きな花弁。
それが椿を惹き付ける。
すぐに褐色に変わってしまうのに、一瞬の美しさを求めて椿はツバキの花に近付く。
朽ちたツバキに後悔するのを分かっているのに。
ツバキの花は椿の胸を焦がす。
追い求めてしまう。
追って。
求めて。
そして、失う。
一方的に気持ちを押し付ける。
これを一言で言うならば……。
「恋……」
椿はツバキの花に恋焦がれていた。
愛ではない。
恋だ。
これは恋だった。
この気持ちが愛になることは、きっと一生ない。
「むにゃむにゃ。椿ちゃん……」
名前を呼ばれ、椿が木蓮を見ると、木蓮は目をつぶったままだった。
どうやら寝言のようだ。
どんな夢を見ているのか、木蓮は幸せそうな笑みを浮かべている。
椿は木蓮とは違う。
胸の奥がツキンと痛むのを感じた。
椿は空を見上げて目を閉じ、それに蓋をした。
じわりと込み上げてくるものを、ぐっと抑える。
しばらくそうしているとまた風が吹き、その中に土の匂いを感じた。湿っぽさの中に、微かだけど緑の匂いが混じっているような気がした。
春はもうそこまで来ている。
また今年も恋をするのだ。
朽ちる恋を。
椿は寂しげな笑みを浮かべた。
end