巣の外
いきなり登場人物増やしてるけど、大丈夫だろうか……読者の方々が『大丈夫だ、問題ない』と言ってくれると信じている。
亮ちゃんをあきらめない。
あの決心から1か月。
「亮平!その子誰?隠し子ぉ?」
「ばっか、どうやったらそう見えるんだよ?」
「えー?そうだな、黒髪黒目の黄色人種なところとか?」
「…それ言ったらお前の子とも考えられるだろ」
「私、いつ子ども産んだんだろうね?」
「いや、真顔で聞くなよ」
すでにめげそうなんですが。
わたしは思わずじとっとした目で仲の良さげな二人を見た。わたしについての話をしているのにすっかり二人で盛り上がっている。
一人はもちろん大好きな亮ちゃん。もう一人はさっき大学構内を歩いている最中に声をかけてきた女の子。大学生にしては珍しく染めていない黒髪をなびかせながら快活そうに笑っている。自然な笑いって誰がやってもすてきに見えるけれど、その女の子がする笑みはちょっとそこらへんの人に真似できないくらい魅力的だった。ありきたりな表現だけど、向日葵みたいな、花がぱっと咲いたような笑みなんだ。えらく人気のありそうな子だな、と思った。それに同級生だったらオトモダチになりたいな、とも。ただし、この状況では全くそうは思えなかったけど。
すっかり置いてけぼりにされたわたしは、亮ちゃんの服の裾を引っ張った。
「あ、深優。ごめん」
謝られても。
わたしの胸はちくちくした。嫉妬。子どもの体が小さすぎる分か、余計にこの痛みは全身に回るようだった。わたしは亮ちゃんの裾をぎゅっとにぎる。亮ちゃんは女の子を指さした。
「こいつ、菅原」
えらく簡素な説明だ。この点では女の子も同意だったのか、不満げに亮ちゃんをこづいた。……やっぱり仲が良い。
「ちょっと、それだけじゃ全然分からないでしょ?私、大学一年生の菅原舞香っていうの。亮平と同じ大学一年で、亮平とは高校からの付き合いなの。はじめまして!」
亮ちゃんと同い年で、可愛くて、亮ちゃんと長く親しい女の子――菅原舞香は、わたしに目線を合わせてあの笑顔を向けた。ぴっかぴかの向日葵スマイル。わたしはくらくらと圧倒されて、亮ちゃんの後ろに体を半分隠した。
「みゆです。はじめまして……」
「かわいらしい名前だね!亮平があなたのお父さん?」
「あほ!深優になに言ってんだ!……近所の子だっての!」
入る余地がないとはまさにこのことだ。あっさりと亮ちゃんの視線が菅原舞香に戻って大変つまらない。それに亮ちゃん「近所の子」って。いや、そうなんだけど。
苛立ち紛れに菅原舞香の方を見ながら、亮ちゃんのパーカーをまた引っ張った。
「こら、深優。服伸びるから。まぁ、そろそろ大学案内の続きに行こうか。……じゃあな、菅原」
「はいはい、またね」
菅原舞香はやっぱり素敵な笑顔だ。その余裕さで負けた気がする。
わたしの場合、年齢的にも立場的にも亮ちゃんに好きになってもらうには、なりふりかまっていられないからしょうがないとは分かっているんだけど。
「深優も人見知りするんだなぁ」と言う鈍い亮ちゃんに、素直に嫉妬したのだと言えればどんなにいいだろう。あるいは子どもであることを利用して「あのお姉ちゃん苦手」とか言えれば。でも、それらを言えないわたしはきっと大人としても子どもとしても失格なのだろう。素直になるにはわたしは月日を生きすぎていて、無邪気さを利用するのには培ってきたプライドやモラルが邪魔をする。
二度目の人生でも根本的な部分は面倒な女なのだ。
「深優、こっち。こっちが食堂。安いけど、ここのソフトクリームがおいしいんだよ。色々種類あるし。紫いも味とかパイナップル味とか食べたことないだろ?食べるか?」
暗い考えを振り払って、わたしは歓声を上げた。せっかく亮ちゃんとデートしているのだから楽しまないと!それに学食のソフトクリームは大好きなんだ!
亜優のときよりも食堂のアイスメニューは増えているようだ。わたしは「ラムネソーダ食べたい」と言った。亮ちゃんは「ラムネソーダ一つとティラミス一つ」と頼んでいる。初めて食べたその味は意外にラムネのしゅわしゅわした味が強くて、歯が溶けちゃいそうなんて思いながらも「亮ちゃん、ありがとう」とお礼を言った。ティラミス味のソフトクリームがどんなものか想像がつかないが、作るのに時間がかかるようだ。
「少々お待ちください」なんて言われている亮ちゃんには悪いが、食堂前のパラソルの下の椅子に座って、わたしはソフトクリームをもう一口なめた。
大学を歩いて30分くらいだけど子どもの足じゃくたくたで、座って物を食べるってことはかなりありがたいことだった。
********
「深優、しばらく会えなくなりそう」
そう言われた瞬間のわたしの顔は自分では見えないが、余程ひどいものだったのだろう。
「あ、いや、夜とか朝とか出来るだけ会いに来るけど、これまでみたいに長い時間会いに来るのが難しいっていうか」と亮ちゃんは早口で言って、
「俺、先生になりたいんだ」
と真剣な目をした。
亮ちゃんが将来のことについて語るのは亜優のときに聞いた、志望大学のとき以来でわたしはぽかんとしてしまった。
「小学校の先生。今受けている授業に加えて決められた科目を取らなきゃいけなくて……あー、つまり先生になるためにもっと大学で勉強しなきゃいけないんだ。だから、深優と長く会えないんだ」
茫然としているわたしに意味が分かっていないと思ったのか、亮ちゃんは非常に噛み砕いて話をしてくれた。でも、わたしがこうなっているのは意味が分かっていないからじゃない。
「なんで」
何で亮ちゃんは先生になりたいのかな。志望校は亜優のために決めたんだよね。だけど、それと将来つく職業を決めるのとは大きく違う。亜優が出来なかったことをしてくれようとしてるの?亜優のこと忘れてほしくないはないけど、そんなのずっと跡を追っているだけだよ?そんなふうに生きてほしい訳じゃないの。
「なんで、かぁ……」
亮ちゃんはちょっと遠い目をした。また亜優のこと考えているのかな、と思ったけど、すぐ視線を戻されて、瞬間的に出そうになった怒りの表情をあわててひっこめた。
「理由は色々あるけど、……深優がきっかけになってくれたんだ」
わたしが?
「深優と一緒に遊んでいるって同じ大学のやつに言ったら、近くの小学校の学童保育のボランティアに連れて行かされてさ……まあ、小学生の子と学校が終わった後に遊んだり勉強したりしたら、面白くてさ」
亮ちゃんは「本当は先生だけにはなるかって思ってたんだけど。それにこんな理由で志望しているって他の教職のやつにも言いづらいんだけど」ときまり悪げに独り言をなおも言っているが、わたしには十分だった。
亮ちゃん、ちゃんと一人で決めたんだ。自分の希望を。未来を。
亮ちゃんは『こんな理由』って思っているみたいだけど、立派なことだよ。
たとえば、病院にはみんなお世話になっているけど、その中で「お世話になったから私も看護師になりたい」と思える人は少ない。それって、そう思えるだけでその人は看護師になる素質が一つ他人よりあるとわたしは思うんだ。
子どもと遊ぶことだって勉強を教えることだって、大半の人が面白いって思うけど、そこから先生になりたいと考えて行動する人は少ない。教職だってわたしのいた頃は資格の一種として取るだけって人も結構いたし。
だから、亮ちゃん、自信をもって。
「りょーちゃん、すごい」
今のわたしじゃ、これくらいしか言ってはいけないけど、それでも亮ちゃんはほっとしたように笑ってくれた。
わたしは「さみしいけど」といかにも悲しげにうつむいた。気分は天才子役だ。だって、なかなかそんな顔も見られなくなるんだよね?そうなると小さいわたしには手の打ちようがなくなってしまう。この体じゃ自由に出歩けないから。亮ちゃんにはわたしを気にかけて会いに来てもらわないといけないんだ。
「しょっちゅう来るよ!絶対!大学も深優が思っているより遠い場所じゃないし!……そうだ、一緒に大学行ってみよう?近いし、俺が普段どんな場所で勉強しているか紹介するよ」
その後も「俺が先生になったら深優の勉強もみてあげられるだろうし!」や「指切りしよう。時間があいたら会いに行く。ゆーびきりせんまん嘘ついたらはりせーんぼんのーますっ!」などとノンストップで言ってくれる亮ちゃんを見ながら、思ったより効き目があったと若干申し訳ない気分になったのだが、それは別の話。使える技は使わないと!ずるいとは思うけど、これくらいは許してね?
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結局大学に来たのって良かった、と思う。
なかなか亮ちゃんとデートする機会ってないし、……菅原舞香っていう子には会ったけど。でも二人は友だち、だよね?ん?でも、『高校からの付き合い』って。いやいや、そうしたらわたしが死んだ後すぐ付き合っているとかいうことになるし。付き合うって友だちとして絡んでいるっていう意味もあるし、第一亮ちゃんに限って
「深優!」
はっとした。
手元にソーダの青い汁が付いていた。べたべたして気持ち悪い。
「あ」
ラムネソーダのアイスの山はコーンの上で今にもくずれそうなくらい原型をなくしつつあった。
このままでは確実に地べたに落ちて蟻のごちそうになってしまうだろう。
ぼーっとしていたわたしのせいだ。一気に食べようにも子どもの口じゃとてもじゃないけどそれを防ぐことは出来ないだろう。
「りょーちゃん、ごめん」
せっかく買ってもらったのに、食べられなくて。
自分でデートを台無しにしてどうするんだとうつむいていると、亮ちゃんが真剣な目でわたしに近づいてきた。
「深優、動くなよ」
そのまま少し伏し目がちな顔が近づいて――軽くコーンを持っている手に亮ちゃんの大きな手が添えられて、くずれかけていた青い山は亮ちゃんの口に消えていく。
「ん」
ちょっと鼻声がかった声と共に、彼がすくいきれなかったアイスがつうっとわたしの腕に痕を残す。甘ったるい香りをふりまきながらゆっくりつたっていくそれにつられるように、骨ばった手がわたしの手から腕へと下がり、痕を辿った。
亮ちゃんの言うとおり動かずに――というより『動くことが出来なかった』が正しいけれど――わたしもその痕を目で追った。
少し荒れた手先が肌の上を動くのを見る。こらえきれず、わたしは目を瞑った。
くすぐったい以上に心臓がどきどきして体が火照る。だって、エロいよ!亮ちゃん!目に毒なの!
「あ……」
と、金縛りのような状態からようやく声が出せた。
すると、急にかすめるように唇に何かが当たる。
「えぅ……?!」
りょりょりょ亮ちゃん?!
反射的にぱっと目を開けるとまるでいたずらっ子のような顔をした亮ちゃんと、彼よりわたしに近い位置にある茶白のボーダーの…ソフト、クリーム。
少してっぺんのくぼんだソフトクリームを見ながらわたしは悟っていた。
ハンカチを持っていないずぼらな亮ちゃんはわたしの腕についたアイスを指でぬぐって、新しく手元にあったティラミス味のアイスをわたしに食べさせようとしたのだと。
「深優、これおいしいだろ?深優のソーダは俺が食べちゃったからこれ食べろよ。……あ、無理しなくていいからな。お腹いっぱいになったら俺が食べるよ」
落ち着け、深優。
亮ちゃんってそういう無神経なところがあるもの。第一今は『近所の子』としか思っていないんだし、これくらいのこと……あ、余計に腹が立ってきた。
わたしは差し出されたアイスにちょっと頭を下げながらも思いっきりかぶりついた。甘い中にもエスプレッソの苦みがわたしを冷静な大人にさせる。……やっていることはやけ食いなんだけど。
「深優、急がなくてもアイスはそんなにすぐ溶けないって。溶けそうになったらまた俺が食べてやるし大丈夫だって」
見当違いのこと言っていると思ってまたむかっとしたが、亮ちゃんの言うことはあながち的外れではなかったようだ。頭の奥が冷たいものをいきなり食べたせいでキンとする。
「ほら、あとは食べるから」
あっさりアイスは没収。苦笑いされながらあのアイスが亮ちゃんに食べられていくのをわたしは恨みがましい目で見ていた。
「あれ、真崎くん。またかわいい女の子とイチャイチャしちゃって」
あ。
このとき初めてわたしは亮ちゃんにアイスをとられて良かったと思った。
「上村先輩……またそんなこと言って。深優が誤解したらどうするんですか!」
上村優奈。
わたし、亜優の親友。幼馴染。本当だったら一緒に大学4年生になって、一緒に就活で苦しんだり教育実習に行っていただろう友だち。
全然変わってないよ。亮ちゃんの家庭教師をしていたとき、図書館で会って(偶然ではなく優奈は待ち伏せしていたのだ。どんな子を教えているか気になるとか言って。)「亜優とイチャイチャしちゃって」って言ったんだよね。ん?でも「また」って何?
亮ちゃんを無視し、優奈はわたしに目線を合わせた。
「私は優奈って言うの。よろしく」
知ってる。
笑いをこらえながら「深優です。よろしく」と本日2度目の自己紹介をわたしは敢行した。
「……『みゆ』?ああ、亜優の従妹なんだ。どおりで見たことあるような気がすると思った。小さいころの亜優に似てるね」
「先輩!」
急に隣から鋭い声が上がった。亮ちゃんは厳しい目で優奈を見ている。優奈はそれを平然と受け流している。亮ちゃんは何か言いたそうな素振りだったが、わたしの方を見て口をつぐみ、「……そうですね」と言った。
何なの?
問いかけるようなわたしを見て優奈は勘違いをしたらしい。
「ああ、亜優は、深優ちゃんのお父さんの弟の子どもね」
そう言いつつ、「真崎君は紹介してなかったみたいだけど」と顔を覆った。だけど、子どもの位置って意外に見えるんだよ。
優奈は責めるような目で亮ちゃんを見ていた。
何となくわたしには分かった。亮ちゃんは不自然なまでに亜優の話をしない。多分優奈はそれが嫌なんだ。亜優のこと、なかったことにしようとしてるとか思っているのかもしれない。でも、わたしとしては好都合なの。
目を逸らせば逸らそうとしているものほど、意識しちゃって忘れられないものでしょう?
せめて深優自身が大きくなって、子どもから、『女の』子として見てもらえるようになるまで、忘れないでほしい。他の女の人を見ないでほしいと思っているの。
わたしは微妙に首をわかったというように縦に動かしながら、「ゆうな、お姉ちゃん」と呼びかけた。
親友をこんな呼び方するのは恥ずかしいけどね。
「だいがくって楽しい?」
ちょっと話を逸らさせてもらうよ。
主人公が決意を固めて行動の仕方がちょっと変わりました。
押せ押せにならないと絶対恋愛成就は無理と思った結果です。でも、転生前の意識もあるから恥ずかしいとかずるいとか思ってしまって、完全には押しきれないという。
作者が一番じれてます。