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白鳥

男の子らしくシンプルな部屋だった。ベッドに学習机。

残念ながら椅子が二つあるなんてことはないので、少々はしたないと思いつつも、わたしは部屋に一つしかない椅子を亮ちゃんに譲ってベッドに座ることにした。

クローゼットは今は閉じられている。だが、以前服やら漫画やらが雪崩を起こした瞬間を見てしまったわたしとしては、ぐちゃぐちゃに物が詰め込まれていると想像することは容易かった。

今日着ているお気に入りのフレアースカートの先をいじりながら亮ちゃんが問題を解くのを待つ。問題を解いている間見ていると亮ちゃんは怒ったような声で言うのだ。『違う方見ててよ』と。本当照れ屋だこと。

そんなことを考えていると英語の穴埋めプリントが差し出された。

「亜優姉、ん」

彼の字は家庭教師をし始めたころに比べて綺麗になっているが、相変わらずアルファベットに限っては相変わらず一単語一単語のすきまが狭くて読みにくい。彼が英語が嫌いであるとは直接聞いたことはないが今までないがしろにしていたことは、彼の字から一目瞭然だった。わたしは彼の文字を指でたどりながら目を通し、彼の前にプリントを置いた。

「亮ちゃん、すごいね」

「だろ?もうこの範囲は完璧だっての。じゃあ、ここで休憩しよう」

言い募る彼にわたしはほくそ笑んだ。

「だけど、残念!この十問の中で二問間違いがございます、一体どこでしょう?名前の通りお優しい山城亜優さんは、間違え探しに一分時間をあげます」

「うぇ?!まじかよ…くそ!」

本当に残念なことだ。三単現のsと複数のsが抜けている。視線が間違っているところの上を行ったり来たりしている。

「ここはmake A 形容詞でAを~させるで合ってて主語がHeだから、あ、そゆことか。で、次が」

また考えていることが口に出ている。亮ちゃんって真剣に考えているときにたまに思考が独り言として出るんだよね。学校でちゃんとやっているのかな。でも、まぁとわたしは思った。

亮ちゃん、真面目になったなって。

最初会ったときより断然かっこ良くなったって。

勉強という嫌いなことにでも真剣に打ち込めるようになることは人を素敵にさせる。

別にわたしがそうさせたわけではない。亮ちゃんが元々そういう資質をもっていただけ。

でも、真剣になれる一因も、一番間近でそれを見られる特権もわたしだけがもっていると思うと本当に嬉しかった。

亮ちゃんが「こことここだろ!」と言って目を輝かせながらこちらを見る。普段見せるものではない、知的な輝き。そして、そこに混ざる自分への自信と喜び。

これもきっと学校では見せない姿なのだろう。そう思ってわたしは微笑んだ。

「おお、天才!じゃあ、休憩入ってよし!」

「言い過ぎだっての…俺、お茶取って来るわ。亜優姉のも持って来てやる」

椅子から立ち上がって背を向けた亮ちゃんの表情は見えないけど、耳の先が赤かった。

ああ、やっぱり魅力的になった。

どうしても今の表情が見たいと思わせるんだもの。

「わたしも取りに行くよー」と去っていく彼の肩に手を伸ばした。いや、伸ばそうとした。

視界に映る自分の手が異様なものだったからだ。

手が小さくなっている。

ぷにぷにして幼児を思い起こさせるものに。

そこでようやくわたしはこれが夢だということに気付いた。それもとびっきりの悪夢。

嗚呼、起きなきゃ。

じゃないと、亮ちゃんが。

だが、願いもむなしく亜優の声に振り返った亮ちゃんはわたしを見て愕然とした顔をした。

「亜優姉は…?」

「わ、わたし、わたしがあゆだよ」

だが、発した声も笑ってしまうくらい幼いものだった。

亮ちゃんはこれまで見たことないくらい怖い顔をした。

「ちげぇよ!全然ッ!!亜優姉をどこにやったんだよ?!」と言うその顔は激情のために赤くなる。

「あゆじゃなくて、ご、ごめんなさい…ごめんなさい…」

思わず謝るわたしを見ても亮ちゃんの怒りは収まらない。

違う、そんな表情が見たかったんじゃないよ。

「亜優姉じゃないなら……いっそ、どこか遠い所へ行ってくれたら」

嗚呼、嗚呼、そんなことを言われたら。


「深優!」


亮ちゃんがわたしを引き寄せる。

どういうこと?いつのまにわたしはこんなに亮ちゃんと近づいたのかな?

そう思ったのは一瞬で、呼ばれた名にわたしは全身の力を抜いた。幼児らしく温かかった体温は今は失われ、体が無性に寒かった。

「りょーちゃん…」

「深優、めちゃくちゃうなされてたぞ。……大丈夫だから。怖くてもただの夢だから」

抱きしめられてよしよしと背中をなでらる。

思わず涙がこぼれる。あれよあれよという間に我慢できずに嗚咽まで出ていた。

こんなのわたしじゃない。亮ちゃんの前ではわたしは年上の余裕ある姉のような存在だったはずだ。それが今では夢見が悪くて泣きわめいてしがみついている。子どもすぎる。

どんどん亮ちゃんが好きな亜優と離れていくようだ。それでも涙は止められなくて、わたしは全身全霊でぐちゃぐちゃに泣いた。

だけど、どんなに水を流しても、夢の中の亮ちゃんの声が頭にこびりついて離れないんだ。

「…………どんな夢だったんだ?」

「…………『いっそ、どこかとおくへいってくれたら』って、いわれた…しらないひとに……」

あなたに、なんて言えるはずもなく、わたしはほとんどうめき声のような声で夢で聞いた最後の言葉を言った。その途端、ぎゅうっと音がするくらい抱きしめられた。

「……いいか、深優。絶対、どこか遠くに行ったらいい人なんていないんだ。深優にそう言うやつがいるんだったら、俺が……こらしめてやるから。それに誰が何と言おうと俺は深優にここにいてほしいよ」

息苦しいのは強く抱きしめられているからだろうか、それとも言われた言葉が嬉しすぎるからかな。

わたしは空気を求めるように首をそらして上を見上げた。

そこには、亮ちゃんの赤い顔があった。怒ったように眉をしかめている。

嗚呼、怒ってくれるんだね。わたしに遠くに行ってしまえって言った人に。


くつくつと笑いが出てきそうだった。

夢の中の亮ちゃんに現実の亮ちゃんが腹立ててるなんて、変なの。

現金なものでいつの間にか涙を止めて楽しい気分になっているわたしに気づかず、亮ちゃんはなおも苛立たしげにぶつぶつと口を動かしている。

「ああ、それにしても『いっそ、どこか遠くに行ってくれたら』って『みにくいアヒルの子』のセリフか…寝る前に見たから夢に見たのかな。アンデルセン童話に沿った絵本なんか買ってくるべきじゃなかったな、くそ…この絵本処分しとこう」

亮ちゃん、やっぱり好きだよ。

過保護なところも。わたしに甘いところも。

死んで生まれ変わってもまだ好きだなんて、一緒にいられるなんて、亜優だったときは到底思えなかった。3歳ぽっちの年の違いぐらいで人の心って変わっちゃうんだろうなって思ってたくらいだもの。

だけど、実際はそうじゃない。

わたしは、ずっと好きだ。

わたしが、証明した。


「りょーちゃん、深優、そのえほんのさいご、すき。すてちゃ、だめよ」


さっきの夢は悲しかった。『亜優』は今でも亮ちゃんの聖域で一番美しいところで、わたしみたいなみにくいマガイモノがその亜優と一緒のところに行けるわけがないを思えて。

でも、最後には絶対アヒルの子は美しい白鳥になるんだよね?亜優にはなれないけど、従妹だし、将来は似るはずだから。白鳥にだってなれるはずだから。


わたしは、亮ちゃんをあきらめない。


考えていたことを口に出していたことに気づいていなかったのだろう。わたしの言葉にびくっと体を震わせてわたしの顔を見た。体が離れて、息が楽になると同時に変わっていないなぁと思ってふっと笑ってしまった。

「……捨てなくてもいいのか?」

「いいの」

相変わらず心配性な亮ちゃんにやっぱり笑いをもらしながら、わたしは固く決心をしたのだった。


今回はちょっと短めです。というか、話が進んでいなさすぎ…次話は一気に進めたいな!

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