誕生
転生。
それは、死後に別の存在として生まれ変わること。肉体、境遇の同一性が保たれないことから復活とは区別される。漫画や小説などではよくある話だ。
……何も言わなくてもこの冒頭からして分かるだろう。
わたし、山城亜優は山城深優に生まれ変わったのだ。漫画や小説と少々違うところと言えば、異世界ではなく、ごく近所に住む叔父家族の家に死んだ直後に転生したということか。
その日、自分の従妹である深優の誕生に立ち会おうと、前のわたしである亜優は大学の授業をサボって病院に向かっていた。携帯電話が鳴ったのでろくに見もしないで通話ボタンを押す。
『……俺も深優ちゃんの生まれるところを見に行くことになったんだ。けど、昨日言ったこと気にしなくていいから…今日のところは』
唐突な用件だった。なによりその声の持ち主にわたしは動揺した。用件を吟味することなく頷いて、慌てて電話だということを思い出し、『うん』と返した。直後電話は切れる。
亮ちゃんだ。
うかつに電話をとってしまった自分をなじるべきか否か分からなかった。あんな電話を受け取って気まずいが、電話を受け取らなかったら実際会ったときに気が動転して不要なことを言いかねない。結局どちらが正しいとも言えず、こんな取り返しのつかないことで悩む自分が嫌で病院に向かう足を速めた。
亮ちゃんは隣の家に住んでいる男の子だ。わたしの親と亮ちゃんの親、叔父は仲が良いので、小さいころはそれぞれの家でよく遊んでいた。特に叔父さん夫妻はなかなか子どもが出来なかったから実の親同然にわたしと亮ちゃんはかわいがられた。とはいえ、わたしの方が亮ちゃんより3歳年上なので、小学生を過ぎてから中学も高校も重なることがなかった。加えて、年の差のせいか、性別が違うせいか、亮ちゃんとは中学、高校と疎遠になっていたと思う。そんな仲が変わったのはわたしが大学1年生、亮ちゃんが高校1年の頃だ。亮ちゃんの成績が悪いと言うことで亮ちゃんの家庭教師をすることになった。わたしは教師になりたかったのだ。とりあえず小中高どの教師にもなれるように勉強をしており、亮ちゃんのご両親もそのことを知っていた。でも、初めて教えに行った日は驚いたなぁ。
「久しぶりです…山城さん」だもん。亮ちゃんはすっごい拗ねた顔していた。本当は勉強したくないしわたしに教わるのも不本意っていうのが丸わかり。せめてもの抵抗でこういう距離を置くような言い方をしているんだと思った。高校生になった亮ちゃんは不貞腐れていてもなかなかかっこ良くてこういう子がちょっと悪ぶっているところだって同世代にはモテる要素になるんだろうなぁとも思った。でも、わたしからすると子どもだと思わざるを得ない。
今は分からないかもしれないけど勉強って大切なのだよ。
たとえば、大学に行くとすればもちろん勉強しなきゃ入れない。高卒でももちろんいいけど、なれる職種は少ないし給料も大卒とは違う。行きたい会社に行けてもつける部署は限られる。要するに勉強しなきゃ自分の希望もまかり通らないのが現実なのだ。まぁ、そういうのに気付くのって大抵後からだし、この年代でそれを言われても大人のお説教とか詭弁だと思われてスルーしちゃうんだろうけどね。
わたしはそれでもしっかりと勉強をみた。亮ちゃんは中学生の範囲を覚えていなかったし高校の進度についていけてなかったし出来の良い生徒とは言えない。それでも徐々に出来るようになってくると、わたしがいなくてもきっちり宿題をするようになったし態度も軟化して昔のように『亜優姉』と呼んでくれるようになった。わたしと同じ大学を志望したらしく自習もするようになったときには嬉しくて、家庭教師の日以外にも図書館で一緒に勉強することもあったっけ。将来の夢は決まっていないと言っていたからとりあえず同じ大学を志望したのだろうと思っていたけど……昨日違うって分かった。
「俺、あんたのこと好きなんだ」
いつものように勉強を教えていたが、ふと手を止めて亮ちゃんは言った。『ここ分からないんだけど』と言うくらい自然だった。
自然でいられなかったのはわたしの方だ。
「………亮ちゃん、お姉ちゃんをからかうんじゃありません」
真っ向から受け止められなかった。だって、小さいころから一緒にいて弟のような存在だったから。関係が変わるのが怖くてかすかに笑いながら言ったわたしはなんて残酷でずるかったのだろうか。
「俺確かに高校生だしあんたはすぐ子ども扱いするよな。でも、すぐ追いつくから。3歳なんて差でも何でもないよ。3年後には同じ大学の生徒になるんだし。
年の差は言い訳にならないんだよ。――付き合ってくれる?亜優」
あのときの気持ちを何と言ったらいいのか。
目の前で亮ちゃんだったものが急に一人の男に変身した。今までだってそうだったんだろうけど、そう思っていたのはわたしだけだったのか。
悲しいとも寂しいとも戸惑いとも怖いともいえる気持ちが胸の中を駆け巡った。こんなに一度に人間って色んな気持ちをもてるもんなんだなぁと思えるくらい。そこから「分かんない」と言い捨てて帰ったんだっけ。
自分の気持ちも、亮ちゃんの変化も。
信号が青に変わるのを待ちながらわたしはやっぱり分からなかった。
でも、亮ちゃん気にしなくていいって言ってくれたし…いや、今日のところとか言っていたような…?あれ、ってことは明日は家庭教師の日だけど、明日には返事しなきゃいけないの?
青く信号が光ったのを見てわたしは反射的に横断歩道に歩み出した。
わたしは亮ちゃんが嫌いじゃない。でも、亮ちゃんが言った年の差が気になるのは事実だ。亮ちゃんは高校生だから単に年上の女ってのに憧れがあるだけな気もするし、これから先にわたしが社会人になって会う時間も減って自然消滅とかありうる。すごくありうる。そんなの嫌だ。
「はぁ……」
わたしは亮ちゃんが好きみたいだ。ただ、とんでもない意気地なしだから応えるのに躊躇しているだけで。
付き合って、それで?わたしは恋人じゃなくてもいいんだ。大好きだから、恋人のような切れそうな脆い関係になりたくない。ずっと亮ちゃんと一緒にいれればいいんだよ。そんなこと言う年上女なんて重すぎると思われそうだけど。
「めんどうな女だよね……」
そうつぶやくわたしは全くトラックが来ていることに気付かなかった。あちらも信号が青に変わったのに気付いていなかった。
それだけのことだった。信号無視。交通事故。
亜優は結局病院に搬送されたものの亡くなってしまった。
そのままわたしは深優として同じ病院で産声を上げたのだ。そんなわけで、山城亜優の命日と山城深優の生誕日は同一なのである。
痛くて苦しくて息がうまく出来なくて母の胎内から出てきたとき、わたしは泣いた。
自分を抱く腕が父母のものではなく、叔父夫婦のものであることに驚いて、わたしは泣いた。
自分の死を聞かされたときも、転生したことに気付いたときも、「あなたは亜優お姉ちゃんの分も生きてね」と叔父夫婦に言われたときも、「亜優の生まれ変わりかもしれないな…」と寂しげに言った父母を見たときも、――新生児室の外で「亜優姉…」と泣いていた亮ちゃんが、私を抱き上げて泣きはらした目で「俺は亮って言うんだ。よろしくね、深優ちゃん」と笑ったときも……わたしは泣いた。
彼に好きだと言えばよかったと思って。
そして、わたしの命日と誕生日から3年。
わたしは山城深優として3歳を、亮ちゃんは大学1年生を迎えた。昔のことを思い出したのは亮ちゃんが無事わたしの通っていた大学に通ったからだろうか。それとも当時の亜優と同じ年になったからだろうか。
亮ちゃんはわたしが生まれてからずっと実のお兄ちゃんのように一緒にいた。わたしの願いは叶ったみたいだ。
だけど、叔父夫婦が共働きなのでわたしのご飯を食べさせるのもおしめを変えるのも亮ちゃんだった。……恥ずかしさのあまり当初もう一回死にたくなったのはここだけの話だ。
3歳になって良かったことはおむつから卒業する年齢になったこと。一人でトイレに行っても衣服の着脱をしても食事をしても不自然ではなくなったこと。亮ちゃんとふつうにお話してもおかしくない年齢になったこと。――ふつうであって対等にお話できるわけではないけど。
「巣の中でいちばん大きなタマゴだけが、なかなか生まれてきません。しばらくたって、やっとタマゴをわって出てきたのは、たいそう体の大きなみにくいひなでした」
「えらいな、深優。じゃあ、次のページだな」
ほら、こんなふうに。
いくら絵本をすらすら読めようが対等にはなれない。
横にいる亮ちゃんを見た。今は亮ちゃんと二人寝っころがって絵本を読んでいる。腕枕されて亮ちゃんの胸板に頬を当てながら横目で絵本をまた見る。
亜優ではこんなこと出来なかった。でも、年上であった亜優と違い、深優はまだ3歳だから自然な構図だ。ふつう。こんなのふつう。
「みにくいアヒルの子はどこへ行ってもいじめられ、つつかれて、かげ口をたたかれます」
それにしても亮ちゃんは大学生で夜は講義を入れていないとはいえ、こんな幼児の相手をしていていいのだろうか。大学生の夜と言えば友だちと遊んだり、彼女と過ごしたって………
ふとわたしは思った。
彼女がいないかもしれない。今もまだ好きなんだろうか…亜優のこと。でも、もう亜優はいなくなって3年。3年は忘れられなくても、これから新しく彼は恋をするだろう。深優は亜優だけど、深優では恋愛対象になりはしない。
わずかな優越感はすぐに萎んで、どす黒い感情が渦巻く。亮ちゃんに好きな人なんて出来なきゃいいのに。
こんなこと知られたら今は深優を甘やかしている亮ちゃんも言うだろう、本当に嫌な子だと。醜いと。もう離れてくれと。
「はじめのうちはみにくいアヒルの子をかばっていたお母さんも、しまいには、『本当にみにくい子。いっそ、どこか遠い所へ行ってくれたらねえ』と、ためいきをつくように、なりました……」
苦しくなってわたしは亮ちゃんの服のすそを握った。
「どうした、深優?分からない言葉でもあるのか?」
「りょーちゃん………なんで、なんで、お母さんはアヒルの子が本当は白鳥だってきづけなかったのかな……なんで、みにくいアヒルの子を愛せなかったのかな………」
「…深優、この話嫌い?」
「りょうちゃん、なんで?」
これは、ふつうじゃない。
3歳児のする質問じゃない。分かっていながらも聞かずにはいられなかった。
何で亮ちゃんはわたしが本当は亜優だって気付けないの?何で同じわたしなのに愛せないの?
アヒルの子と自分が重なってどうしようもなかった。
「うーん、お母さんはアヒルの子は白鳥だって思いもしなかったんだろうね。あとさ、お母さんはみにくいアヒルの子を変わらず愛していたと思うよ。ただ疲れちゃったんだ。周りの反対や言うことを無視して変わらず愛し続けることもずっと愛しているって言うことも難しいことなんだ……って何言ってんのかな、俺」
一瞬、対等に話せた気がするが、その代償は大きかった。
弱弱しく笑う亮ちゃんをわたしはぎゅっと抱きしめた。
知っている。
亜優の両親にずっと亜優のこと好きだったって言ったことも。そう言った後両親から新しい恋をしなさいと諭されたことも。
覚えている。
わたしがもっと小さくて言葉も通じないような年のときにはよく亜優の話をして泣いていたことも。「亜優姉の生まれ変わりなのかなぁ」と、「亜優姉も一緒に、三人でいれたらなぁ」と言ったことも。
わたしは亜優には戻れない。
でも、5分だけでも亜優に戻れるなら、好きだって言いたい。ずっと姿を変えても傍にいるから探してと言いたい。そして、こんな小さな手と体じゃ到底抱えきれない彼をだきしめるのだ。
「りょうちゃん、深優、眠い」
ただ、今のわたしに出来るのはさっきの質問を大したことじゃなかったように振る舞うだけだ。
「………ああ、俺も眠くなってきたな。深優、あったかいから。午後の授業さぼっちゃおうかな……」
亮ちゃんが起きたときにはさっきの質問を忘れていますように。
わたしは亮ちゃんの抱き枕になってただそれだけを願った。