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第一話

 ――ブランディア大陸、北方辺境都市ラドフォール。


 石畳を踏みしめる車輪の音と、露店の呼び声が入り混じる雑踏を抜けると、古びた時計塔の影に、冒険者ギルド《ファルク・ネスト》の堂々たる木造建築が姿を現す。


 扉を押し開けた瞬間、剣の手入れをする金属音、酒の匂い、誰かが笑い、誰かがテーブルを叩きつけて怒鳴る声が交差した。


 冒険者の剣士、魔法戦士ソード・マギアアレックスは肩にかけた革製の荷袋を下ろし、受付へ向かう。


 その横を、ローブをまとった娘が静かに歩く。

 ――魔導士にして相棒のソフィ。

 年若い外見とは裏腹に、名だたる遺跡で魔術障壁を切り裂き、古代魔法を実地で扱う規格外。


 受付嬢のミーナが、二人を見るなり満面の笑みを浮かべた。


「アレックス、ソフィ! 丁度よかった、依頼が来てるの!」


「今日の稼ぎ次第で夕飯の豪華さが決まるからな。頼むぞ、ミーナ」


 アレックスが肩を回し冗談めかすと、ソフィは淡々とメモを受け取りながら呟く。


「あなたの豪華の基準は肉の量だけでしょ」


「肉こそ命の源だ」


「魔力の源にはなりません」


 そんな軽口を交わしつつ、依頼の紙に目が落ちる。


【依頼名】


黒霧の森 原因不明の失踪事件調査


【依頼内容】


北方の黒霧の森にて、薪を取りに入った村人が次々と行方不明。

現地調査と、可能ならば事態解決。


【注意】


森に濃い霧発生。魔物の気配不明。

夜間は特に近づかぬよう。


「黒霧の森……嫌な名ね」


 ソフィが眉をひそめる。大陸北方に昔からあるが、魔力反応が薄くただの危険な森という扱いの場所だった。


「人の失踪か。盗賊が潜伏してる線もある」


 アレックスは紙を折りたたむと、ソフィを見る。


「受けるか?」


「行きましょう。放っておけないでしょ」


 短い言葉の裏に、かつて失われたものの記憶が滲む。

 ソフィは《光》の勢力とも《闇》の勢力とも縁がある――だがそれをアレックス以外に語ることはない。


 ミーナが心配そうに告げる。


「気をつけてね。あの森……最近、ただならぬ噂があるの。霧の中で人じゃないものが歩いてるって」


 アレックスは親指で鼻をこすり、にやりと笑った。


「だったら尚更俺たちの仕事だ」


 ソフィは杖を握り、静かに頷く。


「準備しましょう。霧と魔力干渉に対応する魔具が必要ね」


 ギルドの喧騒から一歩離れた瞬間、アレックスの表情が引き締まる。


 ――その依頼が、光と闇の勢力の境界線へ踏み込む第一歩になることを、二人はまだ知らない。



 昼下がりの陽光に照らされ、露店がひしめく商人通り。

 アレックスとソフィは、冒険に必要な補給のため、それぞれ慣れた足取りで店を回っていた。


「霧対策なら、ここの魔具屋が一番信頼できるわ」


 ソフィが指差したのは、薄紫色の布を垂らした魔術道具専門店アルケイン・フォルド。店主の老婆は魔術師というより、魔女と呼んだ方が雰囲気が合う人物だった。


「黒霧の森ねぇ……若いのに命知らずだね」

 老婆は金属製の円盤――霧除けの護符を差し出す。表面には古代語の刻印が施されていた。


「これは霧に含まれる魔力の揺らぎを相殺する護符よ。ただし――」


「ただし?」アレックスが財布を構えつつ眉をあげる。


 老婆は細い指を一本立てた。


「霧そのものが魔力の産物である場合は、効果が落ちる。つまり、自然現象なら防げるが、人為や魔性なら保証はできないよ」


 ソフィは真剣に頷く。


「十分。それでいいわ。自然なら対処できるし、そうでないなら……」


「戦う準備が必要か」とアレックスが肩をすくめる。


 二人は護符、保存食、霧で視界が悪くなることを考え蛍光石を購入し、次に鍛冶屋へ寄り、剣の刃こぼれを直す。


「黒霧の森か……」

 鍛冶屋の親父も険しい顔だ。


「近頃、森から出てきた動物の死骸に妙な黒い斑点があってな。毒か呪いか……俺には判断がつかねぇ」


 ソフィが目を細める。


「黒い斑点……魔術的な腐食?」


「魔法による干渉なら、肉の腐敗とは違う跡が出るはずだ。確認してみる必要があるな」


 準備を終え、二人は北門へと向かった。



 街を離れると、広がるのは黄金色の草原と針葉樹林。

 鳥の声と風の揺れる音だけが響き、どこまでも穏やかな景色が続く。


 だが、北へ進むほど徐々に空気が変わっていった。

 涼しいはずの風が、湿り気を帯び、皮膚に絡みつくような感覚を残す。


「感じる? 空気中に僅かな魔力の乱れ」


 ソフィが言った。

 アレックスも敏感ではないが、妙なざわめきを肌で感じていた。


「普通の森じゃないかもな」


「ええ、荒れてる魔力の波。光にも闇にも属していない。混ざってる……?」


 ソフィの視線が遠くの森の影を捉える。


 黒霧の森が見えてきた。


 太陽が輝いているのにもかかわらず、木々の根元を覆う霧は陽光を拒むように濃く、森そのものが巨大な獣の口のように口を開けていた。


 野鳥の声は途絶え、風さえも森の境界で止まっているかのようだった。


「この感覚……何かが封じられていた跡かしら」


 ソフィのその言葉に、アレックスが振り向く。


「封じられていて――それが解放されたってことか?」


「もしくは……封じたものが弱まっている」


 二人は、護符を首元に下げる。


 アレックスは剣の柄に手を添え、ソフィは杖の魔力石に指先を添え、静かに息を整える。


「行くか」


「ええ」


 一歩踏み入れた瞬間、霧が生き物のように、足元を這い、絡みつく。


 森の奥から――確かに聞こえた。


 人の声のようで、獣のうなりのようで、言葉ではない呟き。


 耳の奥で響く、低い囁き。


 ――■■■■まれよ


 ソフィが足を止める。


「今の、聞こえた?」


「ああ。聞き間違いじゃない」


 霧の向こうから、影が音もなく揺れ動いた。



 奥から、湿った地面を踏みしめる音が響いてくる。


 ――ズ……ッ、ズ……ッ。


 それは足音というより、重い肉を引きずる音に近い。

 アレックスは即座に魔剣を抜き、ソフィは一歩後ろに下がって詠唱準備の姿勢を取る。


 影が形を帯び始め、朽ちた木の間から姿を現した。


 四足の獣――狼に似ている。しかし、その輪郭は黒い霧に滲み、毛皮は灰色と夜闇の中間のように濃淡が曖昧だ。

 何より、その目は 赤ではなく、光を吸い込むような黒 だった。


「霧をまとってる……身体が実体と非実体を行き来してる?」


 ソフィの声が眉をひそめる。


 狼が低く唸る。その音が空気ではなく、頭蓋の奥に直接響いた。


 ――■■ル……■■■■れ。


「言葉か?」アレックスが眉を寄せる。


「こんな魔力の流れの獣が、言葉を持つわけ――」


 狼の姿が、揺らいだ。


 刹那、足元の霧が跳ね上がり、獣が飛び込んでくる。


「来る!」


 アレックスは咄嗟に横へ飛んだ。地面が抉れ、腐葉土と苔が飛び散る。


 普通の狼の体重ではない。

 霧の只中からしかし物理の衝撃が来た。


「実体化と霧化を切り替えてる……!」


 ソフィが素早く詠唱する。


「《閃光の矢:ライト・アロー》!」


 杖の先から光の矢が放たれ、霧狼の横を掠める。

 だが獣は身体の輪郭を一瞬だけ霧に変じ、光を滑らせた。


「効きが悪い……魔力の干渉を逃がしてる」


「そんな器用な真似する獣がいるかよ!」


 アレックスは大地を蹴り、側面から斬り込む。

 魔剣が霧の抵抗を感じつつ、肉に当たった――が、深くは入らない。霧が刃の軌道をずらしたかのようだ。


 狼が咆哮する。霧が周囲の地表から舞い上がり、視界が白い闇で覆われた。


「囲まれる!」


 アレックスが声を張る。だが距離感が崩れる。

 左か、上か、足元か――わからない。


 ソフィは深く息を吸う。


「アレックス、目を閉じて!」


「何!?」


 それでも彼は瞬時に従った。


 次の瞬間、霧の中に魔力の振動が走る。


「闇に飲まれる霧よ、光に曝され姿を示せ――《霧散の輝環ディスペル・サークル》!」


 杖の先端から淡金色の環が広がり、霧を押しのけるように周囲へ波紋を描く。

 魔術の軌跡と調和せず、魔力が荒れる霧だけが弾かれる。


 姿を現した狼は虚を突かれ、動きが半拍遅れる。


「今だ!!」


 アレックスが低く滑り込み、狼の喉元へ剣を一閃。


 霧が飛散し、悲鳴とも風音ともつかぬ音が森に木霊した。

 狼はもがき、霧の身体が崩れ――最後に霧そのものとなって消えた。


 残ったのは、黒く焦げたような痕と、

 地面に刻まれた、不気味な紋様。


 ソフィがそれを見下ろし、眉をひそめる。


「これは……封印魔法の断片?」


「つまり誰かが閉じ込めてたってことか」


 霧に歪んだ魔獣。森に漂う囁き。封印痕。


 アレックスが剣先の血を払うと、黒い霧が染みのように地面へ吸い込まれた。


 ソフィはその痕跡に手を触れ、微かに震える声で言った。


「この魔力……光でも闇でもない。両方を混ぜて、捻じ曲げた痕跡。」


 そして、奥から聞こえてくる微かな声。


 ――■■■■れ……■■……こそ……■■■■。


 アレックスは深い霧の先を見据えた。


「行こう。まだ森の奥には、もっと厄介なものがいそうだ」


 ソフィは頷き、杖を握り締める。


 その奥――封印の中心へ向けて、二人は歩みを進めた。



 霧狼の消えた場所からさらに奥へ進むにつれ、森は本来の形を失い始めた。

 樹木は黒ずみ、葉脈が石化したように硬く、触れるとざらりと砂の感触を残す。


「森が生きてるというより、生かされている印象ね」


 ソフィが注意深く周囲を見ながら言う。


 その時、地面から低い振動がひろがり、足裏を震わせた。

 自然の脈動ではない――規則性を持った魔力の波だ。


「この先だ。魔力を吐き出してる」


 アレックスが魔剣を構え直し、霧がより濃く渦を巻く方向へ進む。


 ほどなくして、森の中心部に開けた場所が現れた。


 そこには、場違いな人工物が鎮座していた。



 大地に突き刺さるように建てられた黒い石柱。

 高さ十数メートル、古代文字の刻まれた三つの柱が三角形を描くように配置され、中心には黒い球体が浮遊していた。


 球体は液体でも石でもない。

 濃い霧が凝縮され、固体めいた存在感を持ってたゆたい、鼓動している。


魔力集中核コア……? でも、制御が完全に崩れてる」


 ソフィが目を細める。


 三本の柱は極端に古い――少なくとも千年前の術式。

 しかし、核を支える魔力回路だけが新しく、どこかで近代の魔術師が手を加えた痕跡がある。


「誰かが、止まった古代装置を無理やり動かしたってことか」


「しかも、光の魔術式と闇の魔術式が混在してる。こんなの正気の沙汰じゃない」


 アレックスが核を見上げると、霧が黒い波紋のように膨らみ、まるで脈を打つ心臓のように鼓動した。


 ――ゴウン、ゴウン。


 音ではなく、魔力の震えが大気を揺らす。


 ソフィが口元を引き締めた。


「これ、魔術装置じゃない。封印を維持するための檻よ」


「封印されてたのは――霧狼みたいなのか?」


 ソフィは小さく首を横に振った。


「もっと大きな、概念に近い何か。この感じ……生物というより、意志の残滓」


 アレックスが剣を抜き直す。


「じゃあ封印を維持しなきゃまずいのか? それとも壊せば森は元に戻るのか?」


 ソフィはしばし言葉を探した後、静かに答える。


「封印を維持するなら、この装置を安定させる必要がある。壊すなら――封印されていたものが解放される」


「つまり賭けか」


「リスクの大きさは比較にならないわ」


 その瞬間。


 三本の石柱に刻まれた文字が、ゆっくりと輝き始めた。

 誰かが遠隔で術式を起動させたかのように。


 霧が深く、重く――


 黒い球体の内部に、赤い何かが目を覚ますように揺らいだ。


 ソフィが振り返り、叫ぶ。


「誰かが起動させた! これ以上魔力が溢れれば――」


 大地が裂けるような音とともに、黒い霧が爆ぜた。


 霧の中から巨大な影が這い出してくる。


 獣の骨格、しかし人型の腕。

 霧が皮膚のように張り付き、黒く濡れた眼窩から光なき目がこちらを捉える。


 封印の檻が、軋む。


 アレックスは剣を構え、ソフィが詠唱に入る。


「来るぞ!」


 霧を裂いて、影が牙を剥いた瞬間――


 森の奥から別の声が響いた。


「動くな」


 それは凛とし、しかし冷たく澄んだ声だった。


 影の背後、霧を裂いて現れたのは一人の人物。


 白銀の鎧、胸には光を象徴する紋章。

 だが、その瞳には光の温度がない。


「貴様ら、その封印から離れろ。ここは光の神殿アストリアの管轄だ」


 その言葉は、光の勢力の名を語るものだった。


 だがソフィは、微かに息を呑む。


「光の……神殿?」


 その声音には疑念と嫌悪が入り混じっていた。


 物語は、光と闇の境界へ踏み込む。



 黒霧の渦の中心、巨大な影が蠢き続ける。

 その手前に立つ白銀の騎士は、片腕を軽く掲げるだけで、霧の進行を押し戻していた。


 アレックスは剣を構えながら一歩進み出る。


 鞘から抜かれた魔剣。

 刃の根元に嵌められた魔石が脈動し、アレックスの魔力に呼応して淡く光る。


「光の神殿って言ったな。こんな森の封印に、お前らが関わってたのか?」


 騎士はアレックスの魔剣へ視線を落とした。


「その剣……魔素結晶を核にした魔剣。お前、ただの冒険者ではないな」


「仕事のために腕を磨いただけだ」


 アレックスは肩をすくめつつ、わずかに剣を下げる。

 緊張を解かぬまま、敵意を露骨にしすぎぬ位置で。


 ソフィが口を開く。


「問うわ。この封印装置、古代アストリアの術式と……闇の魔力が混在してる。光の神殿が手を加えたの?」


 問いに対し、騎士はほんの僅か、返答を飲み込む間を置いた。


 そして短く告げる。


「私が答える必要はない。ただ命じる。これ以上封印に干渉するな。立ち去れ」


 アレックスが眉をひそめた。


「命令口調とは、随分な歓迎だな。助けたのはこっちだぞ?」


「封印を揺るがしたのも、貴様らだ」


 ソフィの表情から柔らかさが消えた。


「起動したのは私たちではないわ。誰かが遠隔で起動したのよ。監視していたあなたたちなら知っているはず」


 騎士はつかの間黙り込む。

 霧の核がさらに揺れ、黒い影の腕が封印の檻に叩きつけられる。


 バキィッ!


 石柱の一部に亀裂が走る。


 騎士の声が少し低くなった。


「……影は古代戦争の遺物だ。光の神殿でも、もはや正確な正体を掴んでいない。しかし一つ確かなことがある」


 騎士はアレックスとソフィへ視線を向ける。


「この封印が破れれば、ブランディア大陸の北方は数日で黒霧に飲まれる。生存は不可能だ」


 アレックスは肩越しにソフィを見る。


 その目は静かに答えた。


 ――嘘ではない。


 ただし。


 ソフィは視線を戻し、騎士へ言い放った。


「光が、闇を封じるために闇を利用した。――違う?」


 ピクリと、騎士の眉が動く。


 アレックスは魔剣を軽く振り、刃に蒼い魔力が纏わりつく。


「俺たちは、この森の人たちのために来た。封印が破れれば、ここから先は光も闇も関係ない」


 騎士の手元、鎧の紋章が淡く光る。

 その光は、温かさではなく、規律と命令の色。


「貴様らは余計な真実を知った。だからここで引け。――でなければ、光の敵とみなす」


 その言葉に、ソフィの指が微かに震えた。


「あなたたち光はいつもそう。差し出せ、従え、あるいは……消えろ」


 アレックスが小さく息を吐き、魔剣を構え直す。


「俺は味方でも敵でもない。正しいと思った方を選ぶ」


 騎士も静かに剣を抜く。

 その刃は純白の輝きをまとっていたが――


 その光は、どこか冷たい。


「ならば試す。貴様たちの正義が、どれほどのものか」


 封印の檻の背後、影の咆哮が森を震わせる。


 黒霧の中で、光の騎士と魔剣の戦士が対峙した。


 霧深い中庭。

 静寂の底で、アレックスと光の騎士は距離を測りながら、ゆっくりと弧を描く。


 微かな金属音――剣が鞘から半ば抜かれる。

 続く瞬間、二本の刃が火花を散らした。


 ガンッ――


 どちらも急所を狙わない浅い軌道。

 ただ探る。

 呼吸の間、視線の揺らぎ、握りの強さ。

 互いの意識の深層を覗き込むような、静かな対話。


「手加減か?」

 アレックスが低く言えば、光の騎士は光を纏った面頬の奥で微笑む気配を漂わせた。


「試しているだけだ。――お前がどこまで辿り着いたかを」


 柔らかく見える斬撃。

 しかし受けたアレックスの腕に伝わる重さは、本質を隠した仮面のような軽さだった。


「探っているのはそっちも同じだろう?」

 光の騎士は一歩踏み込みながら、軽快に刃を弾く。


 アレックスは受け流しながら後退もしない。

 ただ一呼吸待つ。

 剣先の揺れ、肩の傾き――全部が言葉の代わりだ。


 火花が二度、三度。

 剣戟はまるで音のない会話。


「目の動きが変わった。そろそろ、本音で来るか」


「なら、お前もその光の奥を見せろ」


 光の騎士が剣をわずかに傾ける。

 淡い輝きが刃を走り、影ではなく光が中庭の霧を裂いた。


 空気が変わる。

 軽い探り合いが終わり、視界を満たす圧が立ち上がる。


 アレックスも体勢を落とす。

 互いに動かない。だが次の一撃は――本気だ。


 霧が閃光を反射する。

 それは宣戦布告にも似た、静かで確かな予告。


 ――ここからが、本物。



 霧を裂くように、光の騎士が先に踏み込んだ。


 その動きは優美ですらあった。

 鎧の白銀が淡い輝きを帯び、靴底が霧に波紋を描く。


 剣が閃く。

 白い光の線が水平に走る――迷いのない、一撃で終わらせる軌道。


 アレックスは魔剣を逆手気味に構えた。

 瞬間――黒い紋章が彼の足元に浮かび、魔法陣が回転する。


「〈魔力障壁【マナ・シェル】〉展開!」


 青紫の薄膜が広がる。

 光の剣が触れる――


 パァンッ!!


 破裂音。

 光が弾け、魔力の波紋が地を走った。

 障壁は一瞬で砕けたが、衝撃は殺がれる。


「障壁で受けるとは、面白い」


 光の騎士は淀みなく次の動きに移る。

 踏み込み、回転、斬撃――三連。

 無駄のない騎士格闘術。


 アレックスは防御一辺倒ではない。

 斬撃二つを受け流し、三撃目を魔剣の柄で受け止める。


 火花。

 二人の顔が至近距離に近づく。


「お前の剣……光を帯びているが、魔法ではないな」


「光とは魔法の属性ではない。理念だ」


 意味深な返し。

 言葉より剣で語る意思。


 アレックスは剣を離すと同時に、右手を後方に高く掲げた。

 魔剣が黒紫の炎を帯びる。


「なら――理念ごと断ち切るまでだ!」


《魔剣技――黒焔斬〈ブラック・フレア〉》


 闇の炎が斜めに走り、霧を蒸発させる。

 炎は光の騎士を呑み込まんと迫る――


 だが。


 光の騎士は防御するでもなく、逃げるでもなく。

 ただ足を一歩、静かに前へ出した。


 光が、剣の根元から立ち上る。

 それは炎とは違う、温度のない聖なる輝き。

 黒焔と衝突した瞬間――


 ――霧が晴れた。


 轟音も爆発もない。

 ただ光と闇が触れ合い、互いを静かに、しかし確実に相殺していった。


 二人の間に、風だけが通り抜ける。


 残ったのは、僅かな焦げと、白く漂う光粒。


 アレックスは口角を上げる。


「やっぱり軽く遊んでただけだな、あんた」


 光の騎士も応じるように、剣を軽く下げた。


「確認は済んだ。――魔剣の冒険者アレックス。お前は、ただの傭兵ではない」


 沈黙。

 空気が乾き、遠くで鳥が一声鳴いた。


 次に進む方向を選択してください。

 アレックスと光の騎士の関係は――



 風が止む。

 霧の切れ間から、淡い蒼光が地を照らし始めた。


 その光源は――空中。


 ソフィが浮遊魔法で降りてくる。

 白銀の杖を抱え、髪を揺らしながら。


「いつまでやってるのよ、二人とも」


 その声音は呆れているのに、どこか柔らかい。


 アレックスは肩を竦める。


「軽く挨拶代わりだ。な?」


 光の騎士は意外にも素直に頷いた。


「確かに。言葉よりも正確な対話だった」


 ソフィはため息を吐き、だがすぐに表情を引き締める。


「あなた。光の騎士、でいいのよね。この黒霧を生み出している魔術装置――あなた達の仕業じゃないわね?」


 光の騎士の瞳が僅かに揺れる。


「我々は止めに来た。闇の勢力が設置した、転移型呪汚じゅおの装置だ」


 転移型――

 つまり、この黒霧は遠方から供給されている。


 アレックスは眉を寄せた。


「じゃあ、解除なり破壊なりが必要ってことか」


「できれば破壊より封印を望む。下手に壊せば向こうに気づかれ、次の手が早まる」


 ソフィが顎に指を添え、思考を巡らせる。


「封印系なら任せて。ただし装置の術式情報がほしい。構造を知らなきゃ封印式は組めない」


 光の騎士は一度、剣を収めた。

 明確な敵意の終結。


「情報は持っている。しかし――」


「任務上、誰にでも渡すわけにはいかない、って顔ね」


 ソフィが軽く肩をすくめると、光の騎士は微かに笑みを見せた。


「さすが噂の大魔導士。話が早い」


 アレックスが一歩前へ出る。


「なら条件を出してくれ。俺たちが協力し、その情報を得るための理由を」


 光の騎士の視線が二人に向く。

 その声は静かだが、どこか焦燥を含んでいた。


「黒霧の装置は三つ。そのうち二つは既に闇に落ちた」


 空気が震える。


「残る一つが――ここだ。我々は最後の防衛線にいる。ここを失えば、ブランディア大陸全域が闇の瘴気に包まれる」


 アレックスもソフィも、冗談を挟む余地を失った。


 ソフィの杖が淡く輝く。


「……なら、私たちの目的も同じ。黒霧の停止、阻止、そして――大陸を護る」


 光の騎士は、はっきりと頷いた。


「協力を――頼みたい。魔剣のアレックス、大魔導士ソフィ」


 アレックスは魔剣を下げ、その刃を地に向けた。

 剣で交わすのが騎士の礼なら、剣を収めるのもまた礼だ。


「こちらこそ――よろしく頼む、光の騎士」


 ほんの一瞬、霧の切れ間から、青い空が覗いた。


 光と闇の争い。

 その中心に踏み込んだ自覚と共に――

 三人は黒霧の装置へ向かって歩き出す。



 黒霧の装置へ向かう途中、霧は薄くなり、木々の影がはっきりしてきた。

 その静けさの中で、アレックスが歩調を落とし、隣を歩く騎士に問いを投げた。


「そういや、まだ聞いてなかったな。お前――いや、あんた。何者なんだ?」


 レイは少しだけ顔を横に向け、霧の奥を振り返った。

 その表情は柔らかいが、どこか遠くを見ているような目だ。


「名は――レイ。光の教団、第四のガーディアン・ウィング所属。『封印』を司る騎士」


 ソフィが興味深そうに眉を上げる。


「光の教団……!? ブランディア大陸では聖都エルセリアの奥深く、王家よりも古いとされる組織……存在は知られていても、表に出ることはほとんどない宗派よね。あなたがその騎士……」


 レイは肯定も否定もせず、ただ淡く微笑むだけだった。


「我々は光を奉じてはいるが、宗教ではない。闇に対する防壁だ。歴史を語るなら、最初の記録は千年前――」


 アレックスの足が止まる。


「千年……? この光と闇の争いは、そんな昔から続いているのか」


 レイは歩みを止めず、霧の中を進み続ける。


「戦争としては表に出ない。いつも水面下だ。帝国の崩壊も、王朝の交代も、その影には――」


 あえて言葉を切った。

 ソフィは続きの言葉を自分の口で補った。


「光と闇、どちらかの手が動いていた……」


「そういうことだ」


 レイの声は淡々としていたが、感情を消した声ではなかった。

 使命を負った者の静かな覚悟。


「俺は、争いを終わらせたい。光が勝つためではなく――闇が滅びるためでもなく――」


 彼は静かに言った。


「均衡が保たれるために」


 アレックスは思わず息を吐いた。


「……面倒な立場だな」


「慣れた」


 その返しに、ソフィが小さく笑った。



 森の奥。

 黒霧の発生源――巨大な魔術装置が再び姿を現す。


 石柱が円を描き、中心には黒い球体が浮かぶ。

 球体の内部には、濁った何かが蠢いていた。


 ソフィは杖を握り、深く息を吸った。


「術式の構造は理解した。ただし――正攻法じゃ間に合わない。強引にやる」


 レイが頷く。


「補助は任せろ。封印を司る光の魔力――お前の術を安定させる」


 アレックスは魔剣を抜く。


「俺は周囲の警戒だ。二人とも頼むぜ」


 ソフィは魔法陣を描き始めた。

 空中に浮かび上がる複雑な符と線。

 紫と白の光が混ざり、音のない振動を伴って脈打つ。


「封印術式――《永久鎮域封陣エターナル・ロック》」


 装置から放たれる黒霧が、まるで意思を持つかのように逆巻き始める。


 レイが一歩前に出て、剣を地に突き立てた。

 その刃から白い光が溢れ、封印式と絡み合う。


「光の戒律――《聖環のホーリー・ピン》」


 二つの魔力が重なる。

 白と紫が混ざり、黒霧を押さえつけていく。


 だが――


 空気が突然、震えた。


 遠くから聞こえる、低い唸り声。

 それは風ではない。獣でもない。


 魔術装置の中心――黒い球体の中で、影が動いた。


 アレックスが前に出る。


「……来るぞ」


 球体に亀裂が走る。

 その奥から、形を持たぬ影の腕が突き出された。


 封印が終わる前に――

 闇側が、気づいた。


 ソフィが叫ぶ。


「まだ終わってない! あと数十秒!」


 レイが剣を握りなおす。


「なら――その数十秒、稼ぐだけだ!」


 アレックスは魔剣を構え、不敵な笑みを浮かべた。


「上等だ。久々に本番の戦闘だな」


 黒霧の化身が姿を現す――



 黒い球体が割れた。

 液体のように揺らぐ影が床に落ち――形を得る。


 人の背丈の二倍。

 獣の爪、蛇の尾、空洞の眼。

 輪郭は常に崩れ、霧となって流れ、また形作られる。

 生きた影。黒霧そのものの化身。


 咆哮とも、金属の擦れともつかぬ声が響く。


 グギィィ――――


 アレックスが一歩踏み込む。

 魔剣が黒い炎を纏い、横薙ぎに斬りつけた。


 斬撃は影の胴体を断ち、黒霧が飛び散る。

 だが切り裂かれた場所は、霧が戻るように再生した。


「ちっ、やっぱり厄介な再生持ちか!」


 レイがすぐ後方から叫ぶ。


「物理だけでは無力化はできない! 魔法と重ねろ、アレックス!」


「言われなくても!」


 ソフィが詠唱を紡ぐ。


「光輪を纏え、蒼雷の槍――《雷霆穿槍ライトニング・ジャベリン》!」


 蒼い雷が槍となり、化身へ突き刺さる。

 霧が電撃で弾け、形を崩す。


 アレックスがその隙を見逃さず、黒炎を纏った魔剣を突き立てた。

「我が魔剣に宿る黒き焔よ、我が敵に宿業を以て焼き尽くせ」

 裂ぱくの気合とともに。


 影の奥まで刃が沈む。

 黒霧が苦悶のように揺らぎ、周囲の瘴気が弱まる。


 レイが前に躍り出て、光を帯びた剣で追撃。


「《聖斬――パージ》!」


 白い斬撃が走り、影の身体を一部、浄化するように消し飛ばした。


 三撃――魔法、物理、光。

 連携は機能していた。


 だが。


 影の尾が地面をうねる。

 アレックスへ向けて鞭のように伸び――

 鋭い棘が生える。


「くっ――!」


 アレックスはギリギリで避ける。

 棘が彼の髪を掠め、石畳を突き刺した。


 ソフィの表情が強張る。


「動きが速くなってる……! 封印が進むほど、向こうも力を増してるか!」


 レイが小さく息を吐く。


「時間を稼ぐのは我々だ。少しでも封印に近づけば、奴は焦る」


 影の化身が姿を変える。

 四つ足、無数の目。

 そして――二つの影の腕がアレックスに迫る。


 アレックスは魔剣を両手で握り――


「ソフィッ、次に来るなら、炎系で頼む!」


「了解!」


 数秒の間を隔てない指示と返答。

 互いが互いを信じている。


 アレックスは影の腕を上下二連で裂き捨て、跳び退く。


 ソフィが魔力を纏い、叫ぶ。


「《爆炎連鎖――チェイン・フレア》!」


 地面から赤い魔方陣がいくつも展開し、爆炎が続けざまに噴き上がる。


 熱風、閃光、黒霧を押し返す烈火。


 アレックスが炎の中へ踏み込み――

 熱すら魔力で遮り、魔剣を振り抜いた。


「これで――止まれぇッ!」


 黒と赤の刃が閃く。

 霧が裂け、化身の身体が半分ほど飛散した。


 レイがそこに聖光の槍を投げ放つ。


「《十字光槍――クロス・レイ》!」


 二方向から交差する光が、影の核を貫いた。


 影の化身が、悲鳴にも似た咆哮を上げ、形が崩れていく。


 黒霧が薄くなり――

 ソフィの封印陣が一段階、輝きを増した。


 だが、その瞬間――


 装置の奥から別の気配が溢れた。


 重く、冷たく。

 言葉ではない視線を感じるほどの存在感。


 ソフィの背が震える。


「……これ、意識だけ。本体じゃないのに……ここまでの圧……」


 レイの表情から初めて、余裕が消えた。


「闇の──司祭級。向こうも、この地点を死守する気だ」


 アレックスは息を整え、魔剣を肩に担ぐ。


「だったら、封印終わるまで何度でも相手してやるさ」


 ソフィは杖を握り直し、レイとアレックスを見た。


「お願い。あと少し……この封印が完成すれば、ここだけは守れる!」


 霧が渦を巻き――影が再び形を成し始める。


 戦いは終わっていない。



 封印陣が輝きを増した瞬間――

 森の空気が、音もなく裏返った。


 音も、光も、温度さえも遠のく。


 世界が絞られ、ほんの一瞬で視界が黒に塗りつぶされる。

 霧ではない。

 闇そのものが、意志を持って侵入してくる。


 そして――


 ――聞こえるか、光の騎士。


 声が直接、思考の奥を叩いた。

 耳ではなく、脳の内側に響く声。


 アレックスは剣を構えて周囲を見渡す。

 だが森は、霧は、装置ですら……全部が消えていた。


 無限の黒。


 ソフィが小さく息を呑む。


「精神干渉……! 視覚も触覚も、全部。ここは現実じゃない」


 レイは剣を胸元へ引き寄せ、目を閉じた。


「司祭級……意識接続型の干渉術か」


 そこで、声が笑った。

 温度のない皮肉めいた笑み。


 ――千年経とうと、愚かさは変わらぬな、光の子よ。


 黒の闇が形を取り始める。

 影が凝縮し、輪郭を持ち――

 人影となり、僧衣のようなシルエットとなる。


 だが顔は無い。

 ただ深淵の穴だけがそこにある。


 ソフィの足が僅かに震えた。

 恐怖ではなく、嫌悪。

 魔力の深層に触れられる感覚。


 声は静かに、ねっとりと伸びる。


 ――大魔導士ソフィ。

 お前の力は惜しい。

 光に費やすのは……間違いだ。


 ソフィは表情を動かさない。

 だが唇だけが淡く笑う。


「勧誘のつもり? 残念だけど、私は光に属した覚えも、闇に堕ちる理由もないのよ」


 ――理由なら、与えよう。


 闇が揺らぎ、別の幻が現れた。


 倒れ伏す人々。

 燃える街。

 崩れる塔。

 泣き叫ぶ子供。

 ――そしてソフィ自身。


 自分自身の死を、外側から眺める幻。


 ソフィの瞳が揺れる。


「……これは……未来視……?」


 ――分岐の一つに過ぎぬ。

 光に肩入れすれば、その未来が濃くなる。


 レイが一歩前に出て、幻影に剣を向けた。


「脅しの類か。貴様らはいつも、未来を恐怖で語る」


 声がレイへ向けて落ちる。


 ――光の騎士レイ。

 均衡などという都合の良い夢を追う、愚者。

 光を選ばず、闇を断てず、ただ中間を彷徨う。


 アレックスの背に冷たいものが走る。


「中間、か」


 レイは怒らなかった。

 ただ静かに、しかし確かな感情の熱を伴って答えた。


「光か闇かを選ぶために剣を持つだけが答えではない。両方を断つ必要もない。人が生きる場所に、余地があればそれでいい」


 声はくぐもった笑いで応じた。


 ――なら、その人の居場所を奪えばいい。


 そして、闇はアレックスへ向いた。


 ――魔剣のアレックス。


 黒霧の幻が形を取り、

 その影は――人の背丈、女の姿。


 ソフィとは違う。

 しかし確かに、誰かだった。


 アレックスの喉が詰まる。


 声が囁く。


 ――一度救えなかった者。

 お前の魔剣は守るためだったか……

 それとも取り戻すためか……?


 アレックスの握る魔剣が震える。

 手ではなく、心が。


 ソフィが気づいた。


「アレックス……?」


 アレックスは答えない。

 ただ影の幻影を睨む。

 怒りか、痛みか――判別できない感情で。


 レイが低く言う。


「幻影は心の弱い部分に触れて揺さぶる。アレックス、奴の得物は記憶だ」


 ソフィも声を張る。


「アレックス、聞いて! この精神干渉は、否定か肯定かで強度が変わる!」


 声が二人の言葉を打ち消すように響く。


 ――認めれば、楽になる。

 それが真実なら、なおのこと。


 劈くような静寂。

 闇が音を奪う。


 ただ、アレックスの息だけが聞こえる。


 長く吐いた息の後――

 アレックスは、ゆっくりと顔を上げた。


「……ああ。そうだ」


 声が止まる。


「俺は――助けられなかった。取り戻したかった。魔剣を手にした理由は、護るための言い訳だ」


 ソフィが息を呑む。


 その次の瞬間――アレックスは剣を構え直す。


「だから――迷ってねえ。二度と取りこぼさないために、俺は斬る」


 闇の幻影に向けて叫ぶ。


「幻想にすがってるのは、どっちだ!!」


 魔剣が黒紫の光を放ち、精神世界の闇を切り裂く。


 ――ガ……ァァァ――!


 声が濁り、形が歪む。

 精神干渉が破られ始める。


 レイが剣を掲げる。


「光よ――真実の形を照らせ!」


 ソフィも杖を翳す。


「現実を繋ぎ止める――固定陣!」


 三人の意志が重なる。

 その瞬間、精神世界の闇は崩れ――


 光が差す。


 視界が元に戻る。

 森、封印陣、装置。

 全てが現実の位置に戻った。


 ただし――封印はまだ完了していない。


 声だけが名残りのように響く。


 ――よかろう。

 均衡を望むなら……

 いずれ、三つ目の装置で会おう。


 闇が完全に消える。


 ソフィは息を荒げながらも、封印陣を維持する。


「今の干渉で……封印、揺らいだけど……まだ間に合う……!」


 レイが剣を構えたまま周囲を見回す。


「来るぞ。本体が直接ではないにせよ、手勢を寄越すはずだ」


 アレックスは魔剣を肩に担ぎ、

 精神の影を切り捨てた重さを、静かに受け止めていた。


「いいぜ。決着つけるまで、俺は止まらない」


 黒霧の最後の防衛線。

 封印完了まで――あと僅か。



 黒霧が巻き上がり、装置全体が悲鳴を上げたかのように震えた。


 ソフィの魔法陣が輝度を増す。空中に描き出される封印式の線が、眩い蒼光となり宙を奔る。詠唱が最終節に差し掛かると、空間の歪みが強まり、黒霧は渦を巻きながら光に吸い寄せられていく。


「――封、鎮、滅!」


 杖を振り下ろした瞬間、

 あらゆる黒が光に吸い込まれ、霧が一気に晴れた。


 だが。


 晴れた霧の中から、声が響く。


 ……愚かしい。

 光と呼ばれる者たちよ。

 汝らの勝利は、ただ我らの計画の一端を早めただけ。


 声は音ではない。

 それは脳内に直接流れ込む侵入だった。


 アレックスの視界が揺らぐ。


 ――砂の王国。燃える城壁。

 誰の悲鳴かもわからぬ声が頭を満たす。


 ソフィでさえ表情を歪めた。

 精神への侵攻――魔術を知る者ほど重く刺さるタイプだ。


 レイだけが、わずかに耐えた様子で声を絞る。


「あれは……闇の司祭級。封印成功の反動を利用して、こちらへ干渉してきている!」


 声が笑う。


 ……最後に一つだけ贈り物を。

 代償なくして抵抗はできぬ。

 光の騎士よ。汝が背負うその罪と共に。


 レイの表情が固まる。

 ソフィが気付くほどに。


 アレックスは、己の意識が垂れ落ちていく感覚の中で叫んだ。


「代償なんざ――後で払う! 今は退け!」


 ソフィが精神干渉の魔法陣を展開しようとしたが――


 先に踏み出したのはレイだった。


 そして、


「――戻れ」


 その声は、騎士のものではなく、

 罪と後悔を噛み潰した人間の声だった。


 レイの胸元で光の紋章が砕け散る。


 それは光の騎士に与えられた守護の証。

 精神干渉を防ぐ代わりに、壊れれば、二度と戻らない。


 砕けた瞬間、声は弾かれるように消えた。


 周囲に沈黙が訪れる。


 アレックスは息を吸い、レイを見た。


「……今の、代償ってやつか」


 レイは静かに頷いた。


「光の教団に属する者は、あれを失えば――もう戻れない。私は今日をもって騎士ではない」


 ソフィが少しだけ眉を下げた。


「あなた、私たちを守るために?」


 レイの返答は淡々としていた。


「君たちが協力してくれなければ封印は成立しなかった。その時点で、私には騎士的な選択肢は残っていなかっただけだ」


 アレックスが笑う。


「難しく考えなくていい。一緒に戦うなら――それだけで仲間だ」


 レイは少しの沈黙の後、表情を緩めた。


「……不思議だな。光の教団より、君たちの方が温かい」


 ソフィは優しい声で告げた。


「じゃあようこそ。旅は三人の方が楽しいわ」


 レイ。かつて光の騎士。


 今は――アレックスとソフィの、新しい仲間として。


 黒霧の消えた空の下、三人は歩き出す。

 闇の勢力が動きを早めた今、止まる理由はどこにもない。


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