report.02-1_[補給不足]と[新人未満]
[エネルギー残量不足、空腹を検知しました。このままでは“餓死”してしまいます。何か食べさせてください]
こんなことになったそもそもの発端は今年の四月三日、私の十九歳の誕生日の翌日のことである。
その日、私がデスクトップPCを操作していたその目の前で、モニターの3Dアバターデータは当たり前のことを言うみたいに(更には生身の人間でさえあればごく自然だと思われる内容を)“喋った”。モニターに映し出されている立ち姿は紛れもなく今この場で私が受け取る予定だったアバターそのものだ。それは間違いない。
「……っ⁉︎」
私は当然無言というか言葉にならない悲鳴というか、そんな声を上げかけて飲み込んだ。
アバターの外見をかいつまんで言うと修道女の姿をしている。いかにも敬虔なシスターが被っているイメージの、黒い布地を白い帯で縁取ったあの頭巾に、首元を覆う真っ白い幅広の襟のついた真っ黒なブラウス。でも襟の下から妙にはだけた胸元とおヘソのあたりが覗いているのはご愛嬌。そこに落ち着いた色味の外套を羽織り、下はグレーの膝丈フレアスカートに焦げ茶のショートブーツという出立ちだ。そして十字架を象った数々の銀色主体のアクセサリーが全身に散りばめられ、頭巾の下からは豊かな金髪とラベンダー色の大きな目が渋い色調のシルエットに彩りを与えていた。(本職の人から見たらどう見えるかはともかくとして)もう見るからに“ゲーム世界を冒険している活動的なシスター”。そこまでは要望通り。
これは私が今度デビューするVライバー事務所「Jackie-S in the Box」が用意してくれたものだ。この事務所はLive2Dという動くイラストの姿ではなくデビュー時点から3Dの、しかも独自規格のアバターを支給してくれる。これでヨソのLive2Dより衣装が少なく“ならない”というのが意外だった。まぁ何にしても、クリエイターさんに私からコンセプトを伝えてからキャラデザについてとことん話し合って決定された、正真正銘私だけのための一点モノのデータ。……それがこのザマである。アバターは私の動きを忠実に再現するどころか、自分でものを考えて勝手に喋った。意味不明だ。
当たり前だが突然の出来事でギョッとする私に、マネージャーのケーコさんがPCの画面通話上で異変を察する。いつものビジネス口調でアバターの仕様やら何やらを教えてくれていたところだった。
『カオルちゃん……? ……いま入った声ってご家族の方ですか?』
しかも都合の悪いことに、どうも今の[声]はケーコさんさんにもしっかり聞こえていたらしい。
「い、いえあの急に……その、アバターが何か……」
『アバターが? どうしたんです? 何か不具合でも?』
でもだからって、それこそ“アバターが勝手に喋った”なんて、いきなり言って信じてもらえるとは思えないって話で。
「え、あ、えと、イヤ! その、な、な何でも無いです! 急に失礼しま……」
[何らかの不要なプログラムは提示できませんか? ファイル形式は問いません、この際]
否定して誤魔化そうとしたところで、なめらかだがどこか無機質な感じのする声で、また言い逃れできないくらいにハッキリとアバターの声が割り込む。ダメだ、もはや何で誤魔化そうとしたのかも分からないけど誤魔化せるハズもない。あうあうと空気を噛みそうになる。
これが、念願の自身で配信活動をするためのアバターを事務所から提供された配信者である私と、どこからどう見ても自分でものを考えて喋っているプログラムデータとの最初の交信だった。カッコよく言えばファーストコンタクトってヤツ。
さて、さらにこの時から十分ほど前。
だいたい予想はつくと思うが、私は心を躍らせていた。
何せ高校時代に目指すと決めたVライバーにとって魂と言えるアバターがやっと手元に届いたのだ。高校時代といえば、多くの人にとって(それが人生で最初なのかとか、一生続けるのかとかは人それぞれだと思うけど)自分の人生の“心の支え”を見つけ出すタイミングだと思う。そしてこの書き方からも伝わると思うが、私にとってのそれは『バーチャルライバー』っていう新時代の娯楽だったというワケだ。
人並み程度にはアニメが好きだった私は絵を使ってアニメのキャラクターみたいに、でもアニメよりもずっと自由に多様に喋る彼・彼女らにすぐ夢中になった……少なくとも、一番の推しと同じ事務所に応募して、採用基準の傾向を自分で対策し、そのまま一発合格してしまうほどの熱意を持つくらいには。
『いーい? カオルちゃんさ、こっからアナタのVライバーとしての人生が始まる。当たり前だけどアタシらも全力でサポートしてくよ? でも一番肝心なのはいつだってカオルちゃん自身で、特に配信中の出来事とかになったらカオルちゃん自身で立ち向かわなきゃいけない。覚悟しといてね』
ちなみにPC越しに通話しているちょっとギャルっぽい声の主、これは数分後と同じマネージャーのケーコさん。彼女は普段この喋り方だったりする。苗字は刃禰谷らしいけど、私はあまりの気安さから下の名前で呼んでしまっていた。本人は改まったタイミングとか業務的なときだけ敬語を使うという感じ。……社会人ってみんなこんな感じに喋り方を使い分けたりするものなんだろうか?
ケーコさんはこほん、とワザとらしく小さな咳払いをしてから手元に視線を落とした。これが彼女にとって、普段のギャル口調から仕事モードに切り替わる合図。
『ではカオルちゃん。先ほどのメールに添付されていた圧縮ファイルの解凍は済んでますか? これからアバター“祓戸シシィ”の仕様を説明します。配信ソフトと共に使い方の講習は済んでますよね? まぁ、気になるところ・分からないところがあれば都度都度で聞いてください。……結局、実践じゃないと身についてかないからねぇ』
そんな一言でケーコさんは一瞬だけ素に戻る。これって器用さなのか、むしろ不器用さなのか。
「使い方は大丈夫です! OBSだとかは元々自分で使ってたりもしたし、講習以外にもアバターのことだとかは自分で勉強してたし」
『うん、ちゃんと勉強してるのは関心ですね。では両方とも起動してください』
そうやって不安になりながら、そして逸る気持ちを抑えながら、私はケーコさんの指示に従う。五分後、出鼻を挫かれるみたいに見舞われるトラブルのことは何も知らず、両方のデータアイコンをクリックしたのだった。




