report.01-1 _[法令]と[騒霊]
『放送電波騒霊対策報奨金制度』。
PCの画面の前、私は頭の中でこの制度の名前をいま一度思い出していた。
そんなことはヨソに、ガタガタとPC用の机の引き出しが内側からかなりの力で揺すられる。さっきは雨も降っていなかったのに、この防音室の壁の内側では空気が一気に湿気を帯びて。そして肌にもドライアイスの吐き出すそれみたいな冷気を感じた。
いや、いやいやちょっと待ってよ。この法律の名前の「騒霊」ってのは単にポルターガイスト現象の漢字表記ってだけで、勝手に物が動くってだけの意味だとか言われてたじゃん。放送電波の電磁気がどうこうとか磁力が発生してうんぬんとか、もっとそういう物理的な話なんじゃなかったっけ?
こんな——、こんなガチの心霊現象が絡んでくるとか聞いてない。
[カオル、遭遇しただけのタイミングであまり驚かないで下さい]
PCから高くて丁寧な印象の声が聞こえてくる。が、正直私にはあんまり声を返す余裕がない。
私こと浦賀カオルが今いるのは事務所支給のアパートで最近始めた一人暮らしの部屋の、さらにその中にある広くない洋室だ。もっと正確に言うなら、その中心に鎮座している両親から借金して買ったスペック高めのデスクトップPCの画面を覗き込んでいる。ちなみに部屋の明かりは点いていない。
暗い部屋の真ん中で、私はさっき“画面が暗くて見えづらいから”なんて思ってわざわざ部屋の明かりを消しに行った自分の行動を恨んでいた。
[その驚きようでこれから配信活動を始める気だったのですか?]
「う、ぅうるさいな……てかこんな怪奇現象に巻き込まれるとか思わんでしょ」
[“騒霊”というワード自体は元から聞いていましたよね? なのに土壇場で今さら『想像してなかった』というのはいくら何でも——
「だからぁ、ぁ、あれは日本語訳とかそっ、そんなんの都合であってさぁ……制度にく、くっついてる字面だけの話だって、思ってたんだって……ぇ……」
女性口調の[声]に痛いところを突かれて、私は思わず声が上ずる。喉の奥から水分が無くなっていくような感覚。状況に合わせるみたいに声も明らかに掠れているのが分かった。
いや違う、そりゃ急な小言に焦って弁明したのは事実だけど、理由はそれだけじゃない。根本的な原因は“怯え”だ。もっと正確にいうなら、さきほどからの状況に私が抱いている感情以上の、誰か別人の“恐怖心”が、私のものではない感情が私の中に雪崩れ込んで来ていた。異常が物音程度で止まっていないからこそ、私はこの一連の事態がポルターガイストよりもヤバいなんて判断していたのだ。
思考から何から、自分の力で動かせなくなっていく嫌な感覚で後ろに倒れ込みそうになる。冗談でも何でもなく腰から力が抜けていくのが理解できた。
マズい、初めてのこ怖とに感じてい怖怖た少しの不安心が外か怖怖怖らの感情で塗りつ怖怖怖怖怖ぶされてい怖怖怖怖怖怖怖怖って——。
[カオルしっかり、起きなさいカオル‼︎ ユーザーのサポートがないと当プログラムも“祓”えません!]
例の甲高い呼びかけがまたPCから聞こえた。……そうだった、いきなりだからって精神を乗っ取られてる場合なんかじゃない。ユーザー……もとい人間のあたしがサポートに回らないとコイツは充分に“動作”できないんだった。
ましてこれからやろうというのは下手したら人類初の試みかもしれないのだ。となるとこっちも完全自動とは行かない、いくらAI相手といってもその手綱を握るなんてのは。
「——ごめん、ちょっと慌ててた。今のヤツのおかげで目ぇ覚めたかも」
パンッ、と自分の頬を叩いて気合いを入れてから私は画面に向き直る。
[お礼というなら後で短い動画ファイルでも支給してください、MP4で充分なので]
「乗った。にしてもホント、“AIがデータ食べる”ってどういうことなんだかね……」
軽口でも返すみたいに[声]は返してきた。いつの間に“軽口を叩く”なんてことまで覚えたんだろ。というかPC内のデータを吸収して消化する……つまり“食べる”って行動も含め、コイツのことは改めて未だによく分からない。もはや本来の意味での、人間やら動物がやる『物を食べる』ということと同じ意味で本当にコイツがデータを“食べて”いるのか、とかそういう部分から。
[……当プログラムの出生や詳細に関しては埒が明かないので今度にして。何度も言うようですが——
「記憶がそもそもないんでしょ? 分かったって。……んじゃとっとと終わらせよ、リューナ」
そう[声]の持ち主に——私が名付けたリューナに告げて、改めて私たちは初めてのインターネット上での悪霊退治という難題に挑むことにした。