第七章:湖の下に潜む殺気
**下山救度人**
物語は、大学生 **呂天陽** を主人公とする。
彼は師命に従い**下山**し、
昼は凡俗の学徒として学び舎に通い、
夜は\*\*道士**として真の姿を現し、
**人間界**に潜む数多の**妖異**、**邪祟**、
そして**怪変\*\*へと立ち向かってゆく。
やがて、幾多の試練を経て友を得、
共に世を乱す闇を打ち破らんと誓う。
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**陰陽両界 悉く収め**
**邪物現れし時 如何破らん?**
**判官すらも 人間界に見えず!**
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呂天陽は一路**下山**し、
天地を震わせる数百の戦いを経て、
**鬼侯**、**仙妖**、**凶霊**、\*\*邪神\*\*と渡り合う。
友と共に\*\*六道三界\*\*を突き破り、
\*\*歴劫**を乗り越えて**証道\*\*へ至らんとす。
車は京城の賑やかな通りを素早く走り抜け、やがて国道へと折れて大きな道に出た。呂天陽は車内に座りながら、この葉家の大嬢の運転技術に思わず感嘆する。ほんの少しの間に、もう目的地へと到着したのだ。
ここは外から見ればまるで庭園のように広く、白い壁に精緻な彫刻が施され、その上には漆黒の鉄柵が敷きめぐらされていた。呂天陽はそれを見て、この工芸を作り上げた者の技に感服せざるを得なかった。
正門の前には二人の門衛が立っていた。若く整った制服姿の彼らは、車が近づくとすぐに進み出て礼を取った。そのうちの一人が窓を叩き、葉懐安がガラスを下ろすと、門衛は口を開いた。
「失礼します、お嬢様。ご予約はありますか? なぜこの場所へ?」
葉懐安は答えた。
「予約はない。ただ章校長に伝えよ。私が来た、至急用事がある、と。」
門衛の青年は驚いた。いったい何者なのか。ここへ勝手に入ろうとするなど……新興の金持ちの娘が力を誇示しに来たのか? 彼はすぐに態度を正し、改めて問うた。
「失礼ですが……どちらの家門のお方か。校長に伝えるために。」
葉懐安の顔は沈み、指を一本立てて答えた。
「葉家」
――葉家?
門衛の青年は眉をひそめ、隣の同僚に小声で囁いた。
「噂では……葉家の大嬢が帰国したと聞いたが、本当か?」
するともう一人は即座に彼の頭をはたき、怒鳴った。
「馬鹿者! 京城で“葉家のお嬢様”といえば一人しかいないだろう!」
二人は慌てふためき、深々と腰を折った。
「――葉……葉お嬢様!!」
額には汗が滴り落ちる。葉懐安は軽く手を振り、二人は即座に門を開いた。車は風のように中へ駆け入り、二人の門衛は恐怖に震えながらその背を見送った。
車を降りた呂天陽は辺りを観察した。ここは広大で、多くの道が走り、まるで公園のようだった。緑豊かな植生、奇妙な形をした石造の台座、整備された灌漑設備……一面の植物は丁寧に世話されているのがわかる。呂天陽は深く息を吸い込み、満足げな表情を浮かべた。
葉懐安も辺りを見渡し、口を開いた。
「最後に来たのは、小学二年生の時ね。ずいぶん長いこと足を運んでいなかったけど……ここは変わらないわ」
「小学二年って……それ、どれほど前のことだ」
葉懐安の顔が急に厳しくなった。
「まさか、この場所が霊異事件に関わっているなんて……本当に信じられない」
呂天陽も彼女の表情を見て考え込み、言った。
「調査が終わるまでは断定できない。まずは湖を見に行こう」
葉懐安も頷いた。
「もし関わっているのなら……本当に恐ろしいことになる」
呂天陽が問いかけると、葉懐安は核心を突くように言った。
「ここは祖父が章校長に建てさせた場所なの。祖父ほどの実力者なら、この地に問題があることくらい承知のはず……それでも建設を許した。何か裏の取引でもあったのかしら? その目的は何?」
呂天陽は顎に手を当て、思案した。確かにその通りだ。まさか後人に職を与えるため、というだけではあるまい。ふと何かに気づき、目を大きく見開いて叫んだ。
「ま、まさか……君の祖父も法師だったのか?」
葉懐安はじっと呂天陽を見た。その視線に、彼は居心地悪そうに肩をすくめた。
「な、なんだ……?」
「いずれ話す機会はある。今は先に目の前の問題を片付けましょう」
呂天陽はそれ以上詮索せず、二人は園の中央へと進んだ。外からも見えた大きな湖がそこにあり、周囲は黒い鉄柵で円く囲われ、入口はなく、四方には「立入禁止」と書かれた札が掛けられていた。
呂天陽は眉をひそめた。なぜ立入禁止なのか。
だが葉懐安は気にせず、柵をくぐって中に入っていった。小柄でワンピース姿の彼女が身をくぐらせると、その動きに沿って身体の曲線が際立ち、呂天陽は思わず唾を飲み込んだ。
二人は湖畔に立ち、水面を見つめた。波一つない澄んだ水。どれほど深いのかはわからず、底は見えない。呂天陽の好奇心が疼き、尋ねた。
「深さはわかるか?」
葉懐安は首を振った。
「幼い頃に一度来ただけ。深さまでは気にしたことないわ」
呂天陽は鼻をひくつかせ、突然立ち止まった。顔が険しくなり、低く言った。
「……やはり、問題がある。湖の底から、微かな“殺気”が漂ってくるのを感じる」
葉懐安は彼の言葉を聞き、驚きの表情を浮かべた。精神を集中させて感じ取ろうとしたが――何も感じられない。
彼女は眉をひそめ、鞄から透明な碧色の玉を取り出した。まるでビー玉のようなそれを見た呂天陽は、首をかしげて尋ねた。
「これは……何のおもちゃだ?」
「これは“定感丹”。気息をより敏感に感じ取れる丹薬よ」
「そんなに凄いのか?」
呂天陽は疑わしげに眉をひそめた。
葉懐安は彼を横目で睨み、からかうように言った。
「――あなたのハイエナみたいな鼻には負けるけどね」
自分をハイエナ扱いだと!? 呂天陽は心の中で憤った。
「……ほら、一つあげるわ」
葉懐安は丹薬を彼に渡し、自分も口に含んで飲み下した。
「味はどう? 喉に詰まらないでしょうね?」
呂天陽は逡巡したが、彼女が口を指さす仕草をすると、渋々歯を食いしばり、鼻をつまんで一気に飲み込んだ。
瞬間、不思議な感覚が全身を駆け抜けた。甘く、砂糖のように舌の上で溶け、さらに薄荷飴のように爽やかな清涼感が喉を抜けていく。呂天陽は思わず目を見開き、精神を集中させた。
すると――確かに“それ”があった。ごく薄いが、絶えず湖底から立ち上る“殺気”。
葉懐安の表情は厳しくなった。
「……これは間違いなく“殺気”。特異な気息の一種よ」
それは鬼気や屍気とは異なる。
“殺気”とは、多くの人間が死んだ場所で生じるもの。死者の怨念と死気が長い年月を経て積み重なり、やがて“殺気”へと変じるのだ。
“殺気”そのものは人間に直接害を及ぼさない。
だが――人が負の感情に沈んだ状態でこれに触れると、止められぬ衝動に駆られ、恐ろしい行動を取ることになる。
二人の脳裏に、自然と一つの名が浮かんだ。
――“断情湖”。
そうだ。ここでは過去、恐るべき出来事があったに違いない。あるいは、数多の人々が無念の死を遂げた。だからこそ、この名が残ったのだ。
二人が思考に沈んでいると――。
空の彼方から、ゆっくりと、ゆっくりと、黒雲の群れが押し寄せてきた……。
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