第四章 紫霊大王(しれいだいおう)
**下山救度人**
物語は、大学生 **呂天陽** を主人公とする。
彼は師命に従い**下山**し、
昼は凡俗の学徒として学び舎に通い、
夜は\*\*道士**として真の姿を現し、
**人間界**に潜む数多の**妖異**、**邪祟**、
そして**怪変\*\*へと立ち向かってゆく。
やがて、幾多の試練を経て友を得、
共に世を乱す闇を打ち破らんと誓う。
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**陰陽両界 悉く収め**
**邪物現れし時 如何破らん?**
**判官すらも 人間界に見えず!**
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呂天陽は一路**下山**し、
天地を震わせる数百の戦いを経て、
**鬼侯**、**仙妖**、**凶霊**、\*\*邪神\*\*と渡り合う。
友と共に\*\*六道三界\*\*を突き破り、
\*\*歴劫**を乗り越えて**証道\*\*へ至らんとす。
ルー・テン・ズアンは、即座に振り返った。
誰もいない――。
だが、確かに何かが通り過ぎたと感じた。
彼は自分の直感を信じていた。
この状況において、彼自身でさえ一抹の恐怖を覚える。
法師として、妖怪や幽鬼が彼の目から逃れられることはない。
ただし、それが「邪霊」であるならば別だ。
――だが、あれは何者だ? どこに潜んでいる?
ここに姿を現したということは、相手は相当な自信と実力を持っているはず。
ルー・テン・ズアンが逡巡していると、再び琴の音が響き渡った。
彼は即座に長衣から八卦鏡を取り出し、指先を噛んで血を一滴垂らし、呪文を唱える。
八卦鏡は金色の光を放ち、後方を照らし出した。
小さな呻き声が響き、その瞬間、暗闇から黒い影が炙り出される。
それは太った体に大きな頭、小さな目、腕は足よりも長く、全身から濃い邪気を放つ「邪霊」であった。
「なるほど、やはりお前か。我の背後で小細工を弄するとは――愚か者め!」
「大法師様! どうか命だけはお助けを!」
邪霊は震えながら地にひれ伏した。
ルー・テン・ズアンは冷ややかに問いかける。
「お前はどこから来た?」
「……断情湖からでございます……」
「断情湖だと……!?」
その名を聞いた瞬間、ルー・テン・ズアンは思わず卒倒しそうになった。
「そこはどこにある?」
「ここから道を一本隔て、およそ二里先にございます……」
ルー・テン・ズアンは顎に手を当てて考え、さらに核心を突く。
「なぜここに来た?」
「そ、それは……」
邪霊は言い淀み、恐怖に目を見開き、全身を震わせながら地に頭を打ちつけた。
「どうかお尋ねくださいますな! わ、私は……言えませぬ!」
「恐れるな。我は玄清派の天師。余が保障する、お前に危害は及ばぬ。だが、黙すならば――この手で裁くのみ!」
邪霊は逡巡の末、思いもよらぬ行動に出た。
立ち上がり、頭上を指差すと邪気を噴き出し、口を開いた。
「断情湖の奥には――“紫霊”と呼ばれる妖怪が……」
その瞬間、不意に琴の音が再び響き渡った。
今度は一音ではなく、幾重にも重なり合い、邪霊の声を完全にかき消す。
「うわああああああああッ!」
邪霊は頭を抱え、悲鳴を上げる。
ルー・テン・ズアンも頭が割れるような痛みに襲われ、《静心経》を唱えて精神を鎮めた。
彼が見やると、邪霊は地に伏してもがき、邪気は薄れ、身体は透き通り始めていた。
――それは消滅が近い証。
ルー・テン・ズアンは溜息をつき、そっと膝をついてその額に掌を当て、呪を唱えた。
邪霊の目に感謝の光が宿り、ルー・テン・ズアンを見つめた。
彼は静かに頷く。
「修行の道は容易ではない。今ここでお前を冥府へ送り届けよう。下で必ずやお前を待つ者がいるはずだ。縁あれば、また会おう」
言葉と共に、邪霊は霧となって風に散った。
ルー・テン・ズアンは窓の外の空を仰ぎ、しばし無言で立ち尽くした後、冷たく告げる。
「……すべてを見ていたな? 出てこい。ここでかくれんぼを続けるな」
部屋の隅から一人の女の姿が現れた。
淡い水色の漢服をまとい、鋭い眼差しを持ち、長い髪を高く結い、蓮華の簪を挿している。
その腕には玉の琵琶を抱え、恭しく一礼した。
「天師様、拝謁仕ります。小道、カオ・イェンと申します」
彼女は確かに邪霊であった。
だが、その姿は人とほとんど変わらぬほど美しく、ただ放つ邪気の濃さだけが人ならざる証であった。
ルー・テン・ズアンはじっと見つめ、思わず顔が熱を帯びるのを感じた。
――なぜ邪霊は皆、美しい女の姿をとるのか。
道士というものは、何かと心労が絶えぬ。
咳払いしながら、彼は言う。
「お前はどこの邪霊だ? なぜこんな仕掛けを弄した? だが、その気配……清らかな邪気。正道を修めているのか?」
女は袖で口を覆い、まるで古の令嬢のように微笑む。
「天師様……いま、お顔が少し赤うございますよ」
「なっ……!」
図星を突かれ、慌てて頬に手を当てるルー・テン・ズアン。
「べ、別に! 風邪をひいているだけだ! 余計なことを言うな! さあ、早く本題を話せ! さもなくば冥府へ送るぞ!」
カオ・イェンはくすくす笑い、そして窓の外を見つめ、静かに語り出す。
「天師様、なぜ私がこんな策を弄したか……おわかりになりますか?」
「知らぬからこそ、問うておる!」
「それは――あなたのような実力者をここへ誘うため」
「……」
「そして、すべては“断情湖”に関わっているのです」
「またその名か……」
ルー・テン・ズアンは眉をひそめる。
カオ・イェンは続けた。
「断情湖の奥には“天地の龍脈”が眠っております。民国の時代、学苑が建てられた頃より、その龍脈を狙う妖怪が現れました。――紫霊大王です」
「紫霊大王……とは?」
「彼は黄河に棲む千年鯰の妖。幾度となく天災を引き起こし、多くの法師が戦いましたが、誰も敵わなかった。
のちに玄清派の道士がそれを湖底に封じましたが……その道士は言いました。封印は十数年しか持たぬ、と」
「……その道士も玄清派か」
「はい。そして今、玄清派の天師である貴方がここにいる。これは天意です」
「ば、馬鹿な! なぜその道士自身が討たなかった! なぜ我ら後人に押し付ける!」
カオ・イェンは微笑んだ。
「その道士は申しました。『これは我が劫数にあらず。時が至れば、応劫の者が現れる』と。
だからこそ私はこの術で探していたのです……そして今、玄清派のあなたこそが――その人なのです」




